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□dreaming of love
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『ごめんなさい。許して下さい』

 どくり、

『ねえ、愛してるんです』

 どくり、

『赤城さん』





 ぱちん、

 脈打つ痛みに、闇から引き上げられる感覚。
 目を、開いた。

 シーツから腕を引き剥がすと、ぱりぱりと乾いた感触。頭を起こすと貧血で酷い頭痛がする。
 腐っても医者の習性か、既に傷口が塞がっている事を無意識に確認していた。
 乾いた血に染まったシーツとナイフを他人事のように眺めながら、泡のようにばらばらと浮かぶ記憶を辿る。

 俺は、昨日、

 瞬間、光景が瞼に描かれた。
 謝罪。涙。懇願。刃。

 赤。

 見開かれていた瞳が力無く伏せられる。
 ぽつりと、呟いた。

「ああ、」

 またか。






「あれ?」
 気付いたのは偶然だった。

 黒崎さんが何か言いたそうに眉間に皺を寄せているのに気付いて。
「赤城さん大丈夫? 血が出てるけど」
 その視線を辿った先、キーボードを叩く赤城さんの袖口に血が付いているのに気が付いた。
 あの色は確かに血液だ。まだ乾いていない。黒崎さんは多分臭いで分かったんだろう。
 赤城さんはばっと弾かれたように顔を上げてこちらを見詰めた。
 翠さんや山吹さんもそれに反応して目を向ける。
「あらほんと」
「大丈夫ですか?」
「っ、」
 赤城さんは短く息を詰めて、怯えの色すら浮かべて僕らを見返した。
「赤城?」
「な・・・んでもない。ぶつけて、切ってしまっただけだ」
 洗って来る。池田キャップから目を逸らしてそう言うと、足早にラボを出て行ってしまった。
「何かしら。随分な動揺・・・」
「・・・」
 髪を掻きあげた翠さんに、黒崎さんも無言で頷く。
「ちょっと、見て来るよ」
 返事を待たず、赤城さんの後を追った。

「赤城さん」
 トイレから出て来た赤城さんに声をかけると、またも大袈裟に肩を跳ねさせた。
「ねえ、どうしたのそれ」
「・・・さっき言っただろう」
「でもそんなに流血する程打ち付けたんなら、その時に気付かない筈無いよね」
 言いながら思考を巡らせる。
「そうだなぁ・・・多分、その傷は出勤した時点で元々付いてたんだ。最初から痛みを伴ってたから、傷が開いても気付かなかった。外出の少ない赤城さんだって、そりゃあ怪我する事くらいあるだろう。ただ不可解なのは、」
 それを、何故か僕らに隠そうとした事。
 暫く反論を探す様に泳いだ瞳が、観念したように僕を見返した。
「・・・ここなら、翠にも聞こえないか」
 小さく呟いて、シャツごとジャケットの袖を捲った。
「!」
 ひゅ、と、
 息を飲む音が、やけに響いた。

 赤城さんの細い二の腕。
 治りかけのものから、真新しいものまで、無数の傷跡に、覆われていた。

「え・・・何、それ・・・。ねえ、赤城さん」
「・・・」
 予想外の惨状に、言葉が出ない。
 何で。何で。だって赤城さん、幾ら嫌われてるって言ってもSTラボからは殆ど出ないし、キャップのお陰で僕らの待遇は随分良くなってた筈だ。勿論それで余計に嫌われた部分もあるだろうけど、そもそも赤城さんがこんな事されて黙ってる筈無い。
 どうして? 弱味を握られて? 僕らを庇って?
 いいやどちらにしても相手の方を断罪出来る筈だ。赤城さんならそれが出来る。
 敢えてその手段を封じる相手が居るとすれば、
「・・・まさか」
 いやそんな。有り得ない。彼の名を出す事を頭が拒否する。
 赤城さんは黙って僕を眺めていたけど、自分の思い付きに目を見開いた僕に、寂しそうにふと笑って。

「キャップが、」

 妙に穏やかな声で、そう告げた。





 キャップがSTでの功績を認められ、特別対策室室長に栄転して、もうじき1年になる。
 互いからの卒業の意味合いが強かったそれ以降、僕らは驚く程あっさり疎遠になった。Talkすら使わず、時々その成果を人づてに聞いては安堵と誇らしさと寂しさを感じていた。
「1ヶ月くらい前だったかな」
 中庭に場所を変えて赤城さんが語る。今頃池田キャップが探し回ってるかも知れない。御免ね。
「久しぶりに会いたいと言われて、・・・そしたらやっぱり、嬉しくて、ゆっくり話したくて、俺の家に呼んだ」
 赤城さんはキャップを好きだった。誰が見ても分かった。僕らだってキャップに救われたしキャップが好きだったけど、長く他人を拒絶して来た反動か赤城さんのそれは別格だった。
 でもその赤城さんこそがキャップを送り出す事を誰より望んだから、僕らは何も言えなかったし、実際その後、それぞれにきちんと歩き出した。
 そう、思っていた。
「・・・キャップ、忙しくて、俺に中々会えないから、安心したいと言った。簡単に消えない印が欲しいと言った」
「でも、こんなのって、」
「俺は大丈夫だ」
 声は拒絶の色さえ感じる平坦さだった。お前は、無関係だと。
「・・・駄目だよ。赤城さんが言えないなら、僕がキャップに、」
「駄目だ」
 赤城さんはゆるく首を振った。
「キャップは、何も覚えてないんだ」
「え?」
「俺に会った事さえ、覚えていない。一度問い詰めたら、自宅に居たとか、買い物をしていたとか、そんな事を言っていた。嘘を付いている様子は無かった」
 人の記憶というものは、思っているより柔軟で都合が良いものだ。
 忌まわしい記憶は、時折歪められたり、消されてしまったりする。
 そうしなければ、心が耐えられないからだ。

 もう、何度か繰り返されているという。
 赤城さんの家には無数に鍵が付いてるけど、そんなもので拒絶は出来ないのだろう。
 キャップの、歪んだ赤城さんへの執着。確かに2人の結び付きはとても強かった。赤城さんがキャップに依存していたように、キャップもそうだったのだろうか。
 赤城さんが信じたあの優しい人が、強い人が、誰かを、増して赤城さんを傷付けるなんて事、あるのだろうか。
「キャップも、俺やお前程で無くてもプロファイルの知識があるが、自分自身を分析するのはとても難しい」
「そうだね・・・」
 対人恐怖症。秩序恐怖症。幾ら他人の症例を知った所で、自分の心というものはとても見え難い。キャップの場合は恐らく自覚さえ無いのだ。
「キャップの人生を、俺達が邪魔してはいけない」
 自身に言い聞かせるように、赤城さんは言った。
「キャップは俺達を救ってくれた。俺達もきっとキャップの力になれた。互いに互いの居ない場所で先へ進もうとしている今、キャップの手を煩わせては駄目だ」
 俺さえ黙っていれば全て無かった事になる。俺の傷くらいで少しでもキャップが救われるなら俺はそれで構わない。
 大丈夫だ。そんなに酷い事にはならない。
「キャップが、間違える筈が無い」
 確信を持って言い切る姿は、カルト教団の信者を思わせた。

 赤城さんと別れ、タイミングをずらしてSTラボに戻り、池田キャップに気の無い謝罪をして、任されたプロファイルに2割程意識を傾けて、残りの8割で考える。
 赤城さんは、キャップを拒絶出来ない。僕だってキャップのやる事の邪魔はしたくない。
 でもこれは、キャップにとっても良くない筈だ。

 今回ばかりは、キャップが間違ってる。

「ねえ僕もう帰って良い?」
「待て青山、今日居なかった間にお前・・・、おい、青山!」
 終礼と同時に立ち上がり、池田キャップを無視してSTラボを後にする。

 『あちら』の建物を訪れるのは、初めてだった。





「本当、久しぶりですね。ずっと、会いたいとは思ってたんですけど」
「・・・キャップ、忙しそうだもんね」
 あ、まだそう呼んでくれるんですね。
 キャップは、無邪気にそう言って笑った。
 この顔で、声で、赤城さんに傷を付けるのか。どうしても実感が沸かない。
 でもだからって、放ってもおけない。
 遠回しに聞いてみたら、黒崎さんや翠さんは勿論、山吹さんも、多分池田キャップも、この所赤城さんの様子がおかしいのには気付いているようだった。
「あ、そうだ」
 ふいに声が弾んで。

「赤城さんは、元気ですか?」

 よりにもよって、そんな事を言った。
「少し前、赤城さんも突然ここに来たんですけど、前の晩に何してたか訊かれただけで直ぐに帰っちゃって」
 答えなきゃいけないのに、声にならない。
「池田とは偶には話すんだけど、あいつ客観的な情報しか言わないし。毎日会ってたのに、こんなに長く離れるなんて、未だに不思議な感じで」
「・・・それ、僕らもだけどね」
「あっ、いえ勿論! 皆さんそうですよ。黒崎さん達はどうしてますか?」
 それから、どうにか取り止めない会話をして、キャップは余りに1年前と変わらなくて、優しくて、

 僕はとうとう、赤城さんの事を聞けず終いだった。





 翌日。
 沈んだ気分のまま出勤して、そのままラボに入る。
 既に赤城さんは自分のブースに居て、暫くその姿を眺めていた。
「・・・?」
 ふ、と、違和感。
 何だろう。赤城さんがこちらに気付かないので、そのまま見詰める。
「あ、」
 気付いた瞬間、その場に座り込みそうになった。

 こつこつ、
 控えめにノックして、赤城さんのブースに入る。
「ああ、青山か」
「赤城さん、それ・・・」
 口が渇く。心拍数が上がっていくのが分かった。
 赤城さんはさっとラボを見回した。翠さんがまだ来ていないのを確認したのだろう。
 僕を見上げて、力無く笑う。
 次の言葉が、怖い。

「昨日、また、キャップが・・・」

 どく、ん、
 一瞬、息が止まった。
 赤城さんの腕、袖口から覗いてしまうくらいの位置に、

 昨日は無かった真新しい傷が見えた。

「・・・そう、」
 ばくばくと心臓が煩い。殆ど反射で相槌を打つ。耳鳴りの中、昨日の赤城さんの言葉が蘇った。

『キャップも俺やお前程で無くてもプロファイルの知識があるが、自分自身を分析するのはとても難しい』

 アルツハイマー型認知症の専門家が、自身のそれを認めない事さえあるように。
 認めたくない自分の心は、自分には決して見えはしない。

「おっはよぉ〜」
「っ、あ、翠さん、おはよう」
 慌ててブースから出て、翠さんに駆け寄った。動揺は見透かされるだろうけど、仕方ない。
「朝から赤城さんと何を・・・あら、」
 翠さんが僕を見詰めて、小さく首を傾げる。
「昨日と、服が同じね」
「・・・うん。ちょっと、ね」

 ねえ、赤城さん。
 キャップは、昨日ね。

 泣き出した僕を心配して、一晩中隣に居てくれたんだよ。

 キャップは黙ったまま泣き続ける僕に、ひとしきり戸惑った後、ただ隣に座って色んな話をしてくれた。
『忙しいですよ。大変です。・・・STに居た頃も忙しかったけど、楽しかったな』
『でも僕は今、子供の頃なりたかったヒーローを目指しているから』
『だから、皆さんの手を借りずに、1人で頑張ってみます』

『赤城さんみたいに、誰かを救える人になりたいから』

 ・・・ああ。
 嗚呼。

 ごめんねキャップ。
 ごめんね赤城さん。

 赤城さんの言う通りだ。キャップは、決して間違えない。
 いつでも正しくて、優しくて。僕達の、キャップだ。
 ごめんなさい。僕は、キャップのように正しくはあれない。キャップも、赤城さんも裏切れない。

『安心したいと言った。簡単には消えない印が欲しいと言った』

 それは、赤城さんの方だったのだ。
 違う道を選んだキャップの、STから離れたキャップの、それでも特別でありたかった赤城さんの。
 けれど赤城さんは僕以上に今尚彼の手を煩わせてしまう事を恐れている。きっと今更Talkの1つも送れない。それでも会いたくて。会っている事にしたくて。何かの形で、彼に執着されたくて。

 そうして、腕を切り付け、記憶を書き換えた。

 赤城さんの事を伝えたら、キャップはきっと今の地位を放り出してでもSTに戻って来てくれるだろう。
 自分の所為で病んだ赤城さんに心を砕くだろう。
 こんな僕達にさえ、否、こんな僕達にだからこそ、キャップはひたすら優しい。

 けれどそんなキャップを、僕も赤城さんも望んではいない。
 掴んだ出世が。僕らが認められた証が。決して赤城さん何かの為に失われてはならないのだ。

 再び赤城さんを救えるのはキャップだけだと知っていても僕らは。

「う、ぅ・・・」
「ちょっと、大丈夫?」
 耐え切れずに呻いた僕の肩を翠さんが支える。
 視線の先、ブースの中の赤城さんがこちらを見ていた。
 その口の形だけで、囁く。

『俺は、大丈夫だから』

 涙で歪んだ世界の中で、ひどく満たされたように傷を抱いて笑むのだ。


 タイトルはGARNET CROWの曲名から。直訳で「愛の夢」。





ねぇいつの日も旅立ちゆく者
残されてく者の気持ち 知らずに羽ばたいてゆく
in your game

I'm dreaming of wake いつか安らぎを与え飛び立つように
I'm dreaming of pain 愛のかけらを残して freeze freeze
I'm dreaming of rail 誰も交わらずにいた世界の意味を
I'm dreaming of love 強く身勝手なイメージ freeze freeze

by GARNET CROW 『dreaming of love』

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