□凪いだ
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「『穏やかに凪いだ風の中を、その小さな黒猫は』―――・・・」
「・・・っ」
「クローム?」
「ごめ・・・なさい。何でも、ないの」

 私の横になったベッドに腰掛け、小説を音読してくれていたボスは微かに息を飲んだ私の空気を見逃さなかった。
 確認するように今読んだ箇所を素早く黙読し、
 ある一点で目を止め口の中であぁ、と呟いた。

「凪」

 なぎ、と。
 ボスがゆっくりとなぞった二つの音は私の胸の深くへ大きな波紋を描いた。

「凪」

 ボスはもう一度言った。
 呼んだのかただ口にしただけかは私には分からなかった。
 もしそれが呼びかけなのだったら、『私』は返事をするべきなのだろうか。

「もしね、君がこの言葉を忌んで、聞くのも嫌なら俺はもう言わないよ」

 ぱた、本が閉じる。
 表紙に描かれた黒猫が私を見ていた。
 黒に埋まる瞳は描かれておらず、その猫は唯の黒い塊だったが、けれども黒い猫の黒い瞳は私を見ていた。

「でも、俺は、君が『凪』を嫌いでも、忘れたくても、ちゃんと好きだよ。俺は彼女を少ししか知らないけど忘れない。彼女には感謝してるから」

 ボスの言葉を測りかね、視線は引き寄せられるように本からボスへ。

「だって、凪が居なきゃ俺とクロームは出逢い得なかった」

 ボスは言う。世界は夢ではないから冷たいと。
 けれども世界が温かいのは夢じゃないからなんだよと。

 だって、ここがただ綺麗で優しい世界であったなら、
 きっと私も、貴方達も存在出来ない。

 猫が呼び覚ます凪の記憶は既に夢になりつつあった。
 温かくはない代わりにもう冷たくもない。
 いつか受け入れた時にそれはまた冷たく私の心を刺すだろうか。
 いつか受け入れたそれをも温められるような強さはいつか私にも備わるだろうか。

 今遠く思い出す凪のことを、確かに私は嫌いかも知れない。
 愛されない記憶は思い出すだに恐ろしい。
 けれど、嫌いなのはそうではないのだ。愛されなかったのは悲しいけれど仕方ない。
 ただ、
 もしかして一欠けらくらいはあったかも知れないそれを、探そうともしなかった彼女が嫌いだった。
 彼女が欠けていたのはあの人達が欠いたからではなく、彼女が埋めようとしなかったからだ。

 唯でさえ欠けばかりだった私はあの日本当に『喪失』を抱えることになり、
 その少し後に『凪の両親』と別れ、そして『凪』と決別した。

「ボス・・・」
 少し震えた声を、鎮めるようにボスは私の胸を撫でて、
「俺は、クロームも凪も大好きだよ」
 安心させるように、笑って。

 あれから得られたものはそれまでの欠けや喪失を遙かに上回るもので、私は多分未だにそれを受け止めきれないまま。
 与えられる前に探せば良かったと切実に思う。やはり見付からなかったならそれはそれで構いやしないのだから。
 何故そうしなかったの。ねぇ、凪。貴女なら間に合ったのに。

 新たな名前を酷く美しいと思ったのは凪への嫌悪からだろうか。
 あんな別れ方では何一つ終われやしない。

 後悔と、悲しみを抱いて。

 やり直したいと、思わなかった訳じゃないの。
 でも、
 貴方とあの人に逢えたから、
 哀しくても、これで良かったと思う。


 骸髑では偶に見かけますが、綱髑で「凪」呼び。いよいよ親子か恋人なこの二人。「私の思う〜」でカルテ読んだのでつー様はクロームの本名知ってます。
 友達と話してて、つー様がいきなり「凪」呼びして吃驚するクロームとか超可愛い! という話になりまして。こんなもので如何でしょうか津那様!(私信)
 むくりお(←打ち間違い)は逆に、自分が名付けたので「クローム」呼びの方に愛着覚えてそうです。
 だってアナグラムとかどんだけ考え抜いたんだお前(爆笑)。挙句に「髑髏」とか付けられたおにゃにょこの気持ちも考えろ!

艶やかな漆黒の瞳には何が映っている? (13の部屋 肆)

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