短編集
□幸運を呼ぶ
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今日は好きな人とシフトが一緒な日。足取りは軽く、スキップしてしまいそうになるほどに心は弾んでいた。
「桜ももう見納め時かなぁ」
葉の部分が主張し出した散り際の桜が目に入り、そう呟く。風が吹き、波のように押し寄せては道路端に追いやられていく様に少しだけ寂寥感が漂っていた。
「あっ、梓ちゃん!お疲れ様ー!」
ポアロに着くと裏口からちょうどゴミ出しに出ていた梓と出会う。
「お疲れ様です!午後は私いないので、よろしくお願いします」
「うん!任せて」
軽い引き継ぎを終えたあと、彼女はまた裏口から出て行った。自分もそろそろ時間だ。タイムカードを切り、よしっ!と気合を入れてから笑顔でホールに出た。
「安室さん、お疲れ様です!…って」
「…………」
忙しいランチ時は終わり今は休憩時間。客席側のカウンターテーブルに頬杖をついたまま動かない彼にまさかと思って極力音を立てずに近づいた。
「…っ…!!」
きゃー!と叫ばなかった自分を褒めてあげたい。なんとまぁ、珍しい。すやすやと心地良さげに寝ている彼に胸の内で狂喜乱舞する。
普段はまじまじと見る機会がないその端正なお顔立ちをここぞとばかりにジッと見つめさせてもらった。
かっ…
「カッコイイ…」
ため息混じりにそんな言葉がポロリとこぼれ落ち、慌てて口に手を当てる。いけない。探偵業やポアロの業務できっと疲れているのだ。ぎりぎりまで寝かせてあげたい。
幸い彼がその声で起きることはなく、眉ひとつ動かないところをみると眠りは相当深いようだ。それにほっと息をつき、静かに午後に向けての仕込みを始める。
しかし目の前でこんな無防備な寝顔を見せられては集中できるものもできない。時々盗み見ては、ほぅ…とため息が出るほど。
きっかけは一目惚れだった。しかしあむぴ狙いでくるお客様はそれはそれはもう皆様美人や可愛い方々ばかりで…。平凡な顔立ちをしている自分にはとても釣り合わないと早々に離脱。それに自分と梓は炎上コンビ。真面目に働いていても彼と一緒にいるだけで非難の的になるのだ。もし万が一…いや億が一?付き合えたとしてもその先が怖い。と、思っていたのに…
一緒に仕事をしていくうちに、
彼と話す機会が増えていくたびに、
彼のことを好きになっていく…。
もう一緒の空間にいれるだけで満足している自分はどこにもいない。墓まで持っていこうとしていた気持ちは彼が笑いかけてくれる度に口から想いが溢れ出そうだった。けれどフラれるのはやっぱり怖いわけで…。
「安室さん、好きですよー…」
なんて、寝てる時に小声で言ってみたり。うあぁ〜言ってしまった…と後からくる自己嫌悪に両手のひらで顔を覆う。寝てる今ならば何を言ってもいいだろうなんて軽い気持ちで口にしたのがまずかった。スッキリするどころか背徳感とドキドキが混ざり合って鼓動は忙しくバタバタと動いている。
「はぁ…頭冷やそ」
もう仕込みも終わってしまい、やることがなくなってしまった。彼の休憩時間が終わるまで梓に教えてもらったスマホゲームでもしていようとアプリを立ち上げた、その時だった。
「………ん?」
ふと感じた視線。寝ている筈の青灰色の瞳と目が合う。
「…あ、れ…?」
「それ、梓さんが言っていたゲームですよね」
「………」
「僕、どうしても次のステージがクリア出来なくて…何かコツとかってあります?」
「………」
「……あの、聞いてま…」
ガタッ!と音を立てて後ずさる。
「エッ!えっ?えっ!?い…いつから起きて…!?」
「いつ…?んー…」
視線を斜め上に、顎に手を当てながら考えている彼に顔中汗が吹き出る。え?なにこの時間。長い!長いよ!ついさっきじゃないの?いつなの?
終いには両腕を天井に伸ばしてストレッチしている彼に少しばかりチョップをかましてしまいそうになる。
散々焦らされた後、青灰色がやっとこちらを向いた。
「いつからだと思います?」
「…う…うぁ…えっ…えと」
やばいやばいやばい。これもう絶対聞いてるやつじゃん。だめじゃん。逃げられないじゃん。いや、でも小声でいったし…聞こえていない可能性も…あぁー!なんてバカなことをしたんだろう!今すぐ頭を壁に叩きつけたい。
「ち、ちがうんです!こ、これ!梓ちゃんが欲しがってる限定ガチャのキャラが『す、好きだな〜』って!」
我ながら苦しい言い訳だが、スルーしてくれるならなんだっていい。そばにいるのもダメになったら自分なんかどうやって彼のそばにいられるっていうんだ。
「へぇ…どれですか?」
「…あ、こ、このキャラで…」
キャラ紹介の一覧をタップして彼に見せると画面を覗き込んでいた彼が途端に顔を上げる。
「僕も…好きですよ」
パーソナルスペースを遥かに超えた距離で彼がそう口を開く。思わず息を止めてしまった。
「す、すき…?」
「…ええ」
「あっ…あぁ!安室さんも、このキャラクターが好きなんですね!」
「…………」
一瞬無言になる彼。もうこちらは失態続きでどんな反応が正解なのか迷子なため、冷静な判断など皆無だった。ダラダラと汗を流し続けていると彼がいきなりフッと優しく笑った。
「桜の花びら、ついてますよ」
「……えっ?」
スッと伸びてくる手に思わず肩をすくめる。彼の手が頭に触れたのがわかり、耳先がじわじわと熱くなっていくのがわかった。
「取れました」
「あ、ありがとうございます」
「桜も、もう散ってしまいますね」
取った花びらを手のひらに、その見つめる瞳は何を思っているのか。なぜそんな寂しそうな顔で見つめているのか。
「あ、あの!お花見って実は全部で三回行くといいらしいんですよ!」
理由はわからないが気づけばそう口をついていた。
「この間お客様がここで話されてるのをたまたま耳にして…なんでも咲き始め、満開、散り際で行くといいらしく…」
風水的な意味もあり、それぞれ未来、現在、過去を示しているのだとか。
「それで今、安室さんが手にしてるのは散り際のものなので悪い縁や、病など過去から抜け出して状況を良くするご利益があるそうです。他に浄化や厄除けの効果も…ってごめんなさい!勝手にベラベラと…」
物知りな彼だ。自分より知っていそうな情報をドヤ顔で説明してしまった。もう今日は話さないほうがよさそうだと、一言だけ言ってバックヤードに消えようとした時だった。
「…なら行きませんか」
「……え?」
聞き間違いかと思わず振り返る。
「今夜、最後の桜を見に…ふたりで」
「ふ、ふたりで…」
彼が誘ってくれるなんて、これは夢?
「いや…ですか?」
黙っている自分に否と取ったのか彼の眉は途端に悲しそうに下がってしまった。
「ち、ちがいます!すごく嬉しくて驚いてしまって…むしろ私でいいんですか?」
「あなたがいいから誘ったんです」
「…っ…」
だ、だめだ。こんなこと言われたら期待してしまう。
「この花びらも…いただいていいですか?」
「いいです、けど…いったい何に…」
「あなたについていた花びらなので…何かいいことがありそうだなと」
そう言って大事そうにハンカチに挟んでいる姿に胸を抑える。そんなことされたら本当にーー…
「さぁ、午後も頑張りましょうか」
「…は…い」
今日私、仕事になるかな…と始まる前から失態続きに先を思いやられながら開店準備を進めてる彼の後ろを赤い顔でついていく。
そんな彼女を横目に安室の頬は嬉しそうに持ち上がる。なかなか素直にならない彼女のために初めから狸寝入りだったなんてこと、この時の彼女は知る由もなかったのであるーー。
おわり。
2023.04.09