甘露の雨

□陸
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講義中、突然ガラッと教室のドアが開かれ、顔を覗かせた鬼塚に担当教官は困惑の表情を浮かべる。

「鬼塚教官?ど、どうされました?」

動揺している教官そっちのけで鬼塚は教室内を見渡した。誰かを探しているようだ。すると自分と目があった瞬間、鬼塚の表情が変わる。

「・・・・」

「……?」

ジッと自身を見つめてくる鬼塚に物凄く嫌な予感がした。







「成瀬、どうだ?吐く気になったか?」

「・・・・」

「あいつらは今どこにいる⁉」

テーブルに乗せられているスタンドをこちらに向け、ワザと光を顔に当ててくる。嫌がらせだろうか。だいたい少し前から気になっていた。いくらコンビニ強盗の一件があったからといってここまで邪険に扱われる必要があるのだろうか。

そもそも何故自分は違う教場の教官に取り調べのようなものを受けなくてはならないのだろう。

事の発端は今から三時間ほど前、伊達班員に体育祭が終わるまでの一週間、毎日風呂場の掃除を命じたらしい。しかし様子を見に行けば誰一人としてその場にいなかったとのこと。だからといって何故自分が彼らの居場所を知っていると思われているのか謎である。

領は考える。命じられたことに文句は言うかもしれないが、途中で投げ出す彼らではない。何かトラブルがあったのだろう。五人全員がいなくなったというのも引っかかる。

なら、自分がすべきことは…

「いいか、成瀬。私情を挟み、あいつらを庇うとロクなことには…」

「教官…」

「なんだ、やっと諦めて吐く気に…」

「教官こそ、私に対して私情を挟んでいるように見えます」

彼らが戻ってくるまで時間稼ぎをすることだ。







降谷たちは急いで警察学校へと戻る。景光の両親を殺害した犯人を確保し、行方不明であった女児を保護。仕掛けられた爆弾を止め、その後の事故処理などで体はヘトヘトであった。

そんな体に鞭を撃ち、猛スピードで泥で汚れた風呂場と脱衣所の掃除に取り掛かる。

「伊達!いるか?」

とある男生徒が風呂場に入ってくる。彼は伊達の姿を見つけると少しホッとした顔を見せた。

「よかった、やっと見つかった」

「何か用か?」

「実は別の教場の女子に君を探してくるよう頼まれたんだ」

「…理由を訊いても?」

「今、君の彼女が鬼塚教官から取り調べを受けてるみたいで…」

「は…?」

彼女はナタリー以外にいない。ナタリーが取り調べを?しかし彼のこの様子だと彼女のことを指しているとは思えなかった。

だとしたら…

伊達は降谷を横目で見る。案の定、片眉を上げ、渋い顔をしていた。彼も成瀬のことだと察したのだろう。

この間の合コンの時にしっかりと誤解は解いた筈であるのに、一度広まってしまった噂はなかなか収束に時間が掛かっているようだ。

「どうして彼女が鬼塚教官に?」

しかし誤解を解くより情報を得る方が先決だと判断した降谷はその事には触れず、話を進める。

「どうやら君たちが関係しているらしいんだけど…」

ちらっと気まずそうに伊達たちを見るその男生徒の視線を受け、降谷たちは顔を見合わせる。

「もしかして成瀬は俺たちが居なくなったことでトバッチリを受けてるんじゃ…?」

「ゼロ、行ってあげて」

「ヒロ、しかし掃除が…」

「あと少しだし、ついでにもうちょい時間稼ぎよろしく」

「松田まで…」

「え、え?彼氏の伊達が行くんじゃないの?」

「はーい!君はちょっと黙っていようか」

困惑している男生徒の口を萩原が後ろから手で塞ぐ。迎えに行くよう皆で降谷に視線を向ける。降谷はそれに応えるように肯き、デッキブラシを置いて走り出した。






「私が君に私情を挟んでいるだと?」

「そのように感じます」

「そうか…」

鬼のように吊り上がっている眉がほんの少しだけ優しく下がるのを見て、領は肩透かしを喰らう。てっきり怒号を浴びせられるかと覚悟をしていたのだ。

そんな領を他所に鬼塚は懐に手を差し込み、手帳を取り出した。

「この写真に見覚えはあるか?」

鬼塚が手帳の中から一枚の写真を出し、領の目の前に置く。随分と古いものだ。彼の意図がいまいち掴めず領は訝しげにその写真をマジマジと見る。

サラシを巻いた上から特攻服を羽織り、鉄パイプを肩に掛け、ヤンキー座りをしている一人の女性…。なにやら少し自分に似て…

「え…?」

ま、まさか…と顰めた顔のまま、したり顔を向けている鬼塚を見る。察した領に気づいた彼はにんまりとさらに満足そうな笑みを浮かべた。

「お前の母親だ」

「っ!?!?」

二度見した。

「ガーハッハッ!その顔はどうやら知らなかったらしいな!」

大笑いをする彼は心底満足そうだった。

「君のお母さんと私は同期だ」

「ど、どうき…?」

「結構やんちゃをする人だったよ。同じ班だった私はいつもそのとばっちりを…」

「も、もしかして、必要以上に私に目をつけていたのは…!」

「君のお母さんの日頃の行いを知っていたからだ。正義感に溢れ、曲がったことが大嫌いな君のお母さんはそれはそれはもう至る所で喧嘩を…」

母の…思わぬ一面を、思わぬところで知り写真を手にわなわなと口を開ける。そういえば若い頃の写真が一枚も残ってなかった気がする。特に気にも止めていなかったのだが、こんな理由があろうとは…。昔の母の写真であるのに、自分の傷口も一緒に抉られているのはなんなのだろうか。

「教官が、な、なぜ母のこのような写真を…?」

「昔君のお母さんと腕相撲で勝負してな。それはその時に勝った戦利品だ」

「意味がわかりません!そもそもなんでこんなものを後生大事に持ってるんです!?」

「まー…それは、その…なんだ」

ぽりぽりと恥ずかしそうに頬を掻く教官をみて領の頬は引きつる。

「も、もしかして…母のこと、好きだったんですか?」

ゴホンッ!と咳払いで誤魔化し、とにかく!とその写真を領の手から奪い、ズイッと目の前に掲げる。

「どうする?降谷たちの居場所を吐けばこの写真を君に渡そうではないか」

「くっ…」

いや、そもそも居場所を知らないんですけど…と言いたいのをグッと堪える。一気に立場が悪くなり、下唇を悔しそうに噛む。

「鬼塚教官!」

コンコンコンッ!と強めのノック音。零の声だとすぐにわかり、領は顔の緊張を解く。よかった、どうやら間に合ったようだ。この意味のわからないやり取りもようやく終わる…。

安心したようにホッと息を吐く。零の声に鬼塚も気づいたのだろう。運のいい奴め、と何処ぞの悪役かと思うセリフを吐いた。

ドアノブに手を掛け、部屋を出ようとしていた体はぐりん!とまたこちらを向く。その鬼の形相に領の背筋は伸びた。

「平等に接しなければならなかった生徒に対し、私情を挟み、過度な教育を行ったことは認めよう。お詫びにこの写真は君に渡すよ」

最後は優しい仏のような笑みを向ける鬼塚に、領は幽霊でも見たかと思うほどに目を丸くしたのだった。





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