短編集
□残り香
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ふわりと心地よく甘美な芳香。
幸村は首をひねった。どこかで感じたことがあったような、懐かしくほのかに甘さを漂わせる香。確かめようと全神経を一点に集めて、もう一度深く呼吸をした。先ほどよりもよりかすかな香だったが確かに感じる。再び幸村は首をひねった。
運動部で男だらけの部室にはそぐわない上品な香。一人だけ心当たりがあったが、今日は委員会の仕事のため遅れると連絡が入ったばかりだ。それに彼に染み付いている香ならばすぐにわかる。これは明らかに別の芳香なのだ。
切原は急いでいた。早く着替えを終えて、部活の準備を手伝いに行かないと副部長の雷が落ちてきてしまう。それだけは勘弁だった。毎回同級生にそのことを引き合いに出され、笑いものにされるのだからたまったもんじゃない。乱暴にジャージを羽織ろうとした時だった。
「赤也、ちょっとまって。動くなよ」
「え?ちょっなんですか」
がっちりと肩を抑えられたものだから何事かと思えば、声をかけてきた幸村本人はくんくんと鼻を鳴らしている。切原は困惑した。
「うーん、違うなぁ…赤也なわけないか」
「はぁ?何スか。俺なんかついてました?」
「いや、気になることがあってね。あぁ気にしなくていいよ。個人的なことだから」
こういう香水の匂いじゃないんだよなぁとぶつぶつつぶやきながら考え込んでしまった部長を見て、切原自身も考え込む。俺、なんかやばいことしてただろうか。最近、雑誌に紹介が載っていた今流行の香水をかけて学校に来るようにしている。俺だってお年頃ってやつだし、女子とかそーいうのを気にしてもおかしくは無いはずだ。なんともいえない気まずい雰囲気に切原は部室を抜け出すタイミングを失った。
「おーい、赤也いるんだろぃ?真田が呼んでるぜぃ」
がたんと乱暴に部室のドアを鳴らしながら丸井が颯爽と現れた。彼はこのピンチな状況を打破してくれるであろう赤髪の救世主。切原は飛び上がるほど喜んだ。途端に切原は水を得た魚のように元気になり、「すんません。そういうことなんでささーっと準備終わらせてきます!」と大声で叫ぶとひゅうと風のようにかけだしていった。後に残された丸井は目を丸くして棒立ちになっている。若い子は威勢がいい、と幸村は苦笑した。
「ねぇ丸井。何かこの部室いい香がしないかい?」
「香ぃ?」
丸井はくんくんと鼻をならすとうーんと腕を組んだ。よくわかんねぇな、とだけ答えたがそれでもまだ腑に落ちないらしい。もう一度考え直すように視線を泳がせると、赤也の隠したおやつとかの匂いなら一発で見つけられるんだけど、と笑いながら付け足した。
鼻のよさそうな丸井でさえ気づかないこの芳香はなんなのだろう。自分の錯覚なのだろうか。部活をしている最中にも気になって集中ができなかった。