〜近藤勇〜
1834〜1868
新選組局長


武蔵国多摩郡上石原村の農家・宮川久次郎の三男として生まれる。
近藤周介の養子となり天然理心流四代目を継ぐ。
1863年、浪士組募集に応じ上洛を果たす。
清河八郎の策略が露見。近藤と芹沢鴨は京都に残る。
壬生浪士組を結成。
芹沢一派を粛正。
池田屋事変では先頭に立ち奮闘。
鳥羽伏見の戦いには怪我で参戦できず。
甲陽鎮撫隊として出陣。
敗れ正体を隠して投降するが見破られる。
板橋の刑場で斬首されたのち京に運ばれ三条河原で三日間晒された。
享年35歳

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ