短編集

□今夜、めちゃくちゃ仲良くしませんか?
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仕事が忙しい彼となかなか生活時間が合わず、一ヶ月に一度会えるかどうかなんてざらで、長い時なんかは季節を一つ跨いでしまった時もあったり…。

会うたびに真新しい傷が増えていき、理由を訊ねてもはぐらかされるばかり。いつも治りかけのところを見ると怪我をしたこと自体、知られたくないようだった。

連絡が途絶えるたびに、何かあったのではと心配するようになる。
膨れ上がっていく不安や疑心。
精神的に削られていく日々が続き、心はだんだんと疲弊していく。

お付き合いするようになって一年。出会った年数を入れると五年にもなるのに、未だに謎な部分が多く、彼について何も知らないことに気づいて「一緒に暮らさない?」と提案した。

初めて見る彼のキョトン顔。動かなくなってしまった彼に引かれたのだと焦る。一緒にいる時間が増えれば、見えてくるものもあるだろうと思って提案したのだが、一年そこらでの同棲は早かっただろうか。だが、一度口から出てしまった言葉はどうすることも出来ない。ぐるぐると後悔という単語だけが頭の中を駆け巡る。
いっそのこと冗談の一言で終わらせてみようか。

「零くん、その…ってどうしたの⁉︎」

途端、彼がヘナヘナと力尽きたように座り込んでしまった。慌てて駆け寄ると「フラれるのかとおもった」と頬を染め、照れ臭そうに…だけどほんの少し嬉しそうな顔の彼がそこにいたーー。


それがちょうど三ヶ月前の出来事。
会えない時に抱いていた不安は一緒に暮らすことで少し解消されたが、引っ越してきた翌日から今日までここまでかという程のすれ違い生活を送っている。彼が帰ってくる頃には大抵こちらは寝ていて、起床する頃にはもう出勤している状態。仕事から帰ってきた彼をお出迎えするなんて数えるくらいしか出来ていない。
思い描いていた甘い暮らしとは無縁の三ヶ月。
それでもはじめは新しく買った夫婦箸や茶碗、洗濯物に混じる彼の服。二人分の歯ブラシに髭剃りが置かれるようになった洗面所など、一人暮らしのときにはなかった感覚が寂しさを少しだけ散らしてくれた。
しかし今は彼の気配がする部屋の中で、彼の帰りを待つ、という新たな物寂しさを感じている。そばにいてくれるハロの存在がだいぶ救いの存在になっていた。

「でさー、結局互いの生活リズム合わなくて別れたー」

「同棲して一年だっけ?」

「うん」

買い物の帰りに休憩がてら立ち寄った喫茶店。たまたま隣の席の人たちの会話がふと耳に入ってくる。

「もともと休みの日が合わないから少しでも互いの顔が見えるように。ってことで始めたんだけどさ」

悪いと思いつつ似たような状況に思わず聞き耳を立ててしまう。

「洗濯物のたたみ方や食器の洗い方で喧嘩になるわ、料理や掃除はどっちがやるかで毎回揉めるわでもうさんざんでさー」

揉める以前に顔をあまり合わせていないからまだそこまで到達していないが、育ってきた環境が違う者同士が一緒に暮らすというのはやはり多少なりとも衝突してしまうものなのだろうか。

「でも一番ショックだったのは、あっちのほうでさ」

「あっち?」

友人が抱いた疑問と同じように自分も首を傾げる。

「だんだん回数も減ってきて、別れる一ヶ月前とかもう全くなかったよね」

回数?減る?
はて…と考える自分に対し、向こうの友人は気づいたようだった。

「あぁ…そっちね」

そっち…

「別れる時にさ、そのことも言われて」

「なんて?」

「いつも向こうがその気になったら誘ってくる感じだったんだけど、向こうからしたら自分だけが求めてるみたいでもう疲れた…って」

誘う…
求める…

え、もしかして…

ブッ、と飲んでるコーヒーを吹き出しそうになる。そういう会話を公共の場でするとは思っておらず、夜の営みの話だとすぐにわからなかった。

「たまには私の方からも誘って欲しかったみたいなんだけど、もともとそこまでしたいわけじゃないし…」

「わかる。次の日が仕事とかだと、早く寝たいよねー」

あまり…考えたことなかった。思い返せばいつもそういう流れにしてくれるのは彼のほうで…。こちらが何も言わなくても察してくれることが多かったからあまり気にしたことがなかったというか…。

そっ…か…
そういうことでフラれることもあるのか。

ピコン、とタイミングを見計らったかのように短く鳴ったスマホに肩が跳ね上がる。良くも悪くも恋人からで、今日は久々に早く帰れそうだという連絡だった。明日は休みだという内容に一気に花が咲いたように舞い上がる。一緒に暮らしてからはじめての休み。何をしようか、夕飯は少し豪勢にしようかなど、ニヤニヤと隠し切れていない笑顔は周りから見たらきっと気持ち悪いだろう。

「だいたいさぁ、露骨に誘うのもちょっと恥ずかしいっていうか。まぁ、それは向こうも同じかもしれないけど…」

隣席の会話にふわふわと飛んでいた気持ちは再び現実へと帰ってくる。胸元に引き寄せていたスマホは気づいたら膝元へと下ろされていた。

「相手が誘ってきた時と同じようにしてみれば?」

「真似するってこと?」

真似…。目を閉じ、思い起こしてみる。
彼が口に出して直接的に誘ってくることは少なく、だいたいいつもキスから始まっていることに気づいた。
瞬間的に思い出される感覚。
自分より少しだけ大きくて厚い唇が優しく触れる。だんだんと甘くとろけるような、柔らかいものに変わっていき、指先が肌に触れた時にはすでに服が…

「……ッ…」

色々思い出して、両手のひらで顔を覆う。
無理無理!自分からキスして彼の服を脱がすなんてハードルが高すぎるし、いきなりスマートに出来る気もしない!

「今調べてみたら結構同じことで悩んでる人が多いみたい。色々工夫して言い方変えてるみたいだよ?」

どんな!?と食い気味に聞いてしまいそうになる口を固く閉じる。危うく知り合いですらない他人の会話に友達感覚で入り込んでしまうところだった。

「えーっとね…」

聞いたその言葉に、膝を打つ。その言い回しなら、察しのいい彼だ。気づいてくれるかもしれない。
隣席と目が合う。感謝の意と彼女らの会話を盗み聞きしてしまった申し訳なさから軽く頭を下げる。変な奴だと思われたのか、訝しげな表情をする彼女たちに気付かぬふりをして、そそくさと店を出たーー…。





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