甘露の雨

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毛利小五郎が何人かの長野県警の刑事と面識があるのは知っていた。だからいつか彼女とも会う日が来るだろうと予測はしていたのだが…。

しかし…まさか店に来るとは…。

ポアロがガラス張りになっていて良かった。まさか降谷がここで働いているなど彼女は微塵も思っていないだろう。ガラス越しから興味深しげに店内を覗いているその姿はどんなに月日が経過していても彼女だとすぐに分かった。

安室透として無理にでも接すればきっと彼女は人違いだと諦めただろう。

しかし、それが出来なかった。

一瞬しか見えなかったが彼女の手首には降谷が高校時代にあげたヘアブレスレットをしていた。二十歳の時にプレゼントしたネックレスではなく、どうしてあんな古いものを…。

家に帰ると、降谷はずっと納戸の奥へと仕舞いっぱなしだったあるものを取り出す。箱の中に入っているそれは唯一捨てることが出来なかったものだった。

箱の上からソッと優しくそれを撫でると突然ブブッとスマホが震えた。安室透が使用してる方のスマホだ。画面を確認すれば珍しい人からのメールだった。内容を読み、すぐ様今日明日入っていた予定を全て別日に移動する。

風見に連絡をしたところで、送り主の毛利蘭に返信を打つ。

【旅行行けますよ!今日のシフトは午前中までなので、ポアロが終わり次第すぐ事務所へ向かいます。園子さんにお大事にと伝えて下さい】

彼女から来たメールは一泊二日、自分の代わりに長野の探偵旅行に行って欲しいとのことだった。本来行く筈だった園子が風邪で行けなくなり自分も見舞いがてら看病をしに行きたいのだと。

依頼主の都合で必ず四人連れて行くことが条件らしく、ミステリー好きが好ましい…なんて、なんとも奇妙な依頼主だ。しかしこちらもタイミングが良かった。マスターが友人と温泉に行く為、店もちょうど今日の午後から明日一日と休みとなっていたから。

長野か…。

降谷は箱の中から大事にそれを取り出す。まだ動いているのを見て、一緒に時を歩んで来たんだな、と文字盤に触れたーー…。






長野の山奥にある潰れた教会で長野県警の到着を待つ。夜が明け、コナンは古びた扉をゆっくりと開け、外の空気に触れる。白い息とともに吐き出された溜息。犠牲者を二人も出してしまった。

夜通し唸るほど吹雪いていた外界は嘘のように今は静かで、白んだ空を見上げながら一歩、足を踏み出す。積もったそこは足を動かす度にググッとくぐもった音を出した。

ザクッと後ろから別の足音。隣に立つ安室透をコナンは黙って見上げる。彼は朝日に照らされた一面の銀世界をどこか遠い目で見つめていた。安室透は時々こういう顔をする。灰原のストラップを探していた時もそうだった。どこか…寂しげな目で遙か遠い所を見つめるのだ。

「なんだい、コナン君」

そんな見つめて、と戯けたように訊く彼にコナンは苦笑いを浮かべる。どうせ訊いても彼は素直に教えたりなんかしないだろう。なんでもないよ、と応えると彼は優しい顔で笑った。

「あっ、コナン君来たみたいだよ」

微かに聴こえる雪を踏むタイヤの音。彼は毛利先生を呼んでくるよ、とまた教会の中へと入っていったーー…。



長野県警が大挙。少し遅れて別のワゴン車が停まり、そこから敢助と由衣が降りてくる。「ったく、二人も殺されやがって…」と悪態吐きながらやってくる敢助に小五郎は「悪かったな…」と返した。

「コナン君久し振り!」

身を屈ませて挨拶をする由衣にコナンも笑顔でそれに応えた。

「で?後ろの二人は誰だ?」

小五郎の背後にいる二人を興味深しげに見る敢助。彼らはドヤ顔をしている小五郎の後ろからひょこりと体を出し、それぞれ自己紹介をした。

「毛利先生の一番弟子の安室透です!」

「二番弟子の脇田兼則でさぁ!」

どこか納得のしていない敢助とは対照的に、隣にいる由衣は小五郎たち三人を羨望にも似た眼差しで見つめる。

水戸黄門…とか思ってそうだな…なんてコナンは呆れ顔でその光景を眺める。

「おいコウメイ!現場検証始めるぞ!成瀬もさっさと出てこい!」

急かすように二人を呼ぶ敢助。コナンはその名に一早く反応した。

「成瀬刑事も来てるんだ?」

車から出てきた二人を見て、やはり彼女本人だと確認する。小首を傾げ不思議そうに尋ねるコナンに由衣はまた身を屈ませ、親切に教えてくれた。

「そうそう!領ちゃ…成瀬刑事はね、先週本部に異動してきたのよ!」

「へぇ…」

ズシャッ…

え?とコナンと由衣は音がした方へと顔を向ける。高明も小五郎と挨拶を交わし、敢助と共に教会に入ろうとしていた足を止め、振り返る。なんと成瀬がワゴン車の前で尻餅をついていた。転んだ際に背中が車に当たったのか車体が大きく揺れ、不運にも大雪で車上に積もっていた雪が滑り落ちてくる。ボタボタッ!と重い雪が彼女の頭を直撃。

シーン…と辺りが静かになる。中々立ち上がらない彼女は立ち上がれないのか、立ち上がりたくないのかどちらか分からなかった。覆い被さった雪で表情が見えない。

「領ちゃん!大丈夫⁉」

固まっていた由衣がハッと気付いて慌てて駆け寄る。コナンもその後ろをついて行った。由衣と一緒に頭に積もっている雪を払い除けてやると彼女は真っ青な顔で何かを見つめていた。まるで幽霊でも見るかのように。

なんだ?いったい何に驚いて…

「領ちゃん?」

由衣が心配そうに顔を覗き込む。そこで漸く彼女は由衣とコナンに気づき、酷く慌てた様子で捲し立てる。

「す、すみません!大衆の面前でコケたことが恥ずかしく、しばし現実逃避をば…」

「領ちゃん!領ちゃん、落ち着いて!階級も歳も一緒なんだから私にそんな敬語使わないで!」

ハッと我に返ったのか「ごめん…」と前髪に付着している雪を払いながらくしゃり、とそれを握った。

「大丈夫?具合悪いなら車で待ってる?」

「ありがとう。でも大丈夫。ごめんね、すぐ立ち上がるから…」

成瀬は苦笑いを浮かべながら立ち上がろうとするが、すぐに膝を突いてしまう。足に力が入らないようだ。膝が震えている。由衣が手を貸そうとしたとき、横からにゅっと別の手が伸びてきて、彼女の腕を掴んだ。

「なーにやってんだてめぇは…よっ!」 

「わっ…!」

片手は杖でバランスを取るのも難しいだろうに、敢助はそんなことを微塵も感じさせずに、彼女の体を軽々しく引き上げ、無理矢理立たせた。

「あ…ありがとうございます。すみません、ご迷惑をお掛けして」

「領さん、寒いなら私のマフラーをお貸しします」

高明は車からマフラーを取り出し、彼女の首に巻き始める。一度断わろうとしていた彼女だが、次には素直に礼を言い表情を隠すようにそこに顔を埋めた。

「ったく!これだから東京もんは」

「いい歳して恥ずかしいです…」

「ちょっと!敢ちゃん!領ちゃんはこれでも長野に来て長いんだから、東京もん扱いしないで!」

「長野もん扱いされても嬉しかねーだろ」

「馬に乗れるようになったので、そろそろ長野県民の方に認められたいです」

「領さん。馬に乗れるのが長野県民になる条件ではありませんよ」

「つーか馬鹿にしてんだろそれ」

「いえ!これでも割と真剣に乗馬に取り組んで…」

「領ちゃん、弓まで打てるようになったものね!」

「お前は何を目指してんだよ」

四人はそんな会話をしながら教会の中へと入って行く。途中、小五郎たちに目を向けて彼女はぺこり、とお辞儀をした。そんな彼女に小五郎は首だけ動かし軽く応える。他二人はそんな彼らを横目で見送っただけだった。

「毛利先生はあの女性ともお知り合いで?」

興味があるのか安室は彼女のことについて尋ねた。

「あぁ、ちょっと前に事件でな。三人は幼なじみだと聞いたが、成瀬刑事も大分馴染んでるようで安心したよ」

「事件ですか…是非ともその時の毛利先生のご活躍をお聞かせ願いたい」

「ったく!しょうがねぇなぁ!」

嬉しそうな顔の小五郎と談笑している安室透をコナンはジッと見つめる。



なぜなら、彼女が真っ青な顔で見ていたその視線の先には彼がいたからだーー…。



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2020.10.22


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