短編集

□記憶の中の君⑶
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ポアロに潜入して数日。開店の準備を進めようと少し早めに店を訪れたとき、そこにはすでに彼女がいて、身を屈めてテーブルの下や床を仕切に見ており、何かを探しているようだった。真剣なその横顔はこちらの存在に気付いていない。

「夢乃さん?」

声を掛けたタイミングが良くなかった。ちょうどテーブルの下にいた彼女は自分の声に驚いたようでそのままテーブルに頭をぶつける。

「〜っ!」

痛みに悶えてる彼女に慌てて謝罪する。

「す、すみません!驚かせるつもりは…」

「い、いえ!私も気づかなくてすみませんでした…」

おはようございます、とぶつけた頭を押さえ涙目で挨拶をする彼女に安室も苦笑いで挨拶する。

「何か探し物ですか?」

その言葉に彼女は悲しそうに眉を落とす。

「そうなんです。実は大切にしてるしおりをなくしてしまって…」

しおりと聞いて心当たりがあり、「あぁ、それなら…」と安室はカウンターに回って、下の棚に保管してあったそれを取り出す。

「昨日掃除の時に見つけて、」

「ありがとうございます!!」

言い終わる前に彼女は客席側から身を乗り出し、手渡そうとした安室の手ごと握りしめる。昔と違いお互い成長したはずなのに彼女の手は相変わらず小さかった。

「とても大切なものなんです」

彼女はその押し花になってる朝顔のしおりを大事そうに胸に抱えた。


潜入する前に調べた従業員の名簿とそれぞれの経歴。夢野夢乃の名前に幼少時代の記憶が蘇る。同姓同名の可能性もあったが彼女が幼少期に住んでいた場所は自分が住んでいた地域と被っていた。本人の可能性が高かった。

しかし別れて20数年以上。幼少期の記憶なんてものは酷く曖昧な筈。例え本人であっても名も変えているし支障はないと踏んだ。それにこの喫茶店は毛利小五郎を調べるには絶好の場所であったため、計画は変更せずに続行した。


「夢野夢乃です。よろしくお願いします」


面影あるその顔にドキリとする。笑った時の目尻の下がり方が全く変わっていなかった。

自分は覚えていたというのに彼女は自分を見ても全く反応はなかった。望んだ結果のはずなのにそれがとても面白くないと感じてしまう。

彼女はそれほどまでに零の見た目ではなく、内面を見ていてくれていたということにその時は気づかなかった。





ある日、客のピークも過ぎた頃、洗った皿を拭いていると最後の客の会計を済ました彼女がふと「ザリガニ、だったなぁ…」と声を漏らす。

その言葉に思わず皿を拭く手を止める。今の客がザリガニのストラップでもつけていたのだろうか。

疑問の声を上げると「あっ、すみません。つい昔のことを思い出して」と苦笑いしながらこの会話をすぐさま終わらせようとする。W昔Wと聞いて自分にも思い当たる節があったそれに深く踏み込んでみた。

「ザリガニ、もしかしてお好きなんですか?」

もしかして、という期待も込めて。すると彼女は困ったように笑いながら、昔好きだった男の子に貰った誕生日プレゼントがそれだったという。

W好きだった男の子W

その言葉に胸が高鳴る。もしかして、覚えてるのか?とすぐさま問い質したい衝動を抑える。誤魔化すように「………へぇ、変わった子ですね」と返した。

「ふふっ、でもすごい優しい子だったんですよ?」

その言葉に上がってしまいそうになる頬を必死に耐えた。

「安室さんは初めてした恋って覚えてます?」

そんな彼女の質問に安室は躊躇なく応える。

「えぇ、町の女医さんでした」

「へぇ、安室さんの初恋は年上の女性ですか」

「えぇ、ませた子供でした」

「でもいますよね。保育園の先生が初恋という人もいますし」

「夢乃さんの初恋はいつだったんですか?」

興味本位で訊いてみる。すると彼女は近所に住む男の子だと答えた。

「もしかしてその子がザリガニをくれた子?」

期待を込めたその質問に彼女は顔を綻ばせ、「そうです、そうです」と頷いた。思い出してもらっては困るのに、調子に乗ってどんな子か訊いてみる。すると予想外の言葉が返ってきた。

「すごく可愛いかったんです。だからはじめ女の子だと思って遊んでて…」

「………え?」

皿を拭く手を止め、嘘だろ?という顔で彼女を見る。そんな安室の顔を見て彼女は不思議そうに首を傾げていた。

「な、なんですか?」

「い、いえ、続けてください」

思わず動揺してしまった。誤魔化すようになんでもありません、と言えば彼女はそれ以上深く追求せずそのまま話を続ける。

「それで…一緒にお風呂入ったときに男の子だって気付いたんですけど」

「・・・」

「だからあんなにお風呂入るの嫌がってたんだ、って思って…なんだか悪いことしちゃったなぁ、なんて…」

風呂に入るまで気づいていなかったのか?
じゃあ、あの時好きだと言ったのは同性として、ということになる。
なら彼女の初恋はいったい…

「あっ、あの引きました?」

「い、いえ…それで?」

次々に知らされる事実に皿を拭く作業が全然進まない。

「あっ、はい。それでその子から誕生日にもらった最初のプレゼントがザリガニだったなぁって」

しかもバケツいっぱいの。と言った彼女に思わず苦笑いする。あの時は本気で彼女がザリガニを好きだと思っていたのだ。

「ふふっ、私もなんでザリガニ?なんてその時は思ったんですけど彼の嬉しそうな顔を見たら何も言えなくて…それで来年は少量を希望したんです」

そうだ。あまりにも多くて、一緒の水槽に入れたら共食いしてしまったと彼女が泣きながら報告したのを今でも覚えている。だから翌年はカッコいいと言っていたクワガタ一匹にしたのだ。

「そしたら翌年は一匹のカブトムシを貰いました」

…は?と安室は彼女を見る。

「………カブトムシ?」

確認するように訊いた。

「えぇ、カブトムシ。大きな体に立派な二本のツノがついてて…」

二本の角なら、それはクワガタだ。しかも角じゃない、あれは顎だ。と突っ込みたい衝動を必死に堪える。

「なんでカブトムシ?ってその時も思ったんですけど嬉しいだろ?みたいな顔で渡すもんだから…」

今思えば女の子に渡すプレゼントじゃない。掘り返されるとだいぶ恥ずかしい記憶である。実はすごい迷惑だっただろうか。試しに訊いてみた。

「あんまり、嬉しくなかった?」

「え?」

「その子からのプレゼント」

すると夢乃は慌てて首を横に振る。

「ち、違います!語弊があった言い方をしてしまってすみません。すごく、嬉しかったですよ?」

柔らかく笑う彼女。とうとう皿を置いて、ジッとその黒い瞳を見つめる。目が合うと彼女は少し頬を赤らめ、ふいっと俯いてしまった。

「すごく、大切に育ててたんですけど、頑張っても一年経たずに死んでしまって…」

知ってるよ。ごめんね、と泣きながらお墓を作っていたこと。

「それがとても悲しくて、来年はお花にしてって言ったんです」

「お花も枯れちゃうじゃないですか」

当時と同じ返しをしてしまう。すると彼女は眉を下げて小さく笑った。

「でも、押し花にしてとっておけます」

Wおしばなにすればずっと持ってられるW

蘇る言葉。

あぁ、待ってくれ。じゃああの朝顔のしおりはもしかして…

気付いたら「…あの、」と声を掛けていた。

「もしかして…この間、落としたしおりって…」

「さすが探偵さん!そうなんです。引越しの日、ちょうど誕生日だったんですけど、その子が自分で育てた朝顔を持ってきてくれて…母に頼んでしおりにしてもらったんです」

嬉しそうに語る彼女につい意地悪な質問をしてしまう。

「ずっと…そんな、古いものを今でも?」

「古いなんて…私の大切な宝物です」

安室の言葉に少し怒ったような口調で返す彼女。申し訳なさそうな顔をして彼女に謝ったが心の中は幸福感に満ち溢れていた。

「どうして、そんな今でも大切になさってるんですか?」

一歩、距離を縮める。気付いた彼女が顔を上げる。

黒い瞳が、安室を捉えている。

ゆらゆらと揺れているその瞳は目の前の安室ではなく、遠い記憶の少年を思い出しているように思えた。

そして次には優しく目を細めて彼女は口を開く。

「花を持ってきてくれたあの日、気づいたんです。自分の大切に育てたものを…一番の宝物を私にくれてたんです」

そんなことされたら惚れる以外ないじゃないですか

彼女は言った。初恋の男の子の話を。当時を振り返るように、喜色満面な顔で、ほんのちょっぴり頬を赤くして「だからこれから先もずっと大切に持ってるつもりです」と口にした。

「今は?」

「え?」

「今も、その子のことは好き?」

訊きたい。好きだと言って欲しい。

「あはは、どうでしょう。でももう一度会ってその子と恋してみたいですね」

言ったな?後悔するなよ。と安室は目を細める。

「あっ、でもすごく可愛い子でしたから今はものすごくカッコよくなっているかもしれませんね。そしたら私なんて全然相手にしてくれないかも」

困ったように笑いながら彼女はこの話を終わらせようとする。

「もしかしたらモデルかホストになってたりして…。それか若いパパさんかも」

「なってない」

言ってしまった言葉。取り消すことはもう出来ない。困惑した顔の彼女が安室を見る。

「なってないよ」

もう一度、言った。震える唇が、疑問を口にする。

「な、んで安室さんが…」

「君の背中…ちょうどここらへん…」

つぅと背中の真ん中ら辺を指先で触れる。彼女の背筋が伸び、緊張が走ったのがわかった。

「ハートのような変わった形のホクロ、ないか?」

「えっ…な、なんで」

「朝顔、その男の子は鉢ごと持ってきただろう?」

「え、ど、どうして…そのこ、と」

「ちなみにカブトムシではなく、クワガタだ」

「…え?あれカブトムシじゃないの?」

「君が、クワガタのほうがカッコいいって言ったんだろ」

「そんなこと言ったっけ?っていうか、え?あれ?」

漸く気づいた彼女が目をまん丸にして口を開く。

「れーちゃん、なの?」

「もうそんな呼び方やめてくれ。男だって…わかってるだろ?」

その言葉に彼女の顔はカァッと赤くなる。

「一緒の布団で何度も寝たし、お風呂だって何度も入らされた」

「わーーーー!」

声を上げ、皿で顔を隠す彼女。

朝顔の花言葉、知ってるか?
はかない恋、固い絆、結束、愛情、愛着…

そのほかにWあなたに私は絡みつくWだ。


顔を見せて、と皿を待っている手に触れる。ピクッと体が小さく跳ねる。こちらを窺うようにちらり、と見えた瞳は涙で潤んでいた。

抱き寄せ、腕の中に閉じ込める。

「また…好きになってくれる?」

耳元で、想いを告げれば彼女の体はカクンッと膝から力が抜け落ちてしまう。それをがっしりと彼女の腰を腕で支えた。

近い顔に気付いた彼女は赤い顔でパクパクと口を開閉させる。そんなウブな反応を見せられて今まで変な男に捕まらなかったのかとすごく心配になった。クスッと笑った零に対し、彼女は揶揄われていると勘違いしたのか少し口を窄めた。

「…お、お人形遊び…してくれたら、考えても、いい…かも?」

小さく、か細い声で幼少期と同じようなセリフを冗談で吐く。幾つだと疑いたくなるようなその返答。どれだけしたかったんだ、と零は笑ってしまう。

「一回したからもうしない」

顔を近づけ、子供の頃とは違う色付いた唇に自分のそれを重ねたのだった。


終わり
2020.7.7


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