短編集

□春風
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「大変だ!今すぐきてくれ」


 悲鳴まじりの叫び声をあげた後、ツーツーと携帯電話は呻いた。ソレを聞くや否や、『いざ鎌倉』将軍公の一大事と平成のもののふ―真田弦一郎は家を飛び出すと電話の主のもとへ馳せ参じた。


「なんだよ真田、その格好は」

「それは俺が聞きたい…」


 目の前に仁王立ちしている幸村は麦わら帽子にタオルを巻いて、さながら農家のおじさんである。もしやまた病気の再発かと早朝の稽古を途中でほっぽりだして胴着のまま駆けつけた自分はなんであったのかと真田はいつにも増して憂鬱な気分に陥った。


「ほらみてよ。大きくなってるだろ?この鉢じゃ、小さくて窮屈だから植え替えてやるんだ」


 幸村が嬉々として鉢植えを差し出すと、真田はシャベルで土をつつきながらあぁと気のない返事を返した。


「親もガーデニング趣味なんだけど最近忙しいし、妹は虫苦手でさ。手伝ってくれないんだよね」


幸村はにこやかに微笑んでいる。


「何故俺なんだ」

「えっ?なんでかって?真田は一番暇そうじゃないか。それに、休みの日でも朝早くから起きてるし丁度いいから」


 納得出来る理由ならまだましであるのにとさらに真田は気落ち
した。幸村はトントンとリズミカルに鉢を叩き、中の苗を取り出す。土は鉢形を保ったまま現れてどことなく滑稽だ。根のまわりから軽く土を落とすと真田が掘り起こした庭の窪みにそっと置いた。慈しむようにゆっくりと土をかぶせ、パンパンと苗が倒れることが無いように整えた。流れるようにこなす姿は堂にいっている。


「俺はね、こういう無心になれる瞬間が好きなの」

「無心?」

「嫌なこととか全部忘れられるから」


 来週提出の社会のレポートとかね、と幸村は笑った。


 カラフルに彩られていく花壇はまるで虹が架かったようだ。眩しそうに真田が目を細めると、幸村は満足そうに微笑みぐいと背伸びした。


「ようし、一段落だ。休憩しよう!」


 そう言うや否やひょいと立ち上がり、幸村は家の中へと消えた。真田は迷子の子供のように取り残されてため息をついた。

 庭を眺めれば、やわらかな風が吹き抜け満開の花が生き生きと揺れている。ふわりと香る土と緑の匂いは春を告げる。美しい色彩のバランスは絵画のようで庭を育ててきた幸村の繊細さを色濃く映し出している。彼のいうようにこうやって無心になれる時間もいいかもしれないと真田は思った。ふいにパタ
パタとスリッパを鳴らす音がして振り向けばグラスを両手に抱えて幸村が戻って来た。


「見事な庭だ」

「ふふ…ありがとう。でも真田の家の庭もすごいよ。うちもあれだけ広かったらな」

「あれは手入れが大変なんだ。それに男ばかりで武骨な連中しか居ないから華やかさにかける」

「じゃあ俺がやってあげようか。お花畑にしてあげるよ」

「ではこの次にでも頼もう」


 友と過ごす時間というものは幸せな気持ちにしてくれる。不思議なものだ。グラスを軽く揺すればコロコロと涼やかな音色が響く。共鳴するかのようにサァと春風が木々をゆらした。

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