短編集

□good night
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テーブルの上に置きっ放しのスマホが震える。長めの振動はどうやら電話のようだ。洗い物をしていた沖矢は一旦作業の手を止め、タオルで手を拭きながら画面を覗き込む。このスマホの持ち主は現在風呂に入っており、表示されている名前に沖矢は少し考えたのち、スマホを手に取った。

「もしもし」

《………は?》

明らかに彼女ではない男の声。それも沖矢昴ともなればこんな反応にもなろう。

《……どうしてあなたが出るんです?》

冷静に返しているつもりだろうが微かに声は震えており、怒りが隠し切れていない。

「妹は今お風呂でね」

《だからって普通、人の携帯に出ないでしょう》

妹と言っても本当の妹ではない。訳あって沖矢昴の妹として一つ屋根の下で一緒に暮らしている。そんな彼女にあの降谷零が目を付けないわけもなく、何かと接触していたのは知っていたがいつの間にか二人は恋人同士となっていた。

おいおい、大丈夫なのかと初めこそ心配はしたものの彼女もその辺は上手くやっているようで自身の身元も、沖矢昴が赤井秀一だということも今のところはバレる心配はなさそうだとあの坊やからも連絡が入っている。

一番意外であったのは彼だ。反応を見るあたり本気で苛ついているのがわかる。赤井秀一だと探りをいれるチャンスであるというのに失念しているのかそれどころではなさそうだ。勝手に人の私物に触れるのはどうなのだとか、プライバシーの侵害だとか、君がそれを言うのかと思わず言ってしまいにそうなる。仮にも兄であるという自分に対しくどくど説教してくる辺り多分本当の兄妹ではないことも薄々は気づいているのだろう。

つまり沖矢昴に近づくために彼女に近づいたが、どうやら彼は本気で彼女に恋をしてしまったようだ。ミイラ取りがミイラになった、ということだろう。

彼女自身目立つ行動を控えていた筈だが、知らせを聞いた時は驚いた。

パタパタとスリッパの足音。彼女が風呂から出たようだった。近づいてくる足音に未だ文句を垂れている安室に一切構うことなく、沖矢はスマホに唇を寄せた。

「大事な妹だ。傷をつけたりしてくれるなよ」

囁くようにそれだけを伝え、スマホを離す。彼女が部屋の扉を開けた瞬間に沖矢は用意していた言葉を放つ。

「夢乃、安室さんから電話だよ」

その名を聞いて嬉しそうに頬を上げる彼女。その表情にしっかり彼女の方も彼を慕っている事が窺えた。やれやれ、自分の方が長く傍にいたというのに嫉妬してしまうな、と赤井は内心苦笑いを浮かべる。

「ありがとう」

「間違えてタップしてしまったんだが…」

「ふふっ、Wお兄ちゃんWは意外とそそっかしい所があるんだね」

「じゃあ俺は先に寝るよ。あまり夜更かししないように」

小さい子供にするように彼女の頭にキスをする。キスをした部分に手を触れ、恥ずかしそうに肩を上げる。不服そうな顔をしていても何も言わないのはアメリカ生活が長かったのだとずっと言いくるめてきたからだ。多少のスキンシップは許してくれるようになった。

「おやすみ」

「おやすみ、なさい」





日に日にスキンシップが過激になりつつある同居人。困ったものだと二階へ上がっていくその背中を見届けながら夢乃はスマホを耳に当てる。

「もしもし、透さん?お待たせしました」

《・・・・》

何も聞こえないそれに切れてしまったのかと画面を確認する。しかし通話中の画面にスマホを再度耳に当てた。

「…あの、透さん?」

《…今から会いに行ってもいいですか?》

へ?と変な声が出てしまう。一体どうしたというのだろう。少し焦っているような、余裕のない声色は彼らしくない。

「あの、でも今風呂上がりで…」

《構いません》

構いませんと言われてしまった。本当にどうしたというのだろう。

《会いたいんです》

そんなことを懸想人から言われてしまえば、例え風呂上がりでも頷いてしまうもの。

「わかりました。どちらに向かえば…」

《実は、もう家の前にいて…》

スマホを落としそうになってしまう。慌てて窓に寄りカーテンから少し顔を出す。門の所に白い車が見えた。

「ご、五分だけ待って頂けますか」

電話を切り、夜だということも忘れパタパタと家中を走り回る。急いで髪を乾かし、暗くてどうせ顔など見えやしないと分かっていても眉毛だけは何故か気になったので少し描き足した。

扉の前でスー、ハーと呼吸を整えゆっくりと扉を開ける。気づいた彼が門の所で申し訳なさそうに小さく手を振る。

こちらも手を振りながら駆け寄り、なるべく音を立てないよう門を開けた。

「すみません…夜分遅くに…」

「いえ、それよりも何やら様子が変でしたがどうされましたか?」

事件ですか?といつもと様子が異なる彼に心配でそう尋ねる。

「事件…ではないんですが…」

安室は言い淀んだあとそのまま黙ってしまう。それ以上は言えないことなのだろうか。

しかし深く追求することは出来なかった。

自分にも彼に秘密にしていることがあるように、探偵業をしている彼もまた人に言えないことがあるのだろう。何か自分に出来ることはないだろうか。

「あまり力になれないかもしれませんが、お手伝い出来ることがあれば遠慮せず何でも言ってください」

「なんでも…ですか?」

「はい!恋人の特権、というやつです」

なるべく明るい声を出すよう努める。少しでも元気になってもらいたかった。

「恋人の特権…ですか?」

「はい!ってもしかして恋人だと思っているのは私だけです?」

少し意地悪してそう訊いてみる。すると彼は困ったように笑い出した。

「なら、遠慮なく」

はい!と言い終わる前に腕を引かれ、気づくと彼の腕の中に収まっていた。ぎゅっ、と背中に回った腕は力強く夢乃を離す気がないのかと思うほどだ。

外で甘い言葉を囁くことはあっても、抱きしめたりなどのスキンシップは人目を阻む所でいつもしていたから夢乃は驚いた。

「透、さん…?」

彼の背中に手を回す。すり、と寄せられた頭は夢乃の耳を擽った。

「君が、離れて行ってしまいそうで…」

掠れた声が首に掛かる。切なく、寂しい声色は彼の方が消えてしまいそうだった。彼に負けないくらい力強く抱き締めた。

「私…ちゃんとここにいますからね」

ぴくり、と彼の肩が小さく揺れる。

「ずっと透さんの傍にいます」

「ずっと?」

「ずっとです!」

揺れた体に小さく笑ったのがわかった。そんな彼に夢乃も安心する。スンッと彼が髪の匂いを嗅いだのがわかった。ひぇっ、と風呂に入った直後でも緊張してしまう。

「あ、あの、透さ…」

「いい匂い…。お兄さんというあの人も同じものを使ってるんですか?」

何やらトゲがあるような遠回しなその言い方。少々引っかかるが気にしないことにした。

「兄、ですか?兄は何やらスースーするのを使ってますよ。一度間違えて使って目に入った時は大変でした」

ぷっ、と笑い出す彼。漸く元気が戻ったようだ。安心したように夢乃も小さく笑う。

顔だけ少し離し、互いに見つめ合う。熱の籠もった瞳に緊張してしまう。キスをされるのだと分かったから。夢乃の頭を撫で、いつもより長く夢乃の顔を見つめる安室。小さく身を捩る。そんなジッと見つめられると穴が開いてしまいそうだ。それに化粧だって…

「眉毛だけ…描いたの?」

「・・・・・」

思わずそのまま顔を伏せ、隠すように彼の胸に顔を押し付ける。

「そういうこと言うのはどうかと思います!」

「ごめん、ごめん。もう言わないから顔を見せて?」

「声が笑ってます!絶対見せません」

「さっきは何でもするって…」

「時と場合によります!」

「あっ、流れ星…」

えっ!と顔を上げた瞬間に塞がれた唇はいつもより優しく、温かい。何度も角度を変え、時には彼の唇が夢乃の唇を優しく挟む。ふにふにと感触を愉しむように彼は何度も何度も夢乃に唇を重ねる。

さっきまで拗ねていたのに、彼にしてやられたことなどすっかり忘れ、存分に彼とのキスを堪能する。

どれぐらいそうしていたかは覚えていないけれど、沖矢昴から掛かってきた電話で彼が不機嫌になってしまうのはまた別の話。


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2020.12.9


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