短編集

□来訪
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【今からそっちにいく】

夜もう12時を回ろうとしていた時、風呂から出ると短文でそれだけが送られてきていた。あー…これは不機嫌だな、と夢乃は察する。ちなみにいつもは今から行っても大丈夫か?とか起きてるか?とかこちらの状況をまず確認するメールが来る。

たった今シャワーで済ませただけであったが「湯ぐらい張ってやるか」と多分あと10分ほどで来るであろう彼のために色々準備する。

ご飯…は作る時間なさそうだからさっき食べた夕飯の残りで我慢してもらおう。そもそも食べる時間はあるのだろうか。

パタパタと部屋を駆け巡っているとガチャリ、と鍵の回る音。

おっ、きたきた

出迎えたが、お邪魔しますとも、こんばんはとも言わずに乱暴に靴を脱ぎ捨て、黙って入ってくるあたりやはり機嫌が悪いのだとわかる。

「風呂出来てるよー」

靴を直しながらその不機嫌な背中に声を掛ける。彼は黙って着ているスーツやらシャツやらをその辺にポンポーンと脱ぎ捨てながら脱衣所に向かう。W脱衣所Wの意味がなく、そこにたどり着く頃には一糸も纏っていなかった。靴を揃えた後、夢乃は彼のあとを追いかけるようにそれを拾い上げていく。

シャワー音の後に湯に浸かる水音が聴こえる。入浴剤、お気に入りの入れておいてやったからな。感謝しろよ、と軽く摘める程度の惣菜をローテーブルに並べながらそんなことを思う。

会話一切ないけど喧嘩しているわけではない。2、3ヶ月に一回何故だかわからんが必ずこういう日がある。

いつもより少し長めの入浴時間。
それに夢乃はほくそ笑む。これで心も体も少しは解れるはずだ。存分に解されてきてくれ、と夢乃はテーブルに頬杖をついて彼が出てくるのを待つ。




「スウェット置いておいたじゃん」

パンイチで出てきた男に、やれやれと溜息をつく。ポタポタと髪からしたたり落ちる滴にギョッとする。床に垂れてんですけど⁉と慌ててタオルを持ってくると彼はちゃっかりローテーブルに用意した惣菜を口にしていた。

彼が座るその後ろにはベッドがあり、夢乃はそこに座ってちゃんと拭けてない頭をタオルでグシャグシャと拭いてやる。

ドライヤーも持ってきて、美味しいとも、不味いとも言わずにもぐもぐしてる彼の髪を乾かす。されるがままだ。

いつもだったらご飯と風呂の時間を必ず空ける人だ。飯の最中にドライヤーで髪を乾かすなんてそんなお行儀の悪いこともしない。スマホも見ない人だ。

食べたらすぐ横になったりも絶対にしない。

だけど、夢乃がベッドに入り両手を広げれば彼は黙って夢乃の胸に埋めるように抱きついてくる。

今日一言も喋んねぇな、なんて思いながら頭を撫でてあげると彼はすぐに寝た。


まだ一時間半しか経ってないのに、仕事だよー、と彼のスマホが知らせに来る。そんなこと言ってないけど振動音でわかる。もうちょっと寝かせてあげたかったな、なんて思いながらも彼はすぐに起きて夢乃から離れていく。

顔を洗って掛けてあるスーツに袖を通し、次にはキリッとした顔で玄関に向かう彼。

何度も見たその背を夢乃は追いかける。


「行ってらっしゃい」


玄関で靴を履いていた彼はピタリ、と動きを止めた。

「……行ってくる」

やっと喋りましたね。

少し恥ずかしそうに「…ありがとう」と言った彼にふふん、と得意げに口隅を上げると頭を撫でてくれた。

甘やかした分、数日後に必ず、お礼なのか、お詫びなのかわからないが、夢乃をベッタベタに甘やかしに来るのだ。想像すると悪くない、なんて思ったり。

彼の温もりがまだ残っているベッドに潜る。数日後来るであろう彼に思いを馳せながら夢乃は眠りについたーー…



早く、会いに来て



おわり
2020.9.26


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