短編集

□ドール
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ドール



彼は何もいわない。




小一時間はたったのではないだろうか。

 時計を見て確認しようと首を回した。しかし真っ白な部屋の壁には何一つなく不気味だった。その空間をえぐるようにくりぬかれた窓はぎらぎらと光を反射している。

音がない。

ただ彼は黙っていた。


「手塚…」


「なんだ?」


跡部が話しかけても彼はそのままの表情で振り向いた。
変わらない。
いつもと同じ顔。





 初めて出会ったときも同じ表情をしていたような気がする。いや、違ったのかもしれない。いつもみる彼の感情のない顔で俺の記憶は塗りつぶされているから真相はわからない。

 一昨年の都大会の準決勝の時だったと思う。退屈そうにテニスの試合を見ていた。もしかしたら熱心に見ていたのかもしれないが何も知らない跡部にはそうとしか見えなかった。

 レギュラーには程遠いやつだろうとは思ったのに、なぜだか視線を名も知らない少年から反らすことができなかった。


別世界の人間。


 真っ先に浮かんできたのは突拍子もない考え。纏う雰囲気が周りの下賎な連中とは違う。どこまでも透明で澄んだ風、そんな表現が似合う気がした。


「おーい、跡部!試合、試合!」


 後ろから宍戸の叫ぶ声が聞こえわれに返った。あわてて今いくと答えるともう一度その少年の方へ向き直った。

目が合った。

 ほんの一瞬だが確かに目が合った。茶色がかった瞳は深く深淵へと誘うように跡部の姿を映した。

 怖い。
 自分の中の全てを見透かされているようだ。逃げるようにその場を離れた。そのあとのことは良く覚えていない。ついこの間まで公式戦無敗を貫き続けていたのだから、このあとの試合で自分が勝利を収めたことだけは確かだ。

 俺は忘れようと思った。
 けれども恐怖が焼きついて何度こすり落とそうとしても、俺の思考は支配されたままだった。
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