甘露の雨

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久々に彼女の夢を見た。
柔らかい陽の光に包まれて、あの屋上で本を読んでいた。

W降谷くんW

笑った口元が自分を呼ぶ。
白い手が降谷の手を引っぱる。

W零、こっちW

脈絡なく今度は大人の姿になった彼女がそこにいた。眼鏡がなく、髪が短い。そよそよと吹く風がほんの少し色素の薄い髪を弄ぶ。

優しく下がる目尻。
嬉しそうに上がる頬。

「ーーー」

名を、呼びたいのに声が出なかったーー…



ピリリ!!

「っ!?」

突然の機械音に飛び起きる。降谷はスマホを手にし、部下からの着信にすぐ様気持ちを切り替えた。






「あーーーっ!?」

突然の灰原の大声に阿笠の家にいたコナンと少年探偵団達はびくりと肩を上げる。

スマホを見つめ固まっている彼女にコナンは何があったのかと深刻な表情で問う。

「な、なくなってるのよ…スマホに付けてた…庇護さんのぬいぐるみストラップが!!」

売り切れていたから見本品を店員にお願いして売ってもらったものだ。残り一個の、しかも庇護本人に触れてもらったこの世でたった一つしかない大切なもの。

それを失くすなんて…!!と彼女の落ち込みようは尋常じゃなかった。この様子ではとても修学旅行の為に元の体に戻る薬を頼むなんてことは不可能だ。

灰原の機嫌を…いや!元気になってもらう為にもコナンはストラップ探しに尽力した。





安室は阿笠邸の前に車を停め、工藤邸を睨み付ける。

沖矢昴が赤井秀一の扮した姿であるという証拠をどうにかして掴みたかった。少しの隙も見逃しはしないと眼光鋭く張っていると、突然沖矢が何やら鍋を持って工藤邸から出てくる。そのまま隣の阿笠の家へと入って行った。扉が閉まる瞬間、あの細い目がチラリ、とこちらを見た気がした。

なんだ?

暫くすると子供達と一緒に沖矢が阿笠宅から出てくる。その中にはあの少年もいた。

皆でこちらに向かってくる。仕方なしに安室はサイドウィンドウを下げたーー…





「さて…どうやって探しましょうか?」

コナンから話を聞き、友達が落としたというストラップ探しを手伝う事となった安室はファミレスで難しい顔をして座っている子供達にそう投げかける。

車でそのストラップがあるという千槍駅まで受け取りに行ったまでは良かった。しかしそこで駅員に手渡されたのは別の選手のストラップであった。

状況を整理する為、ファミレスに寄り今に至る。互いに情報交換をし、推察し合う中でどうやら電車に乗り合わせた親子が持っている可能性が出てきた。潮干狩りで千槍海水浴場へ向かったのでは、とコナンが推理する。

潮干狩りは春だよと笑う子供達をコナンが透かさず年中出来るのだと応える。

W潮干狩りW

Wえっ、でも、もうすぐ秋だし…W

W春がベストシーズンだけど実は潮干狩りは年中できるんだW

不意に出てきた昔の記憶に慌てて蓋をする。安室はスマホで今日の千槍海水浴場の干潮の時間を調べる。コナン達が乗車していた時間帯から逆算すると彼の推理は的を得ていた。

「潮干狩りは干潮の一、二時間前に現地に着いているのがベストだから…その電車に乗るのもうなずけるね!」

子供達の表情は明るくなる。次の行き先が決まったところで早速席を立つ。安室は会計を済ませている間に車の中で待っているよう鍵をコナンに投げて渡す。パシッと片手でキャッチしコナンは「ありがとね、安室さん!」と礼を言った。

ごちそうさまー!と子供達の笑顔に、こちらも笑顔で返す。

車両の扉の窓に子供が指で名前らしき文字を書いていたという光彦の証言。情報としてはかなり有力であろう。名前が分かれば捜査の進展も捗る。

子供たちが店を出たのを確認して安室は風見に電話する。ちょうど神奈川方面にいるという彼に協力を仰いだ。


会計を済まし少し遅れて自分も店を出る。ぽつり、と雨が頬に当たる。にわか雨のようだった。

早足で車に向かうと子供達が安室に気づいて車中から手を振る。下がっていた頬に気づいて慌てて口角を上げ、車に乗り込む。

「君たちは濡れなかったかい?」

「ちょっと濡れたけど直ぐだったし大丈夫だよ!」

なっ!と助手席に座るコナンが顔を後ろに向ける。後ろの三人は同意する様に笑顔で肯く。微かに濡れている服を見て、冷えて風邪を引かないよう冷房の温度を少しだけ上げ、車を発進させた。

「安室さん千槍海水浴場の場所わかるの?」

ナビ入力せずに発進させた安室をコナンが透かさず突っ込む。

「昔行ったことあるからね」

「ふーん、そうなんだ」

些細な事も見逃さないそんな彼に安室は胸の内で苦笑を浮かべる。動揺見せることなく応えれば彼はそれ以上踏み込んで訊いてくることはなかった。

曇天の雲を抜け、強い日差しが差し込んだ。上空の強い風によって運ばれる雨が風下に降りてくることによってある現象が起こる。

「わー!お天気雨になった!」

歩美が窓に手をつき空を見上げた。

「狐の嫁入りや、他に天泣なんて言い方もあるそうですよ」

「狐…狐うどんも何か関係あるのか?」

「元太くん?」

後ろの三人の会話に安室は小さく笑う。雨の雫がフロントガラスを滑っていく。陽に当てられきらりと水滴が光る。

目的地が千槍海水浴場のせいだろうか。
それとも今朝見た夢のせいだろうか。
雨は…とくに彼女を思い出す。

あの宝石のように見えていた雫は、もうただの水滴にしか見えなくなっていた。

コナンはスマホを見るフリをして安室を見る。運転の狭間に見せた寂しげに笑った彼の表情が何故か記憶に残った。





砂を掘る音。波音に混ざる笑い声。
昔の記憶を持ち込むように潮風が吹き抜けていく。

波打ち際で彼女と二人、砂を弄っている情景が映し出される。当たり前だが、あの頃の自分たちは何処を探してもいない。

「安室さん?大丈夫?」

小首を傾げ、心配そうに見上げてくる小さな探偵に安室も同じように小首を傾げる。

「何がだい?」

「少しぼーっとしてるように見えて」

「あぁ、日差しが少しキツくてね」

でも大丈夫、とにこりと笑って告げる。

普段は出てこないよう胸の奥へ、奥へと仕舞い込み、大事に蓋までしているというのに時折何かの拍子でぱかりと開いてしまうのは、どうにかならないものか。

未だ腑に落ちない顔をしているコナンに安室はまたもや胸の内で苦笑いする。

ピリリ…と鳴る着信音。安室はこれ幸いと彼の追求から逃げるように電話に出た。風見から窓に書かれた名前を聞いて安室は口隅を上げたーー…。






「安室のお兄ちゃん!手伝ってくれてありがとう!」

紆余曲折を経て無事ストラップを見つけ出した安室達。子供達を阿笠邸まで送り届けると歩美が顔を綻ばせ、礼を口にする。

「なぁ!なぁ!兄ちゃんも博士の家上がってけよ」

「ちょ!元太…!」

元太の言葉に安室は残念そうに眉を下げる。

「僕はこのあと用事があるから、残念だけどこのまま失礼するよ」

「えー!阿笠博士の家に上がって行かないんですか?」

「うん、ごめんね。またの機会に」

残念がる子供達のうち、一人は安心した表情に変わる。そんなコナンに気づかないフリをして安室は車に乗り込む。最後に工藤邸を見上げ、安室はアクセルを踏み込んだ。

沈み始めた陽とともに安室は感情を奥底へと沈めたのだったーー…








「おーい、コウメイ!」

お前にお客さん!と敢助の声にデスクで作業していた高明は顔を上げる。

視界の端に映った女性に高明は席を立つ。

「警部、お久しぶりです」

会釈をする彼女に対し応えるように軽く肯く。

「成瀬さん、お久しぶりですね。話は聞いてますよ。私宛ての荷物があるのだとか?」

「はい。それで無理を承知でお願いしに来ました」

緊張した瞳を向ける彼女に高明は何かを察し、目を細める。

「封筒の、中身の確認の際…私も同席させて頂きたいのです」

細めた目を、高明は微かに見開いた。


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2020.8.30


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