甘露の雨

□17.5
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「ちょっと、領ちゃん?」

練習生に呼び止められ、領はジムを出ようとしていた足を止める。

「ん?なに?」

「今日降谷くんとデートって言ってなかった?」

「デ、デートっていうか…花火を見に行くだけだけど…」

「それで行くの?」

「え?」

「その格好でまさかデートに行くのかい?領ちゃん」

「・・・・」

領はシャドーボクシングやフォーム確認で使用する壁一面が鏡張りになってる所まで行って自身を映す。当然だがそこにはTシャツにジーパン、そしてお気に入りのキャップを被っている自分の姿が映っていた。クルッとその場で回ってみる。とくにダメ出しをされるような点は見当たらないのだが…。

「……え、ダメ?」

振り向き、指摘してきた練習生にそう告げると領には目もくれずにいつの間にか集まっている他の練習生たちと何やら輪になって議論していた。

「やっぱここはスカートだろ」

「いや、待て。降谷くんの好みもあるだろ」

「あれは?前に買ってた白いブラウス」

「バカ、祭りだろ?たこ焼き食う時ソースがつく」

「なんでたこ焼き食う前提なんだよ」

「浴衣…」

一人の練習生がポツリと言葉を落とす。
ハッと皆何かに気づいたように口に手を当てた。

「お前…天才じゃね?」

「確か妹が持ってたから訊いてみるわ」

「ついでに髪もやってもらわないとな。メガネ禁止。おさげ禁止だ。前職美容師のやついたよな?」

「ち、ちょっと…」

あれ、本人そっちのけで勝手に話が進んでいるような。

方や電話する者、方や他の練習生に声を掛けている者とそれぞれなにやら別行動をし始めてしまった。この混乱に乗じて今のうちに逃げてしまおう。様子を見ながら静かに領は出入り口に向かう。

ガシリッ、と肩を掴まれる。
ヒクッ、と口隅がヒクついた。

「降谷くんには一時間ほど遅れるって連絡したから」

「えぇ⁉なに勝手に連絡して…ってうわっ!!」

ヒョイッと領をそのまま肩に担ぎ、スタッフルームに連れて行かれる。

「離して!私を米俵みたいに担がないで!みんな練習は⁉離してってばー!」








突然バイト先から電話があった。出たらジム生からだった。内容はバイトのことではなく一時間ほど彼女が遅れるとの連絡だった。なぜ本人からではなく練習生から?

何か、あったのだろうか。
まさか具合が悪くなったとか?

幸いまだ外には出ていなかったが少し早めに家を出て、降谷は待ち合わせ場所ではなくジムへと向かった。




微かな不安を抱えながらジムに辿り着いた降谷はガラス張りの窓からチラッと施設内の様子を窺うように覗き見る。

あれ?と降谷は首を傾げる。

練習している者が誰一人としておらず、皆一か所に集まって何やら話し込んでいるようだった。

「本当にこの格好で行くの…?」

彼女の声がする。姿は見えなかったがどうやらあの集団の中にいるようだった。

「うん!さっきの服より全然いいよ!」

「可愛い可愛い!」

「俺たちいい仕事したよな」

「あぁ。だがとくにデートの予定のない俺たちはこの後しょっぱい気持ちで練習することになるがな」

何の話をしているのだろう。換気のために全ての窓が空いているとは言え少々聞き取り辛い。

「あれ、降谷くん?」

背後からの突然の声に肩が跳ねる。振り向き様に「今日バイトの日じゃないよね?」とロードワークから戻ってきたのだろう練習生にそう指摘される。


「え?降谷くん来てるの?」


中からの声にバレてしまった、とソッと顔を前に戻す。案の定、皆視線をこちらに向けていた。仕方なく降谷はジムへと入る。

「本当だ!降谷くんじゃん!」

「領ちゃん!彼氏が迎えにきたよ!」

彼女を囲っていた練習生が降谷のことを見せようと皆体を退かす。

出てきた彼女の姿を見て、降谷は放心してしまう。

「…っ…」

浴衣姿だった。眼鏡を外し、髪を結い上げているその姿はいつもと雰囲気が違う。

「・・・・」

「・・・・」

お互い黙ってしまう。領を見つめている降谷に対し、彼女は俯いてしまう。気恥ずかしいそうに肩を窄め、領は降谷と目を合わそうとしない。

「成瀬、その格好…」

「や、やっぱり着替えてくる」

クルッと踵を返そうとする彼女の手を慌てて掴む。

「に、似合ってる!」

彼女は振り向かない。けど晒されている耳や首は真っ赤だった。

「だから、その…花火、いこう…」

反応を求めるように繋いだ手をぎゅっと握りしめる。彼女は少しの間を置いてこくり、と小さく頷いた。

「ほらほら!急がないと花火、始まっちゃうよ!」

一人の練習生が彼女の肩を持ち、ぐいっと体を前に向けさせる。髪につけている簪が小さく揺れる。向かい合わせになり、間近で見たその顔に見惚れてしまう。ほんのりと薄く化粧が施されていた。

ニヤニヤと見られている周りの視線に気づきハッと我に返る。

「そ、それでは…行ってきます」

居た堪れなくなり、彼女を引っ張るようにしてジムを出た。




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