甘露の雨

□伍
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それは陣平も自分も今よりも煙草を吸う前の話し。警察学校に入校してすぐのころだ。

とある自由時間。あまり出入りの少ない教室に入り、窓に手をついてぼんやりと外を眺める。陣平が高いところが好きなように、自分にもついつい赴いてしまう場所というのがある。といってもこの教室に拘りがあるというわけではなく、静かで、一人でぼんやりできる場所ならどこでもよかった。

上の階から散り始めている桜を見下ろす。すると桃色の景色に金色と黒が混ざる。あの目立つ髪色をした彼は同じ班であり、昨夜陣平と殴り合いの喧嘩をした優等生…降谷零、だ。全科目オールAで総代まで努めた彼はもっとお堅い人間なのかと思いきや陣平と互角に殴り合える、なかなか破天荒で面白い奴だ。そんな彼が珍しく女生徒と親しげにいる。驚くべきことにその女生徒というのが陣平を天パ野郎と呼んだ子だった。

二人の距離感から友達以上の関係なのは察しがついた。友人である諸伏景光に向ける笑顔とはまた異なる柔らかな表情。話す時の仕草や体の向きを見るに降谷零が彼女を想っていることは一目瞭然だった。

へぇ、意外。

彼が女生徒と親しくしている姿を見なかった為に、恋愛というものに興味がないのかと思った。

しかし彼女の方は彼に想われていることを知ってか知らずが表情は普通だった。微かに口角は上がっているものの、降谷ほど柔らかい笑顔ではなかった。彼の片思いなのだろうか。

興味本位でついつい観察してしまう。しかし腕時計で時間に気づいた降谷が先にその場を去ってしまう。自分もそろそろ次の講義の場所へと移動しなければならなかった。

何気なく最後に彼女を見る。

「……おっと、これは…」

思わず口を薄く開けたまま固まってしまう。先程は普通に話していたというのに、彼が去った後、頬を染め、その背を愛おしそうに見つめている。その表情につい釘付けになってしまう。

あんな好きで好きでたまらない。って表情を向けられているというのにその本人は背を向けている。

あぁー…あんな顔してるって一生気づかないんだろうなぁ…

つまりは、あの表情を知っているのは自分だけ、という訳で。何故かその事実は萩原の頬を緩ませる。思わず口元を手で押さえ、理解し難い優越感に浸りながら教室を出た。

どうやら降谷零に恋をしている不器用な彼女を可愛い、と思ってしまっているみたいだった。

「あ、萩原!」

次の講義に向かう途中、同じ班の諸伏がどうやら自分を探していたようで、次の教室へと向かいがてら話を聞くことになる。

「それで諸伏ちゃん、話って?」

「松田のことなんだけど」

「陣平ちゃん?」

「うん…ゼ…降谷が何かしたとも思えなくてさ。仲のいい萩原なら何か知ってるんじゃないかって」

「まぁ、それなりには?」

「彼は…警察が嫌いなのか?」

「…恨んでは…いるかもねぇ」

「理由を訊いても?」

まぁ確かに陣平のあの様子だと絶対に己の過去など話さないだろう。萩原は彼の父親、松田丈太郎のことを話した。あの事件がきっかけで陣平は今も警察を恨んでいる。

「でもそんなに恨んでいるなら何故、警察官に?」

「それだけは訊いても教えてくれなくてさ…何か考えが…」

ふっ、と廊下を横切る女生徒を思わず目が追う。透かさず萩原は諸伏の腕を掴む。降谷零と仲が良い諸伏なら何か知っている筈だ。

「ね、ねぇ!諸伏ちゃん!あの子、知ってる?」

「あの子?」

「ほら今あそこで本を片手に持ってる」

「あぁ成瀬か。知ってるも何も高校からの付き合いだよ。彼女がどうかした?」

「陣平ちゃんに向かって天パ野郎って言ったんだ」

「えっ、成瀬が?」

これには諸伏も意外だったようで話を途中で変えたにも関わらず目を丸くして驚いていた。

「でしょ?見た目からしてそんな事言う子に全然見えないよね」

「・・・・」

顎に手を当て少し考え込んでいる諸伏。しかし次には「あー…なるほど。はいはい…」と一人納得したように頷きプッ、と吹き出した。

「まったく成瀬らしいな」

可笑しそうに笑う諸伏に首を傾げる。気づいた彼が困り顔で笑いながら口を開いた。

「Wパツキン野郎Wが気に食わなかったんじゃない?」

ぱちり、と瞬かせる。しかしだんだんと意味を理解し、なるほど…と萩原の顔も笑顔になる。

「どんな子?」

「どんな子って…成瀬のこと気になるのか?」

「うーん…ちょっと?」

あまり話したがろうとしない諸伏に気づいて少しだけ斬り込んでみた。

「やっぱり降谷ちゃんと成瀬ちゃんって…出来てるの?」

ヒクッ、と諸伏の口隅が動く。萩原はそれを見逃さなかった。その表情こそW答えWだと思った。しかし彼はすぐ様硬くなった表情を誤魔化すように口を開く。

「さあ?確かに仲はいいと思うけど…それよりも次の講義さ…」

態とらしく成瀬の話題から逸らそうとする。泳ぐ目を見て薄く笑う。付き合っていることは内緒にしたいんだな。

高校から付き合っているのだろうか。あの様子だと喧嘩など縁がなさそうだな…なんて、その時は思っていたっけ…。




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