□だけど、
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「好きです」

 と、言ったことがあるのは誰にだった?
 お兄ちゃんと、お父さんと、お母さんと、それから花とハルちゃんにもあったっけ。
 でも、

 私は生まれてから今まで、恋愛感情を込めて誰かに好きだと言った事がない。
 思った事がない訳ではないけれど。

「じゃあね、京子ちゃん」
 靴を履き終えた彼は立ち上がって扉に手をかける。
 明日また会うかのような別れは、短くても1週間、長ければ3ヶ月分のもの。
 ・・・いや、長い方に上限なんて本当はありはしないのだ。今までは偶然それくらいだっただけで。

 思い至り、恐らく顔に出してしまった私に、ツっ君は動きを止めた。
 私の言葉を待ってくれている?

 けれどこんな時私はいつも何も言わない。

「・・・あ、御免ね。行ってらっしゃい、ツっ君」
 顔を上げて微笑むと貴方の瞳は一度大きく揺らめいて。
 けれども私はやっぱり何も言わなかった。
 ただじっとツっ君を見詰め、そしてその口が何かを言おうと動いたのが分かって。
 けれどもそれが音を形作るよりも先に、

 私のそれと唇を重ねて、ツっ君は、きっと自分の口を塞いだ。

 そうしないと、多分何かが零れてしまいそうだったから。
 それだけでこの先に決して喜ばしくない何かが待っているだろうことを私は知り、それでも、
 私は貴方の笑う顔がやっぱり何より好きだから。

 そうして私は、ツっ君が笑っていられるように何も言わない。
 だって私が感付いて悲しんでいるのだと口に出せばツっ君はきっと私よりももっと悲しんでしまう。
 誤魔化しで笑う事はしないツっ君だから。
 だから笑っていて欲しい私は卑怯だけれど、気付いていると、知られていることにすら気付いた上で分からないふりをする。誤魔化しで笑うのは私の方。それでも、先が長くないというなら尚更私は、

 ツっ君をツナ君と呼んでいた最後の日に、ツっ君は京子ちゃんなら俺が居なくても大丈夫だねと言った。
 それは多分彼を選ぶ為に必要なことで、私は薄情なことにその条件を多分満たしていた。
 首に細いシルバーリングをかけてくれたその日に、忘れたくなったら何時でも忘れていいよと言った。指輪も捨てるなり売るなりしてくれていいからと。

 ツっ君が私なら大丈夫だと言うのは、忘れてもいいよと言うのは、彼がそうだからなのかも知れない。
 ツっ君は私がいなくても大丈夫で、私を忘れてもきっと平気なのだ。
 そして私は彼と同じくそれでいいと思う。

 貴方が私以外の人を選ぶのは少し悔しいけど、悲しくはない。
 貴方がそうであってくれたように私の幸せもまた貴方なのだから。

 もし近い未来に、ツっ君が私の前から消えるとして、
 その時にツっ君に選択肢があるのなら、どうか私のことなど忘れて欲しい。
 ツっ君に愛されたことはとてもとても幸せだったけれど、私はこれ以上彼の足枷にはなりたくない。
 だから、私は何も言わずにまた貴方を見送るよ。
 日に日に膨らむ想いを飲み込んで、閉じ込めて、

( きっと先に死なれるだろうと思ったのは最初からだ )

「・・・好きだよ、京子ちゃん」
「うん。ありがとうツっ君」

 今更「好きです」なんて、言えないし、言わない。
 だけど、言いたい。
 だけど、貴方が笑ってくれていたら、それでいい。
 だけど、せめて「忘れないで」と声が枯れるほど叫びたい。
 だけど―――・・・

 全部忘れて幸せになってね、ツっ君。

( だけど私は忘れないよ )


 お互い気遣い合って何も言わないのがこの2人。実に盛り上がりというものがない。
 だってつー様に何か言ってあげることならリボでも獄でも出来る。
 京子ちゃんは何も知らないことと何も言わないことでもって、つー様がマフィアを辞められる場所を守ってるんです。
 最後の括弧書きを除きラスト6文は並列ではなく下の行が上の行の否定。なので結局残るのはラスト2文。

350 ありがとうね、もう悔いはないから

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