〜大久保利通〜
1830〜1878
薩摩藩士


薩摩藩の下鍛冶町の小姓・大久保次右衛門の長男として生まれる
1846年、17歳の時に記録所書助役として出仕。
1849年、お由良騒動に父が関与し流罪になり、
大久保自身も免職。
島津斉彬が藩主となり藩政改革が行われると復職。
同郷の西郷隆盛とともに若手改革派のリーダー的存在。
尊攘派下級藩士中心に誠忠組を組織するようになる
また、西郷隆盛が島流しになっている間、久光の公武合体運動に協力し、藩政の中心に参加。
1862年、誠忠組の同志により寺田屋事件が起こった時、久光の命でこれを鎮圧し、
同志達の処刑等の処分に命乞いすることはなかった。
慶喜が大政奉還を行うと、王政復古のクーデターを計画し、討幕派を逆転勝利に導く
明治になると、版籍奉還や廃藩置県等を行い、新政府の基礎作りに貢献。
その後、内務卿となり全てを掌握するようになる
1877年、西南戦争で西郷隆盛を敵に回す。
私情を交えず武力鎮圧。
1878年5月14日、紀尾井坂で士族・島田一郎らに襲われ、めった刺しにされ絶命する。
享年49歳

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