片割れの君

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月明かりだけが頼りのその部屋で、
彼女は窓辺に腰掛け、歌う。

今にも消え入りそうな…
少し掠れた声で…

ベッドに沈んでいる己の体はそのまま寝たふりを続け、カントリージャズを口遊む彼女の歌声に耳を澄ませた。


部屋にまた静寂が訪れる。


薄く目を開き、月夜で照らされる影像の彼女は

ブロンドの髪も、
蒼瞳も
綺麗に装飾された爪も

それは偶像のようにこの暗闇では全て無に等しく、彼女の心の中を覗き込んでいるようだった。

また彼女は歌い出す。先ほどと異なり今度は聴いたことのない旋律。それに乗せられた歌詞は英語ではなく、ましてや日本語などでもない。それはーー…



「バラライカを」

「かしこまりました」

スカイラウンジ。ベルモットは店員にカクテルを頼み、窓辺のカウンターに座るバーボンの隣に腰掛ける。

「彼女、どうでした?」

「いいんじゃない?」

「お気に入り、ですか」

「嫌味な言い方ね」

運ばれてきたカクテルを受け取り、ベルモットはカクテルグラスの中を見つめる。ゆらゆらと揺れ、広がる波紋に視線を落としながらベルモットは口を開く。

「似てるの」

「え?」

バラライカに降り注がれた彼女の言葉はまた小さな波紋を生んだ。

「昔飼ってた犬に」

犬…。

バーボンは口元をほんの少しだけヒクつかせる。そういえばベルモットが風呂に入ってない彼女を無理矢理風呂に入れたとかスコッチが言ってたな、と昨日の会話を思い出す。野良犬でも拾った気分でいるのだろうか。

「い、犬ですか」

冗談半分に苦笑いでそう返す。ベルモットは頬杖をついて光る夜の街を見つめた。

「賢い犬でね。私の言うことは何でもきく忠実な犬だった」

WだったW

その言葉だけで今はその忠実な犬とやらはいないのであろうことを察する。

窓の外を見るその目はどこか遠く、過去を見つめているようだった。

珍しく今宵の彼女は饒舌だ。バーボンは意外そうな顔でその綺麗に整った横顔を見つめる。

「へぇ…貴女のそう言った類の話、初めて聞きますね。因みになんて呼んでたんです?」

それに差して興味はなかったが話しを広げるためバーボンはそう問いかける。組織に重要なものでなくてもこういった些細な会話が何か別の手がかりに繋がることもある。

ベルモットは姿勢そのままにバーボンに一瞥くれる。しかし何も言わず、すぐ様また窓の外に目を向けてしまった。建前でこの質問をしていることなどベルモットにはお見通しなのだろう。

「ルシアン」

意外にも彼女は応えてくれた。猫を好みそうな性格をしているのに余程その犬に思い入れがあるのか。発せられた声色はどこか寂寥感があった。

バーボンは頭の中のあらゆる引き出しを開けた。

「ルシアン…光、と言う意味合いで名付ける国もあるそうですが…この場合フランス語でいうle chien(ル・シアン)。W犬Wの意味に掛けてる…とか?」

ふっ、と皮肉めいた冷笑を浮かべ、彼女はスッと目を閉じる。

「さぁ、どうでしょうね」

彼女はショルダーバッグからスマホを取り出し次の仕事の話へと移っていったーー…








「おい…」

深夜、高層ビルの屋上。黒い服に身を包み、双眼鏡でターゲットのいるビルを監視している彼女にライは声を掛ける。彼女は片手を上げ、視線そのままにこちらに手を振った。片耳につけているワイヤレスイヤホンから微かな音が漏れる。

《ターゲット、B地点通過》

「了解。こちらはライと合流」

互いに無言のままライは背負っていたギターケースの中からライフルを取り出し、ライも片耳に同じイヤホンを付けた。

「狙撃、得意なんだってな」

消音器、スコープ…と取り付けていると彼女が口を開く。

「・・・・」

しかしそれに対してライは応えない。黙って作業を進めた。

「スコッチも得意とは聞いたけど組織ではあんたが一番らしいな。心音で照準ズレたりとかしねぇの?」

「・・・・」

「しかもこのビル風。弾ぶれぶれになりそうだな」

一瞬の隙をついて向かいのビルにいるターゲットを狙撃しなければならないのだ。それも廊下を歩くその瞬間を、だ。

うるさい

単純にそう思った。

「ベラベラ喋る女は嫌いだ」

これ以上口を開かないようW黙ってろWという意味で釘を差しておく。引き金を引く瞬間までこの女は喋っていそうだったから。その言葉を最後にライは集中するべくスコープに顔を近づける。

「俺も口数の少ない男は嫌いだよ」

返ってきた言葉に拍子抜けをする。以前のアマレットなら肩を窄め、申し訳なさそうな顔で謝っていただろう。「ごめんなさい。もう喋らないわ」と。しかし今の彼女は不機嫌そうな声でライに反発する。スコープを覗いている為、彼女の表情は分からないが喋り方からしてまた下唇を出しているのだろう。ここ最近の彼女ならその想像がついた。

ジジッ、と無線が音を立てる。
またスコッチからだった。

《ライ、狙撃は中止だ。バーボンがターゲットのいるビルに入った》

しかしライはスコープからは目を離すことはない。アマレットも依然双眼鏡を覗いたままだ。

「おいおい。判断が早急すぎやしないか?」

W一時待機Wではなく中止と言ったスコッチにライはそう指摘する。

《目的は相手が持ってる顧客データの奪取だ。殺しの指示は出てない》

バーボンはベルモットに呼び出された為、この作戦に入ってなかった。ライがターゲットを狙撃し、その混乱に乗じてスコッチがデータを盗む、という算段だったのだ。だが、メンバーが一人増え、余裕が出来たのなら足が付きやすい殺しをわざわざせずともいいだろう、とスコッチは言いたいのだろう。

しかし本心は殺しを極力したくないようにも聞こえた。

「スコッチらしいな」

言うと思った、と相手には聞こえていないことをいいことに彼女は鼻で笑った。
彼女もライと同じことを思ったのだろう。

《バーボンから連絡があった。任務終了だ》

ライはそこでようやくスコープから顔を離す。帰る準備をしてるライに対し彼女はまだ、双眼鏡を覗いていた。

「何してる」

「あっ、先帰ってていいよ。バーボンが無事ビルから出たら俺も帰る」

バーボンなら平気であろう。スコッチが任務終了と言ったのなら問題はないと思っていい。しかし彼が未だビル内にいるのは確かだ。

「・・・・」

満に一つの可能性もあるか、とギターケースを背負い出入り口へ向かっていた足は踵を返し足先を彼女へ向ける。

ケースを下ろし、腕を組んで壁に寄りかかる。風で靡くブロンドの髪を意味もなく見つめていたがヒマを弄ぶと途端に口寂しくなり懐からタバコを取り出した。口に咥えジッポライターの蓋を片手で開ける。火打ち石を親指で回すと火花が散り、気化したオイルが淡い火に変わった。

大きく息を吸い込むとタバコの先端につけられたその光の斑点はより赤く燃えた。

キンッーー…片手で蓋を閉める音とともに口から勢いよく吐き出される紫煙は空へと飛ばされる。その煙の行方をしばし見届けたところで、未だ真剣に双眼鏡を覗いているそいつにライは話しかけた。

「処女かどうか、気になるらしいな」

彼女の肩が小さく揺れる。そんなこと訊かれるとは思っていなかったのだろう。増してやライに。

「どうして気にする必要がある?仕事に関係ないだろ」

まぁ、知ったのは偶然だ。別任務で帰ってきた時、ドア越しから二人の会話がたまたま聞こえていただけだ。

彼女は黙ったままだ。

様子を見るに恐らくこの話はスコッチにしかしていないのだろう。W今Wの彼女はだいぶ彼に懐いているようだから。

意地悪な質問であることは自負している。先ほど言い返された腹いせも少しあったのかもしれない。だが、ひとつ疑問に思ったことがある。


何故、バーボンに訊かない?


奴はアマレットの教育係だ。スコッチよりはアマレットを知っているだろう。

ならなぜーー…

フッと鼻で笑ったような声。今まで黙っていたその口元は小さな弧を描いていた。

「……雅美に訊いたのか?」

その名にライは薄く目を開く。

互いに顔を合わせていないのに彼女にはライの雰囲気が伝わったようだった。

「意外か?表向きは雅美が通う大学の留学生なんだぜ?恋話の一つや二つするだろ」

記憶を失ってからも通っていたのか。確かにアマレットは日本の大学に通う留学生だ。

表向きは。

しかしそれは広田雅美の監視も兼ねていた。

「なぜ俺だとわかった?」

それは広田雅美…宮野明美が諸星大のことをベラベラと周りに吹聴する女ではないとわかっているから。宮野志保に紹介されたのは後にも先にもあの一度だけ。妹でもない明美の見張り役も兼ねていた組織の女に明美が諸星大との関係を言うとも思えなかった。

「雅美はタバコ吸わないからな」

なるほど。臭いか。気をつけてた筈なんだがな。とゆらゆらと漂う紫煙を見つめる。風向きが変わり彼女の髪が煙と同じ方向に靡く。

「…大事にしてたかもしれねーじゃん」

ぽつり、と呟くように溢した言葉にライはパチリ、と目を瞬かせる。双眼鏡を覗く彼女の後ろ姿をジッと見つめた。

「大学に行って色んな奴にこいつがどんな人間かまず訊いたんだ。で、返ってきた言葉が澄ました、いけ好かない奴だった。とか、男遊びが酷かった、とかそんなんだったんだけど…」

彼女は淡々と語る。まるで別の誰かのことを話すように。己の事だと思っていないように。

「雅美は違っててさ。結構ウブなところがあったって言ったんだ」

また、風が吹く。彼女の雰囲気が一瞬で柔らかくなったのは気のせいだろうか。

「男を誘惑しても、体は極力売らなかったかもしれないだろ?俺が勝手にこいつの体を使うのに抵抗があっただけだよ」

最後はちょっと恥ずかしくなったのか、言葉尻を窄めた。

「…そうか」

フッと鼻で笑う。それをアマレットは呆れられたと勘違いしたのか「はいはい、馬鹿なことで悩んですみませんねー」とぶっきら棒に応える。双眼鏡を覗き込んでいる彼女は少し口角が上がったライの表情に気づくことはなかったーー…



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2020.9.20


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