短編集

□残り香
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 不意にふわりとした和の香が鼻をかすめ、おや?と思い振り向くとすらりとした長身の和美人が幸村を見つめていた。

「精市、今日は調子が良くなかったようだがどこか体調でも悪いのか?」
「いや、大丈夫だよ?どこも調子は悪くは無い」
「嘘をつくのはいけないな。こちらには証拠も挙がっているがどうする?」

 病気で入院を経験してからだ。柳といい部員達はみな必要以上に幸村の体調を気遣うようになった。確かに心配してくれるのはうれしいけれども、限度というものがある。柳なんて特にそうだ。彼は細かく幸村の体調を観察し記録し始めたのだからたまったもんじゃない。何度も説得を繰り返しやめてもらったばかりというのに。

「大丈夫だっていってるじゃないか。人間の体は機械じゃないんだから少しぐらい数値は変わる」
「確かにそうだな。お前の言っていることは正しい。だが、何も身体の調子だけとはいっていないな」

 今日のところは完全にお手上げだ。いつもなら柳を言い負かすことぐらい苦も無いのに。柳のいう通り調子が悪いのかもしれない。

「部室でいい香を感じたんだ。それがずっと気にかかっていてね。丸井も切原もわからないみたいだし、俺調子悪いのかな」
「部室?」
「そう部室で…あっこれこれと同じ香だよ。あれおかしいな?なんでここで感じるんだ?」

 部室で感じたのと同じ甘い香。けれども甘ったるいわけでなく適度のさわやかさを含んでいる。間違いようも無かった。

 突然こつんと後ろから頭を小図かれた。わけがわからないで混乱していると、それをみていた柳は『全て理解した』といい、笑いながら幸村の後ろを指差す。ゆっくり身体全体を振り向かせると目の前には憮然とした表情で腕組をする真田の姿があった。

「おい。部長たるもの立ち話では部員に示しがつかんぞ、まったく」

 そういうと真田は嘆息した。呆れ顔で幸村と柳を見ている。それから…と言葉を続けようとした

「蓮二も早く練習に戻れとお前はいう」
「わかっているなら早くもどれ!」

 額に手をあてて真田が困ったような仕草をすると、柳は悪戯っぽく笑い、手をひらひらさせながら皆が練習をしているコートへ戻っていった。彼が信頼を寄せている証拠だろう。俺たちには歳相応の顔を時折見せる。

 幸村の話し相手であった柳がいなくなったのを確認するとくるりと向きを変え真田もその場を離れようとした。それをあわてて腕をつかんで引き止める。自然、力の強弱も考えずに思いっきり引っ張ることになるのだから、見事に不意打ちされる形となった真田に抵抗するすべは無い。あっと叫ぶと同時にぐらりと体が傾き、そのまま幸村に向かって倒れこんできた。どたんとテニスコートに不釣合いな音が響き、皆が驚いたように振り向いた。

「ゆッ幸村!すまん、俺としたことが…」

 急いで退こうとする真田を引き寄せジャージに顔をうずめた。真田はというと状況が飲み込めない上に周囲の視線にさらされ、顔を真っ赤にさせながらパクパクと口を動かした。幸村がもごもごと何か言っている。あわてて聞き取ろうとすると彼は顔を上げて叫んだ。

「真田だ!!!!」
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