片割れの君

□end
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硝煙に混ざった血の臭いが酷く鼻に残る。今でも忘れられない。

「お前に、もう一人の人格を作ってそいつにいろいろW教えたW」

血塗れの兄が私に手を伸ばす。

「いいか、よく聞け。今からお前はW俺Wだ。何としてでもW二人Wで生き抜け!」

兄が、何を言っているのか分からなかった。

「俺の、妹を…Wお前Wが守れ」

誰に、何を言っているの?

血で染まった手が視界を覆うように私の目を覆う。小刻みに震える手。恐ろしいぐらいに冷たかった。握ってあげたいのに、体が動かない。

何も、見えない。これじゃあ何も見えない。見えないよ、お兄ちゃん。

石のように固まってしまった体は手を払い除けることも出来なかった。


「おやすみ」


プツンーー、とまるで電源を引っこ抜かれたかのように私は意識を失ってしまったーー…



厳冬、ロシアで育った双子の私たち。しかし両親は言った。二人で一人の人間を演じなさい、と。当時は判らなかったが今思えば組織から逃げ出す為の一つの手段として考えていたのかもしれない。初めからどちらかを犠牲にするつもりで育てていたのだ。片方の死体が見つかれば組織からの追手もなくなる、と。初めからその為の一人だった。しかし両親が自分を男のように育てた時点で答えは決まっていた。身代わりになるのは自分だと。

数秒先に生まれた兄はとても優秀だった。銃やナイフの扱い、勉学、すべてに置いて彼の方が上手だった。大好きなヴァイオリンでさえも…。唯一勝っていたのはこの嗅覚だけだ。しかしそのせいで兄への負担が多くなる。

しかし兄は常に優しかった。
兄が入れた紅茶でロシアンティーを嗜むのが好きだった。

だから、身代わりに死ぬのは自分の方だと思っていた。あの時、兄を守るように前に立ったのは自分だった。自分の方が先だったのだ。

なのに、


なのに、


腕を引かれ、守るように抱き締められる。

「悪いベル…妹を、よろしく頼む」

言葉とともに聞こえる発砲音。放たれた弾は兄に当たる。

「兄さん!」

任務でヘマをしたという両親は自分たちを残してどこかに消えた。生きているかどうかさえ、もはや分からない。

ベルモットに拾われてからも両親の言いつけは守った。この嗅覚があればトラップの位置も把握出来るし、兄への負担も少しは減らせていた。二人で助け合って生きた。

ずっと…

ずっと…

そうやって二人で生きてきた。
生きて、きたのだと思っていた。

いつからか、兄に目を覆われ「おやすみ」と唱えられると私は途端に深い眠りについてしまうことが多くなった。まるで催眠術にでも掛かったかのような…。中から外を眺めているような不思議な感覚。

起きると兄は言うのだ。きっと疲れていたのだと。知らない間に増えている切り傷や擦り傷、そして青痣。記憶が飛んでいることもしばしばあったことに対し、それでも兄は言う。

気にすることはない、とーー…。




暗闇の中をただ、ひたすらに歩み進めていると一脚の椅子が現れる。そこだけにスポットライトが当たっていた。コツコツ、と奥から靴音が聴こえてくる。誰か来た。

兄さんだ。

兄さんは私に気づかずその椅子に座ると何やら一人でずっと喋り始めた。

「その答えを知ってどうする?なぁ、バーボン教えてくれよ。」

バーボン… ただの酒の名である筈なのにどこか恋しくて懐かしい響き。

「ベルモットが何故俺を目覚めさせたかったかわかるか?」

声を掛けたいのに…
声を掛けたら全てが崩れてしまう気がした。

「それはな…」

私はそのまま兄が話してる姿を暗闇の中からじっと見つめる。

「この女が、あんたに恋をしたからだ」

な、んだろ…

身体中の汗が止まらない。胃の部分がきゅっ、と痛み出す。夢である筈なのに、すごく気持ちが悪い

「・・・・」

途端、兄が何かに気づき、口を噤む。そして椅子から立ち上がった。

「バーボン…そろそろ時間だ。眠くなってきた。俺が目を閉じたら、アマレットを看取った時とW同じ言葉Wを掛けてくれ」

いいか、絶対だぞ。

兄がそう念を押し、目を瞑る。すると誰かが「おやすみ」と唱えた。同時に倒れる兄に慌てて駆け寄る。

「兄さん!」

体を揺さぶり、目には見えないがこの光景に見覚えがあった。

あぁ、待って。嫌だ。兄さん。死なないで。

「そこの…椅子に、座れ」

「…え?」

「俺はお前が創り出した偽物の兄貴だ」

「う、そだ」

「嘘じゃない。本物はとっくにこの世にはいない」

途端、血の臭いが鼻いっぱいに広がる。手につく血を見て、私は顔を覆った。

そうだ。兄は、もう…とっくに…

「お前がその椅子に座ったら…二度と俺は表には立たない。約束する」

消えかけている体。震える手が顔を覆っている私の手を握る。

「もう、俺は必要…ないだろ?」

あぁ…あぁ…そうか…そうであったのか。自分が弱いばっかりに、彼を生み出してしまった。私は兄に二度守られ、二度死なせることになる。こんな悲しい顔をさせるほどに…、創り出した兄にまで負担を掛けていた。

兄の手を両手で握りしめる。あの時に出来なかったことを…掛けられなかった言葉を告げる。

「ずっと、守ってくれてありがとう」

兄が目を見開く。

「兄貴じゃないなんて、言わないで?私たち二人で一人、でしょ?」

兄の左目から涙が伝う。私の右目からも涙が頬を伝った。

「消えないで…」

その言葉に兄は鼻で笑った。

「ハッ!ごめんだね。さっさと起きろ、甘たれのW妹Wが」

バーボンが、ずっとお前を待ってる。

カチッ…と何かが嵌る音。暗闇を飲み込むように周りの景色が浮上するように現れる。急な光に目を細める。慣れてきた明るさに徐々に目蓋を開ける。

「アマレット…?」

目の前には心配そうに眉を寄せている想い人…

「バー…ボン…?」

「…っ…」

「…どうして、私…」

抱き締められる体。強く、強く体がひしめく程に。何故だか涙が溢れ出る。生きている幸福感と同時に押し寄せる喪失感。すごく、すごく幸せであるのに、とても、とても悲しかった。

自分の中にあった大切な…
まるで片割れを失ったような感覚だったーー…。








「もう、行くのかアマレット」

ドアノブに掛けた手は止まる。昨夜は互いにそのまま求め合い、生まれたままの姿で抱き締め合った。先に彼が眠りにつくのを待ち、起こさないように物音立てずに支度をしたつもりだったが、この様子だと初めから起きていたのだろう。

「えぇ…」

振り返らずに頷く。彼はアマレットを咎めたりはしなかった。ただ一言「気をつけて」とアマレットの身を案じた。その優しい声色に振り返りそうになる。貴方の首に抱きついて、もう一度その温もりに抱かれ、甘い時間を過ごしたい。キュッと唇を結び、アマレットは振り切るようにドアノブを回した。

「ありがとう」

朝焼けとともにアマレットは組織を抜けた。その後、彼女の消息を知る者は誰一人としていなかったーー…





「貴女は彼女を守っていたんですね」

「・・・・」

ビルの廃屋。誰もいないその屋上にベルモットは珍しくタバコを吹かしていた。

「ジンに彼女がNOCだと疑われていることに気付いた貴女はアマレットを生かすため、僕につかせた」

弱みを握られているベルモットからしたらバーボンをNOCに仕立て上げたほうが都合がよかったのだろう。しかし彼女はバーボンを探ることをやめてしまった。その理由はわかっている。

Wこの女が、あんたに恋をしたからだW

手すりに体を預けているベルモットの背を見つめ、冷えた指先を握りしめる。精神的に脆く、情が移りやすい彼女は明らかにこの組織に向いていなかった。

「まだ冷酷な部分を持ち合わせているルシアンをもう一度目覚めさせるしかなかった」

このまま何も手柄を立てなければNOCでもないのに彼女はジンから粛正を受けていただろう。

Wアマレット、バーボンのことはもういいわ。その代わり…最後に私への忠義を見せてちょうだいW

彼女はベルモットの要求を飲んだ。一時的に仮死状態になるその薬を毒薬だと言って渡し、彼女に死んだと思い込ませることが目的だった。

W私のお気に入りを奪ったのは貴方よ、バーボンW

顎の傷は綺麗に無くなっていたが、指先でその部分に触れる。バーボンの為に死を選んだアマレット。彼女の心を奪ったバーボンを恨んだ言葉。

アマレットを死なせたくなかったのはベルモット自身かもしれない。彼女の性格上教えてくれるとは思わないが、あの言葉の意味はそう捉えることもできる。


手向けをするようにベルモットは口紅が付いたタバコをそっと地面に置き、何も言わずにその場を去ってしまった。風に靡く紫煙が煙のように消えてしまった彼女の行方を指しているようだったーー…。







カン、カン、カンッ…

バーボンは階段を駆け上がっている。スコッチから自分が公安だとバレたこと。そして逃げ道はあの世しか残っていないとメッセージが残されていた。

待て!まだ早まるな!ヒロ!!と必死に階段を駆け登る。

一発の銃声音。汗が滝のように全身を流れる。扉を開け、見えた光景に目を見開く。

「よう、バーボン…久しぶりだな」

銃口を自身の胸に当てていたスコッチ。リボルバーを手で押さえ発泡を止めていたライは駆け上がってくる足音に気を取られ、一瞬の隙を作ってしまう。引き金を引いたその瞬間、彼女が突然横から現れ銃を蹴り上げたのだ。標準は逸れ、肩を貫通することになってしまったが、即死は免れた。

「どうして君が…」

「実はライとはずっと連絡を取り合っていたの」

聞けば組織を抜けた後、ライが色々手助けをしてくれたのだと言う。

「それで今日、もしものことがあるかもしれないからって呼ばれたの」

久しぶりね、二人とも…と柔らかく笑う彼女はアマレット本人だ。しかし先ほどの口調は…

「それにしてもスコッチ、間一髪だったな」

ころりと変わったように片方の口角を斜めに上げて笑う彼女はルシアンだった。それにスコッチとバーボンは驚いたように目を丸くする。無反応なライは知っているようであった。

「貴方たちの手伝いが出来るよう、ルシアンとともに助けにきたよ」

片割れを取り戻し、強くなって帰ってきた彼女は少女のように笑ったのだった。



end
2020.12.30


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