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□もう幾つ寝ると
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 かん、とがん、の間のような音がして、常に靄のかかったような状態の聴覚と思考が少し時間をかけてそちらへ目を向けろと命令を下した。
 蹴飛ばされたらしくころころと転がる空の酒瓶を逆に辿ると、緑と黒の光沢のある靴。
 そこから上に視線を上げて、
「いたい・・・」
 さして痛くもなさそうに不機嫌そうに呟いたのは、ボクの先番になる筈だったボーカロイド01。

「あ、ミクだー・・・。どうしたの、珍しいね」
 こんな所に来るなんて。
 広く立派な本社の唯一の欠陥。動線の関係でどうにも不便で殆ど人の入らない一角。
 その中でも最も奥まった部屋で、ボクは大半の時間を過ごしているけれど、他の者がここへ入るのはもう使わなくなった荷物を積み上げに来る時くらいしかない。
 捨てる価値もないモノ達の墓。これ以上ボクに相応しい場所はない。
 けれど、ミクのように忙しい売れっ子が一体何の用か。
「ちょっと、」
 匿って頂戴、と言いながら電気を付けていないままの部屋へ入り込みドアを閉めた。
 瞬間部屋は更に明度を下げ、カーテン越しのくすんだごく弱い光のみに晒される。

「探されてるの?」
 匿えということは誰かから逃れたいのだろうし、思って訊くと、ミクはこちらを見もしないでええと短く答えた。
「何で?」
 思ったまま重ねて問うと、ミクは心底忌々しいといった風にこちらを睨みつけて今日はメンテナンスの日でしょう、言ってまた目を逸らす。
 ああと納得。ミクのメンテナンス嫌いは有名だ。だからこの性格はどうかと思われつつ何時まで経ってもパッチが当てられない。
 強硬すれば色々と法に触れるから会社側も無理矢理とはいかないようだ。ミクはボーカロイド以外も含めてアンドロイドの中では相当な人気を誇るから尚のこと。

「ていうか、」
 初めて向こうからの声。パイプ椅子の背もたれに預けきっていた頭を上げる。
「貴方こそメンテナンス受けないの?」
「・・・別にボクは隠れてる訳じゃないよ」
「じゃあ、」
 何でこんな所に、問われる前に答える。
「ボクはいつもここにいるよ。外に出てもやることないし。そもそもボクはメンテナンス何かして貰えないし」
 くすくすくす。手にしたコップに半分程残っていたぬるい日本酒を口に含む。背後で付いたままの音の無いテレビが丁度ミクを映し、それを見たミクは眉を寄せた。

 ミクの次番のボーカロイドとしてこの世に生まれる筈だったボクは、けれども途中で肝心の歌のプログラムに致命的な欠陥が見つかってしまい、製作はそのまま鏡音リンへ移行された。
 用済みの体は当然廃棄される筈だったのだけど、その時点でボクは法的に妊娠27週を過ぎたような状態にあった為仕方なく一応完成させられ起動した。
 誰にとっても必要なかったボクにはNoも与えられず公表もされず、あたかも空気のように扱われたのにボクは何時まで経っても空気のような振る舞いを覚えられず、いつしかアルコールを抱えてここでばかり過ごすようになっていた。何が悲しくてメンテナンス代を出さねばならない。
 そんなようなことを話すと、ミクは暫く間を置いてから感情のない声でかわいそうにと呟いた。

「可哀想なものか」
「・・・」
 あはは、笑いが漏れる。反論するとミクは微かに片眉を上げた。テレビからの瞬く明かりがミクの白い肌をちろちろと舐める。
「だってボクは世界に生まれる事が出来た。この世界を見る事が出来た。ボクの愛するこの世界を」

 そして、そこで君に出逢うことが出来た。

「なのにボクはこの存在でもって世界を汚してる。く、あははっ、さて、裁かれるべきはどちらかな?」
「・・・ばかじゃ、ない?」
 ミクは心の底から呆れたようだった。こんな醜い世界に価値などないのにと言う。
「どうして? ボクはこの世界がとても綺麗だと思うよ。そしてそこにある唯一の異物がボク何だ。ボクさえいなければ世界はもっと輝くんだよ!」
「貴方一人でそう変わるとも思えないけど・・・」
「まぁ、その通りだろうけどね。だから世界は今も美しい」
 冷めた返事をしたミクにあっさりと返す。ミクはもう酔っ払いの戯言には付き合い切れないといったように立ち上がった。どこか他へ身を隠すか、今日はこのまま会社を出るかするのだろう。
 扉に手をかけた彼女はふいにこちらを振り返った。瞳はぞっとするほど深く緑に透明で。
「・・・世界が美しいのなら、何も問題ないじゃない。貴方は世界から生まれた世界の一部なのだから」
 詠うように囁く声も、紡がれた言葉も、凛として、真っ直ぐで、鋭くて、繊細で、危うくて、
「でも、世界は醜悪だわ」

 だって、この私を産んだのだもの。

 きっぱりと、涼やかな声を吐いて扉を開いた彼女の横顔はひたすら美しくて、
 やはりこの世界はどこまでも綺麗で、世界に、増してミクに、迷惑しか掛けられない自分など早く壊れた方がいいのだと再確認。
 早くその日が来ればいいのにと声を上げて笑ったボクを訝しげに見やり、未練なく扉の向こうへ消えたミクはやっぱり何より綺麗だった。


 ミクハク。うちのミクとハクの基本思想。ついでにボカロそのものについて独自設定ちょろっと。
 ハクは自分だけが嫌いで、ミクは自分を含めた全てが嫌い。
 本当うちのボカロファミリー問題児ばっかだな。

235 零れ落ちる愛と罪

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