甘露の雨
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柔らかい陽の光…
あぁ、これは夢だな、と領は思った。
懐かしい…
これは確か付き合う前。自習の時間にサボって、初めて彼と屋上で本を読んだ時の夢…
理由はわからなかったけど、その時の彼はすごく不機嫌で、試しに屋上に誘ってみたら出てた下唇が元に戻って行くのを見て笑ったっけ。
あの頃はすぐ不機嫌が顔に出て分かりやすかったな…
柔らかい風が吹く。
心地の良い空間で紙を捲る音だけが聞こえてくる。
昼食後、というのもあり満腹感が眠気を誘う。決して彼が渡してくれた犯罪心理学の本がつまらなかったわけではない。警察官になりたいなら知っておかなければならないことだ。ただ…うん。書き方が眠気を誘う書き方なのだ。
あ、ダメ…かも…
ね…ちゃう…
「・・・・」
ふと、目が覚めたら彼の肩に寄りかかっていて、何故か小指同士が絡まっていた。しかも彼の頭が自分の頭に乗っている。
どうしてこうなった。
小指に関しては無意識に自分でやってしまったのだろうか。
でも、見た感じでは絡めているのは彼、の…ほう…
途端に顔が、熱くなる。
どうしていいか分からず彼が起きるまで寝たフリを続けた。
その日から意識して上手く目は合わせられないし、話すときはどもるし、彼には怪訝そうな顔をされるしで散々であったが、時折あの時のことを思い出す。
柔らかい陽の光に包まれて、彼と二人で本を読むのだ。
ずっと、こんな幸せな時間が続けばいいのに、といつも思っていた。
ずっと、ずっと彼と一緒にいれますようにーーー…。
肩を指先でトントン、と誰かに叩かれる。
「風邪ひくぞ」
その声に飛び起きるように顔を上げる。デスクに突っ伏して寝ていたようだ。体が痛い。眼鏡を上げる指先が空振る。もう伊達眼鏡を外して何年も経つのに…。直前まで見ていた夢のせいだ、と自嘲気味に笑う。
暗いオフィス。部屋の電気は消され、点いている灯りは自分のデスクだけ。
窓の外に目を向ければ月がとっぷりと夜に浸かっていた。
「顔に痕がついてるぞ」
頬に手を触れれば起こしてくれた彼がそこじゃない、と自分の頬を指さし痕がついている箇所を教えてくれる。手鏡を取り出し確認すればくっきりと腕時計の痕が付いていた。ついでに変な寝癖が付いている。肩まである長さの髪を手櫛で直す。
またここで一夜を明かすところだった、と領は苦笑いする。デスクの上に置かれているコーヒーに目を向け、眠気覚ましに一口飲む。触れればまだ少し温かかった。左手首につけている年季の入ったヘアブレスレットがジャラ、と小さく音を立てた。
「お前、まだあいつのこと調べてるらしいな」
呆れも含んだその言い方に領は困ったように眉を下げる。
「そのせいで長野県警に暫く出向すると聞いたが?」
「えぇ、そうね」
表向きには、だ。原則として都道府県を跨いだ異動はない。出向という言い方をされているが、明確な理由は明記されておらず、期間も定められていないそれは特例だった。
「別れた男の為にそこまでやるか?それにお前自身がここからいなくなっちゃ意味ねぇだろ」
「貴方がいる」
そうはっきり口にすれば彼は微かに目を開く。
「ここに貴方がいれば有事の際、彼は貴方を頼るわ」
「おいおい」
「どの道、私がここにいても彼が私を頼るとは思えない」
「どうしてそこまで拘る」
「わからない」
「は?」
彼が苛立たしげに腕を組む。
「わからないだと?理由もなしにあいつを調べてたってのか?」
「でも、これで確信が持てた」
「なんのだ」
「きっと、これ以上調べられたら困るから飛ばしたってことでしょ?」
「おまえっ、まさか」
「確信が欲しかったの」
「馬鹿か!」
彼が怒るのも当然だ。自分が今やっていることは警察官としての責務を逸脱している。
「もともと考えなしなところがあるのは認めるわ」
それに、はぁっ!と荒々しく溜息をつき、ガシガシと頭を掻く。
最後には「たく!どいつもこいつもしゃーねーな!」と悪態を吐かれた。
「何かあったらすぐ俺に連絡しろ」
次には真剣な顔で領を見る。それに領は本当お人好しなんだから、と眉を下げる。
「ありがとう」
用件は済んだのか出て行こうとする彼に領は呼び止める。
「ねぇ、松田君って…」
「顔も見たくねーとよ」
ここに来てた?と言う前に被せてきた返答に領は苦笑いする。
買った記憶のない、置かれてから然程時間が経っていないコーヒーに目を向ける。紙コップの部分には『バカ』とマジックで書かれていた。間違いなく松田の字である。
「じゃあね、伊達君」
彼は背中を向けながらも領に手を振った。
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