泣いて笑ってまた明日
□ミステリートレイン
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「はい!これハル姉のパスリング」
「え?パス…リング?」
「その日仕事は休みだって蘭から聞いてさ!私からのサプライズプレゼント!」
「サプ…えぇ⁉」
誕生日でもないのにどうしてと困惑しているハルを他所に園子は嬉しそうにそのパスリングをハルに手渡す。
「ミステリートレイン興味ないって言ってたけどさ!」
ニシシ、と笑ってコソッと耳打ちする園子に引き寄せられるようにハルも耳を近づけた。
「キッド様が来るなら話は別かなって思って!」
「んっ⁉」
全く話が見えない。固まっているハルをキッド情報で驚喜してると思った彼女は満足そうに口の端を耳に近づけた。
「ハル姉が私と同じでキッド様ファンなのはもうバレバレよん」
「ちがっ…!ファンってわけじゃ…!」
「隠してもダーメ!私知ってるんだから!キッド様が来る度、毎回欠かさずサイン色紙隠し持ってるの!」
「っ!?」
やだ、バレてたの?恥ずかしい。と羞恥で赤くなる顔を両手で隠す。でも現場に顔を出していたのは本当に最初の頃で、兄の件があってからは、その…大人しくしていたというか…。
「宝石は一等車に展示する予定だって次郎吉おじ様が言ってたから、そこに色紙を隠しておけば書いてくれるかもよ?私もキッド様宛に愛を認めた手紙を贈る予定だしさ!」
「………」
なるほど、とハルは目を細める。
「警察にバレたとき、私も道連れにしようって魂胆だなー?」
「えへへ、バレた?」
あの中森警部が許すはずがない。見つかったら大目玉を喰らいそうだ。
「手紙は受け取ってくれるかもだけど、サインは流石に無理なんじゃないかな。筆跡なんて特に身バレしそうだし…」
「えー?じゃあなんで毎回持ってきてたのさ」
「それは…」
返答に窮していると彼女は少しだけ口を尖らせた。
「…嬉しくなかった?」
「えっ?」
「私…ハル姉が喜ぶと思って…」
うるっ、と目を潤ませた後、顔を隠すように垂れ下がってしまった髪に、ギョッとする。
「普段、お仕事頑張ってるハル姉のために…私…!」
肩を震わせる園子に慌てて彼女の手を握る。
「ごめん!園子ちゃん!そこまで思ってくれてたなんて…!ありがとう!本当はとっても嬉し…っ!!」
「じゃあ決まりね!」
「っ!?」
「まぁ、キッド様本人が来るのは来月なんだけど…」
「園子ちゃん⁉」
顔を上げた彼女の顔は待ってましたと言わんばかりの満面の笑み…ハルは顔面の半分を引き攣らせた。そこに泣きそうな彼女はどこにもいなかった…。
「蘭ってやっぱりハル姉とおじ様の血筋よね」
「どういう意味⁉」
「アハハ!…で?肝心のそのハル姉はどこにいるんだ?」
ベルツリー急行、7号車B室で封筒の中に入っていたWおめでとう!あなたは共犯者に選ばれましたWと行動を指示する内容が記されたカードを見せてもらいながら世良は話題の中心人物であるハルの所在を問う。狭い室内を見渡すまでもなく彼女の姿は見当たらなかった。
「ほら、さっき世良さんも会った被害者役の人から最後にこの推理クイズの答えを解説する探偵役をうちのお父さんにやってほしいって話、したじゃない?」
「あぁ、食堂車で待機しててほしいってやつだろ?」
「そうそう」
「その人からWここはワインもいいのが揃ってるWなんて聞いたもんだから推理クイズそっちのけでおじ様についていっちゃったわけよ」
「なるほどな」
「っていうか世良さんってハル姉に会ったことなかったんだっけ?」
「この間の事件で会った時が初めてだったよね」
「この間の事件?」
「あぁ、コナン君が犯人に誘拐された時か?」
「そうそう。あの時はよく聴こえなかったけど、別れ際になんか話してたよね?」
「あぁ、ちょっと昔話をな」
「え?昔話って…」
ガチャッ!と探偵役に選ばれたコナン達がドアを開いたことでその会話は中断されてしまうのだったーー。
「いやぁ!料理もワインも最高っスねー!!」
ウェイターに気分良く、そう声を掛けた男は次には「で?」と前の席に座るハルに目を向ける。
「なんで、お前までついてくるんだよ」
「この後、推理クイズの解説役をやるんでしょー?飲んだくれにならないよう見張ってないと」
「ったく!お前が座ってちゃ、このポア郎様にお近づきになりたいお姉様方が座るに座れねぇだろ」
自称ポア郎と名乗る兄の小五郎は料理に舌鼓を打ちながらも不機嫌そうにハルを睨む。
「随分浮かれてますね、ポア郎殿」
それはもうちょび髭の末端が上を向いているほどに。他の推理小説には疎い兄だが『オリエント急行殺人事件』だけは本に読みジワができる程読んでいたから、単純に好きなのだろう。その小説に出てくる私立探偵エルキュール・ポアロに彼は今なりきっているのだ。
「ん?野焼きか…?」
何かに気づいた兄が車窓に目を向ける。山から上がる黒い煙にハルはこれから起こる事件を想起させた。
「…っ…」
流石の私でもこのミステリートレインで起こる事件は覚えている。バーボンが一体誰なのか、読者なら手に汗握る展開だったからだ。
大丈夫。大丈夫だ。自分が何もしなくてもコナンらの作戦は成功し、哀ちゃんは助かる。
ぐいっとワインを飲み干し、ウェイターに手を挙げ、新しいグラスをもらう。ハルの飲み方を見て小五郎は片眉を上げる。
「お前、日本酒だけは飲むなよ」
「そもそもメニューにないよ」
軽口を叩く元気はあるのに先程から美味しい筈の料理が全く喉を通らない。タタン、タタンと汽車の心地良い揺れに対し、ハルの心は漠然な不安で大きく揺れていた。
途端車内が薄暗くなる。
どうやらトンネルに入ったようだ。先程まで車窓から見えていた緑溢れる景色とは一変、黒一色のそれに胸の奥が騒つく。
「毛利先生!」
「っ!?」
窓に反射して映った明るい髪色をした男性にハルの心臓は大きく跳ね上がる。あー…そうだった。とハルは額に手を添える。そういえば食堂車で毛利先生と会ったとかなんとか原作で蘭達に言ってたっけな…。
「なんだお前も来てたのかよ」
「はい!毛利先生が行くと仰っていたので!」
ネットで上手く競り落としました!と人懐っこい笑みを浮かべ、最もらしい理由を述べた。
まずい。今日は会うつもりなかったのに…。
「ハルさんもこの間ぶりですね」
薄明かりの下で深く彫られた笑顔は影を増し、ハルの不安を増長させた。
「そうですね」
違和感を与えることなく接せられているだろうか。彼がバーボンとしてこの場にいると思うと落ち着かなかった。もちろん彼が公安の人間で、味方だということは十分に分かっている。哀ちゃんを殺すつもりがないことも知っている。しかし彼は今、潜入している身であり、目的の為であれば兄のパソコンも盗み見るし、信頼を得る為であればハルが作った卵焼きも食べる。
少しの選択ミスが命取りになるかもしれない彼は、どちらに身を傾けるのが有益かを常に天秤に掛けているのではとハルは思っている。
だからこそ、今回の彼は少し怖かった。
毛利小五郎はもう調査対象から外れていると思うが、自分がいらぬことをして、その目がまた向くこともあるかもしれない。
兄は一度キールの一件でジンに命を狙われてる。シェリーが乗車するこのベルツリー急行に毛利小五郎もいたと分かれば今度こそ殺しにくるかもしれない。
「おい、おめー顔色悪いぞ。ワインの飲み過ぎなんじゃねぇのか?」
兄の声に我に返る。気づけばトンネルを抜け、窓にまた景色が戻り、部屋が明るくなったことで誤魔化せていた面様が明るみになってしまった。
「お水持ってきましょうか」
心配そうにこちらを覗き込んでくる彼から逃げるようにハルは首を横に振る。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「ならいいですけど…」
《お客様にご連絡します。先程、車内で事故が発生した為、当列車は予定を変更し、最寄りの駅で停車する事を検討中でございます。お客様には大変ーー…》
「あん?事故だとぉ?」
車内全体に流れるアナウンスに他の乗客たちも騒めき始める。
「僕、状況を確認してきます」
そう言って彼が食堂車からいなくなった途端、体から一気に力が抜ける。知らぬうちに強張っていたようだ。
大丈夫。有希子ちゃんや赤井さんだっているんだ。このままここで大人しくしていれば変に歯車が狂うこともないはず。
何も起こったりなんか…
「何も起こりゃしねーよ」
「…え?」
落ち着きなく揺らしていたワイングラスの動きが止まる。兄はこちらに目を向けることなくぱくぱくと料理を口に運んでいた。
「ったくよぉ!Wあの時Wから事件がある度不安そうな顔しやがって!」
「…っ…」
「この偉大なるポア郎様はそう簡単に死にゃしねーよ!」
惚けているハルを他所に小五郎はネクタイを締め直し、席を立つ。
「おめーは蘭達のところに戻ってろ。俺も行ってくる」
昔と変わらない温かくて大きな手がハルの頭に乗る。
「まっ!例え事件が起ころうとこの毛利ポア郎様がいればちょちょいのちょいだがな!ナーッハッハッ!」
ハルに纏った暗い空気を一蹴するように大口を開けて笑う彼。釣られてハルも吐き出し、哄笑する。
本当にこの人は…こういう時だけ変に鼻が効くんだから。
ほんの少しだけ、泣きそうになったのは誰にも内緒だ。
2021.4.26