My memoriesブック
□否認と是認の境界線 02
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「…気をつけてね。ここ、そんなに平和な場所じゃないと思うから」
ほたるが言っていた言葉は何度も頭に過ぎった。
平和な場所ではない、そんな風には思えないのはまだあたしが何も分かっていないだけなのだろうか。
唯一ある両親の形見の刀は、部屋の片隅に置かれたまま誰にも触れられることなく佇んでいる。
戦争が終わって、一度も抜いていないそれを今さら使おうなんて思わない。
せっかく新しい人生を自分なりに歩き出そうとしているのに、それを消したくなかった。
一度でもまた抜刀してしまえば、あたしは二度と今のこの平和な生活には戻れない気がした。
こんな訳の分からない場所に連れて来られた時点で、もうとっくに元の世界に引き戻されたなんて認めたくなくて。
刀に伸ばした手を寸前で止めたあたしは、それに触れることなく、代わりに拳を握った。
平和な場所ではないとは言われたけど、ここには強い人がたくさんいる。
あたしなんかよりも遥かに強い人は沢山いるはずだ。
それに、先代を見れば分かる。
あの人は、違う。他の人とは全然違う。別格だ。
だからと言う訳ではないけど、きっと、大丈夫だなんてあたしは高をくくってしまった。
外出を許されていたあたしは丸腰のまま出かけた。
数ヶ月前まで握っていた愛刀を置いて、町を探索した。
取り立てて物の少なさで生活に困ることはなかったけど、それでもただ部屋でじっとしているのが耐えられなくて。
ぶらぶらと、放浪した。
日の傾く時間がやってきて、町の人たちも自らの住む家へと足を戻していく。
暗くなるにつれて徐々に少なくなっていく人の影を眺めながら、それでもあたしの足は来た道を戻ろうとはしなかった。
ただ動くことなく太陽だけをじっと見つめて、もうすぐ見えるだろう星を探した。
薄暗くなっていく景色の中にあたしの影だけが異様に伸びて、不思議そうにこちらを見る人間に目もくれずただひたすら空を見上げた。
大きな空の中で輝く一番星をこの目にしっかり焼きつけて、小さく両親の名前を呟く。
「…どうしたら、」
どうしたらいい。あたしは今、何をすればいい。
考えれば考えるほど闇に落ちて行くようだった。
一度は深淵から這い出ることが出来たと思ったのに。
空から視線を下ろすと、もう辺りは真っ暗な闇に包まれていた。
そのままあたしを呑みこんで、誰もいない場所へと連れて行ってくれればいい、そう思った。
小さく息を吐いて、やっと来た道を戻り始めた頃、ようやくあたしは自分の愚かさに気付いた。
木に囲まれたその場所は、月や星の光さえも遮断してしまいそうなほどの深い場所。
ほたるの言葉が何度も頭に木霊する。
徐々に歩く速度が速まっていくのを自分でも感じた。
森の中に、いい思い出なんてなかった。
天国のような綺麗な森の中で、あたしは一度地獄を見た。
アキラが殺されそうになって、何も出来なかったあたしも、殺されそうになった。
あの時は、助かったけど、でも今は。
周りには誰もいない。
あたしを助けてくれる人なんていないのに。
自分の身は自分で守らなければならないなんて、そんなのずっと昔に分かってたことなのに。
きっと、もう遅い。
「……………」
少し前から誰かがあたしの後をつけて来ている。
その事に気付いている事を知っているのかは分からないけど、どっちでも事態は変わらない。
あたしは丸腰で、相手はきっと武器を持っている。
例えば無事に森を抜けたとしても、きっとその後すぐに斬られるに決まってる。
あたしは相手に気付かれないように、何か闘えそうな物が落ちていないか探した。
どれもこれも、何の役にも立たないものばかりが落ちていたが、ないよりはマシかもしれない。
そう思ってあたしは見かけた中で一番頑丈そうな折れた木の枝を掴んだ。
あたしが何かを手にしたことにより、相手の殺気はより強くなった。
「…誰か、いるんでしょう?」
この際、多少の手傷は仕方ないと腹をくくった。
相手の隙をついて逃げることに専念しよう。
決心して後ろを振り返ったが、相手は姿を見せようとしない。
ぐっと拳に力を入れて様子を窺う。
こちらが一瞬でも隙を見せれば間違いなく殺られてしまう。
ゆっくりと辺りを見回す。
風がないせいか、草すら揺れない。
このまま逃げるのもいいかもしれない。
結構な距離を歩いたし、上手くいけばかすり傷程度で建物内へ逃げることが出来るかもしれない。
あたしはゆっくりと足を上げ、一気に地面を蹴った。
それとほぼ同時だった。
草が一瞬揺れて、何かがこちらへと向かって―――。
「…、ッな」
握った棒を相手に向かって振りかざす。
しかし寸前のところであたしの腕はピタリと止まった。
「ちょっ、と…」
鼻をヒクヒクとさせながら、こちらをじっと見つめる小さな瞳。
真っ白い毛に覆われた可愛らしい野ウサギは、あたしの殺気のせいで動けなくなっていた。
「ごめ、―――ッ!」
そんな一瞬の、たった数秒の間の気の緩みは、敵にとって格好の瞬間だったのだろう。
あたしの首に向けられた刃の切っ先。
チクリと感じた首の痛み。
静かに伝う血液。
「壬生の者、だな」
耳元で囁かれたその声は穏やかなのに、背中から感じる相手の殺気は凄まじい程研ぎ澄まされたものだった。
「あなたは一体、」
そこまで口にしてようやくほたるが言っていた言葉の意味を理解した。
壬生一族という巨大な力は、きっと世間から恐れられている。
排除しようとするものが居てもおかしい話ではなくて。
いつ、だれが、どこで襲われ、囚われ、殺されるか分からない。
こんな簡単なこと、何故今の今まで気付かなかったのだろうか。
戦場から離れたせいでもしかすると、何もかもが鈍ったのかもしれない。
「壬生一族、ではないと言ったら…?」
「斬る、がな」
このまま相手が刀を押し込めば、あたしは一瞬にして死ぬだろう。
そしたら今度こそ本当に、誰にも会えない真っ暗な闇の中に閉じ込められてしまう。
「でしょうね」
余裕なんてこれっぽっちもなかった。
それでも今はただ死にたくなくて、相手の刀を握り締め、手から流れる血なんてどうでもよくて。
目を見開く敵を睨みながら、持っていた棒を相手の顔面へ振りかざした。
瞬時に避けられたせいで、刀を握っていた手からはボタボタと血が流れる。
結構な力で握っていたせいで、深い傷になってしまったけど今なら相手との距離もある。
もう、逃げるしかない。
手のひらから流れる血はポタリポタリと地面に落ちて行く。
痛みのせいでどうしても上手く走れない。
少し振り返ると、すぐそこまで追いつかれていた。
あと少し、あと少し走れば―――‥
だけど、あたしは腕を掴まれた。
強い力で後ろへ引っ張られ、バランスの取れないままあたしの体はスローモーションで倒れる。
地面へ叩きつけられて、額に衝撃が走った。
振り上げられた刃は、木の隙間から零れる月明かりに照らされて。
握っていた棒でなんとか一発かわせたけど、あたしの唯一の武器はどこかへと投げられた。
相手もあたしが逃げるから、反抗するからムキになっていたのかもしれない。
血走った眼はまるで鬼のようで。
かつての仲間である狂に殺される、なんてそんな馬鹿なことをふと思った。
だけど、視界の隅で揺れた銀色の髪を見て、あたしは幻覚から一気に現実へと戻された。
「貴様は一体、何をしているんだ!」
自らの武器を手にし、今あたしに刃を向けている人間をいとも簡単に、斬り裂いた。
額と首と、手の平から流れる血。
頬に飛び散った、知らない人間の血。
あたしの目を見つめる彼の焦燥した瞳。
まだ幻の中にいるような感覚だった。
「こんな場所で、こんな時間に、一体何を…ッ」
昨日見た彼の瞳は本当に冷たい目だったのに。
人間じゃないような、本当に冷酷な生き物みたいに思えたのに。
今の彼は、人間らしい瞳であたしを見ている。
「あたしは、ただ…ただ―――」
ただ、…何だろう。
…何も、してないじゃない。
「…もう、いい。喋るな」
優しくあたしの腕を引っ張る彼の、辰伶の手は暖かくて。
血まみれのあたしの手に、斬り裂いた布を巻きつけてくれた。
額の傷と、首筋についた小さな傷跡を見た彼は、不安そうにあたしを一瞥して、ただ一言、帰るぞ、とだけ口にした。
小さく頷いて、何事もなかったように歩きだす彼の背中を、迷子の子供のように追いかけた。
不思議と、傷の痛みは消えていた。
*
いざとなったら助けてくれる辰伶は非常に格好いいです。
私も血まみれになるので、助けてください!!!
2012/04/25