コロコロ系

□バタフライ・ノット
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 シューマッハ家は昔の貴族の出で、特に男児には早い自立を強制するしきたりだった。
 幼くも庇護や過干渉を厭う私にそれは寧ろ恵まれた環境で、ベルリンの壁の崩壊で不安定になっていた首都を避け、ミュンヘンの全寮制の小学校へ入学した。
 そこでエーリッヒとミニ四駆に出会い、大会へ出場するようになってからはアドルフやヘスラーとも知り合った。
 国内では頭一つ抜きん出ていた私達はアトランティックカップ等を経ながら、国内外のライバルと競い合う日々を送っていた。
 そうして迎えた小学校最後の年、初の全世界規模の大会が開かれることになって。
 ブレットとの再戦や新たなライバルとの出会いを夢想しながら、5人一組のチーム戦と知らされて私がリーダーかななんて思っていた所に現れたのが、ミハエルだった。

 私より二つも歳下の、少女じみた外見の彼は、エーリッヒより、ブレットより、私よりずっと速かった。
 圧倒的なタイム差に呆然と立ち尽くした私の前に立ち、ミハエルは翡翠の瞳を細めて微笑んだ。
「ねえ、君、とっても速いんだね」
 エーリッヒ達が沈黙する空間に、その澄んだ声だけが響く。
「レースを楽しいって思えたの、初めてだよ」
 まあ、僕はまだ初めて2ヶ月くらいなんだけどね。あっさりと言って、背を向ける。

 嗚呼、この人が、私の、我々のリーダーだ。

 悔しさなぞ瞬間に失せた。本能が平伏した。
 私が、如何に狭い篭の中に居たか思い知らされた ( 暫くあってから、そのミハエルこそ箱庭で生きていたと聞いて驚いたけれど ) 。
 彼が、私の篭を壊してくれた。

 そうして彼の下でヨーロッパ選手権を、WGPを戦い、初めての敗北を経てミハエルの実力は益々輝いた。





 それから、数年。

「僕のお家ねえ、沢山動物が居るんだよ」
 シュミットは乗馬をやるんでしょ。お馬さんも居るんだ。ねえ、遊びに来なよ。
 時折ミニ四駆の大会で顔を合わせる以外、余り会わなくなっていたミハエルから、かつてのアイゼンヴォルフのメンバーが実家への誘いを受けた。
 古くも手入れの行き届いた広大な城の中庭。小鳥や兎や、言った通り馬までもが放し飼いにされた空間に立つミハエルは、宗教画のようにさえ見えた。

「僕は生まれてからの10年を、殆どこの箱の中で生きたんだ」
 知っている。生まれ付き病弱だった彼は、年の半分以上をベッドで過ごすような状態で、家庭教師と医者とここで飼われている動物達との接触だけが、殆ど全ての外界との交流だったという。
 それが偶然か運命か、ミニ四駆に出会ってから病状が突然好転し、私達と共にWGPへ出場するに至った。
「だから友達らしい友達が居なくてね、誰かに言いたかっただけなんだけど、君達しか思い付かなくって」
 あのね、
 いっそ楽しげに、内緒話のように、潜めた声で彼は言った。

「僕ねえ、子供できないんだって」
 
 かつて高熱を繰り返した所為か、そもそもの遺伝子の欠陥か。
「婚約の話が出てね」
 息を飲んだ我々に、ミハエルは一転興味さえ失せたように平坦に語った。
「その時、念の為に検査して分かったんだ。勿論婚約云々は無かった事になって・・・まぁ、まだ受ける気も無かったんだけど、」
 だから、僕は結婚はしないよ。どの道僕で途絶えてしまうのだし。
 養子を入れてでも跡取りが欲しいって言うなら父様が勝手にやってくれればいいさ。
 絶句した皆を見返したミハエルは、退屈な話に突き合わせて御免ね。君達はちゃんと結婚しなね。どこか突き放すように、言葉を括った。

「可哀想に」
 帰りの汽車の中で、エーリッヒが呟いた。
 かつての神童は、引き換えのように幼少の自由と、未来への可能性を失った。
 ああ、けれど。
 それさえ、私は嬉しかったのだ。
 矢張り貴方は、それだけ特別な方なのだと。

 その遺伝子を、他へ分け与える事すらないのだと。





 更に、数年。

 それぞれに大家の生まれだった我々は大概平均よりも早い結婚が求められて、アドルフが、ヘスラーが、そして去年エーリッヒが結婚して、残るは私だけになっていた。
 アイゼンヴォルフのメンバーは毎回招待されて、その度に祝いを口にしながら胸を掻き毟りそうになっていた私に、貴方は気付いていただろうか。
 結婚式で幸福そうに妻になる女と寄り添うエーリッヒに、頭がおかしいんじゃないかと殴り飛ばしそうになった私に、貴方は何を感じただろうか。
 如何して。トイレに逃げ込んで嘔吐した私のこの気持ちが何故分からない。なあエーリッヒ、お前、私の片割れだった筈なのに。
 おめでとうと笑うミハエルに、どうしようもない焦りと違和感を覚えた。

 だってこんなのおかしい。
 私達は鉄の狼で、ドイツ代表のレーサーで、5人、選ばれた存在で、貴方の、下で、

「おめでとう」

 ミハエルは笑う。変わっていく私達に、良かったと言う。

『君達はちゃんと結婚しなね』

 嗚呼、そうだった。
 そうだ。リーダーは指示を下さっていた。私だけが、逆らう訳にはいかない。
 思っていた所に婚約の話が舞い込んだ。遠縁の親戚で、一つ歳上の控えめで優しい人だった。

 断る理由は無かった。





「やあシュミット、久しぶりだね」
 
 控室に訪ねて来たミハエルは、相変わらず少女然として微笑んだ。
「ミハエル・・・」
「なんて顔を、しているんだい」
 ミハエルが私の頬をなぞる。

「ああ、連れて来ていたんだね」
 エーリッヒ達も、そうしていたものね。
「ふふ、君も久しぶりだね」
 海の向こうで、共に世界を戦った紅の皇帝。
 L型を与えられた私は、彼と共にR型を使っていたエーリッヒの、そしてミハエルの隣を駆けた。

 ベルクカイザー。
 輝いた日々のかたち。

「ご無礼を、お許し下さい」
 純白のテーブルクロスを彼の頭に滑らせた。
 ミハエルはただじっと私を見上げている。
「・・・駄目だよシュミット」
 僕は君のものじゃないし、
 君も、僕のものじゃない。
 いつまでも、僕に囚われていてはいけないよ。

 ミハエルは憐れむように、嘲るように、或いは窘めるように言い聞かせた。

 知っていた。分かっていた。
 いつかは、手放さなければならないと。
 私が貴方に永遠を誓うことは、かなわないと。

 初めて、貴方に片膝を付いたあの日。
 ミハエルは私の篭を壊してくれたと思っていたけれど、本当はあの瞬間にこそ囚われていた。
 そして今、篭の扉は開かれている。

 ばさり、

 テーブルクロスが足元に落ちた。金色の長髪が波立つ。
 貴方だけはあの日のまま、篭の中の美しい生き物。

 否、本当は、彼だって何一つあの頃のままではあり得ない。
 私の歪んだ願いが、未だまぼろしを見せているだけで。
 嗚呼、どうしようもなく全ては有限だ。
 凶暴で無知で不安定で脆く輝いた日々が、あの日の貴方が、私が、失われていくのを唯、見送るしか無いのだ。
 嫌だ。嫌だ。どうか、置いていかないで。

 かつて不敗神話を、誇る事さえしなかった少年は、それだけは変わらない永遠のような碧で私を見詰めていた。

「・・・おめでとう、シュミット」

 祝福の言葉の中に、耳の奥で何かが飛び立つ音が聞こえた。



 余りに完璧なキャラクターは遺伝子がそこで完結してて生殖能力無いかも知れないというクソ持論。
 ミハ様が特別である以上に、シュミットはミハ様を特別視していると良いなぁ、という。
 タイトルはGARNET CROWの曲名から。非常に強度の高い結び方の名称。結び目の形が蝶の羽に似る。





金色に光る海 彼の見たまぼろし
永遠とゆうの 願いを捨て去ったあとの未来を
そっと眠り ありふれた鼓動の高鳴りを手放せば
自由が押し寄せる

by GARNET CROW『バタフライ・ノット』



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