泣いて笑ってまた明日

□デザートの前に
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「ハルさん」

探偵事務所の階段を降り、家路へ足を向けたところで呼び止められる。振り返るとそこには仕事終わりなのか私服姿の彼がいた。

「先日はマフラーありがとうございました」

差し出された紙袋。その中にはハルが先日貸したマフラーが綺麗に折り畳まれていた。

「いえいえ!こちらこそご丁寧に。あの時は否応なしに巻いてしまってすみません」

「いえ、お陰で風邪を引かずに済みましたし」

「そういえば子供たちから聞きましたよ。ピンチだったところを助けてくださったとか…」

「偶然そこを通りかかっただけですよ。子供たちが託したというあの例のレシート…ハルさんと別れたあの後、僕の不注意でまた風に飛ばされてなくしてしまいましたし…」

「あ、そうだったんですか?」

「はい…」

彼がレシートに隠されたメッセージを読み解き、子供らを助けに行ったことは知っている。しかし安室がそれを隠したいのであればハルはそれ以上なにも言えなかった。

「あの日、風すごく強かったですもんね」

「えぇ、とても」

「………」

「………」

いかん。自らWあの件Wに触れそうになってしまった上に変な間を作ってしまった。避けねばならないと思えば思うほど、下着を見られてしまった時のことが頭に浮かんでしまい、次の言葉が出ない。当の彼は全くもって気にも留めていない素振りだというのに。

「あの…ハルさん」

「は、はいっ」

名を呼ばれ思わず過剰に反応してしまう。

「このあと時間ありますか?」

「時間ですか?ありますけど…」

少し緊張した面持ちで頬を掻く彼にハルは首を傾げる。

「マフラーの御礼…と言ってはなんですが、どうです?このあと食事にでも」

「え?食事…ですか?」

「はい」

思いがけない誘いに瞼を瞬かせる。しかし素直に喜ぶことは出来なかった。何故なら彼が自分を食事に誘うということは何か必ず目的があるはずだと思ったからだ。

兄のことだろうか。はたまた江戸川コナンに対してだろうか。

どうする?彼が何の情報を欲しているのか知る為にもここは話に乗っておくべきだろうか。それともボロを出さぬよう避けるべき?

「やはり、僕のことは苦手…ですか?」

「えぇっ⁉」

思わずオーバーなリアクションで返してしまう。何故そんなことを訊くのか。WやはりWということは以前からそう思われていたということになる。

「ど、どうしてそんなことを?」

「他の方達と違い多少の距離を感じるといいますか…」

ハルは言葉を失う。何故なら彼との関係は勝手に良好だと思っていたからだ。もし、彼の目にそう映っていたのならそれはあなたがバーボンとしてお仕事中だったから…なんて言えるわけもなく、そのまま言葉に詰まってしまう。

「出来るならこれからも顔を合わせることがあるでしょうし僕に改善できるところがあれば…」

返答に困っているハルを見て彼はそれを肯定と受け取ったようだ。

「ご、誤解です!安室さんが悪いというわけではなくて…」

「誤解…ですか…」

ハルの言葉に納得していないようだった。あからさまに肩を落とす彼に困惑する。多少距離があったとしてもそれを彼がここまで気にする程だとは思っていなかったからだ。

「わ、わかりました!食事、行きましょう!」

付かず離れずの立場でいたかったが、致し方ない。いずれにせよ彼の目的を知るには着いていくしかないのだ。

「いいんですか?」

「はい!少々誤解もあるようですし…」

「でしたら、今車を回して来ますね」

車を取りに行くその背にハルは大変なことになったと重いため息を投げつけた。




「僕のオススメのお店でもいいです?」

「はい、お願いします」

マフラーの振動をお尻で感じながら、シートベルトを閉めたところで、車は発進する。低い車体から見える景色は新鮮で、これがあのRX-7かぁ、なんて興味津々に車内を詳細に眺める。

「車、お好きなんですか?」

「へっ⁉」

「随分顔がにやけてますけど…」

「ッ⁉︎」

慌てて顔をペタペタ触ると無意識のうちに頬が上がっていたことに気づく。気持ちとは裏腹に表情筋は正直だったようだ。何をミーハーみたいに浮かれてるのか。しっかりしなさいと己を叱咤し、慌てて顔を元に戻す。視線を感じ、横目でそろりと見れば運転の狭間で彼がこちらを見ていた。目が合い彼は柔らかく笑った後、また前を向いてしまう。

「…ッ…」

理由はわからないが顔に熱が集まる。彼がポアロで女性客に人気な理由がわかった気がする。ハルは流れる景色に目を向けながら、熱くなった顔を冷ました。




「着きましたよ」

着いた先は最近杯戸町に出来たというお洒落なパスタ屋だった。蘭が前に服部君たちと食べて美味しかったと言っていたお店だ。

「では行きましょうか」

本当に大丈夫だろうか。彼がすでに扉を開けて待っていてくれているその姿はとても紳士だが、地獄の入り口に立つ門番のようにすら今のハルには見えてしまう。色々な不安を抱えながら意を決して店内に足を踏み入れた。

「素敵なお店ですね。ちょっと緊張してしまいます」

店員には聞こえないよう小声で彼にそう打ち明ける。

「実は自分もあまりこういう店には来ないので少し緊張しています」

照れ臭く笑いながらコソッと耳打ちする彼に、いやいや。何食わぬ顔でベルモットとお洒落なお店で食事してるの知ってますよ。なんて心の中で突っ込んでみる。緊張しているハルに合わせて敢えてそう言ってくれたのか、はなまたこれも彼の作戦の内なのか…ハルには判断できなかった。

「ハルさん、お酒はどうしますか?」

席につき、メインが決まったところで彼はドリンク表を手にしていた。お酒で酔わせて情報を引き出そうという魂胆ね。そうはいくもんですかとハルは即座に酒を断る。

「そんな運転手の目の前では流石に遠慮します」

「ここはワインの品揃えもいいんです」

「うっ…」

決断した数秒後だというのにハルの心は揺れ動いてしまう。なんて意思が弱いの。

「僕も代行を頼むつもりですし、どうです?一杯だけでも…」

このワインなんかメインの料理に合うと思うんですけどねぇ、なんて聞こえてくる独り言にゴクリ、と喉を鳴らす。

「いっ、一杯だけなら…」

満足そうに笑う安室を見て、また流されてしまったとハルは頭を抱えたーー…






彼女は小五郎と違い酒には強いようだ。他愛無い話をしながら、結局ボトル一本二人で開けたところで、ようやくハルの頬が赤く染まり出す。聞き出すなら今か、と安室はメインの皿が片付けられたと同時に口を開いた。

「そういえばあの時のハルさん、レシートを見て驚いた表情をされていませんでしたか?」

「え?」

「本当はコナン君のメッセージに気づいていた…とか?」

安室の試すような質問に、彼女は一度目を瞬かせた。互いの視線が絡む中、どうでる?と注意深くその動向に目を向ける。しかし次に彼女が見せた表情に肩透かしを喰らう。ハルは肩の力を抜いたあと、ふふっと柔らかく笑ったのだ。そして「なんだ…そのことだったんだ」と小さく漏らした。

「買い被りすぎです。私に兄のような頭は持ち合わせていませんよ。レシートのことだって後から子供達に聞いたことですし…」

「ではなぜ…」

「タクシー代…」

「え?」

「お恥ずかしながらあの時タクシー代の方に目が向いてしまって『4000円っ⁉高ッ!』なんて思ってしまって」

アハハと後頭部を掻きながら苦笑いを浮かべる彼女。

「本当に何もお気づきにならなかったんですか?」

「えぇ、何も」

「…そうですか」

諦めて安室はそれ以上の言及はしなかった。彼女はワイングラスを置いた後、「あの…」と一呼吸置いてから言葉を発した。

「その…まだ私に距離を感じますか?」

こちらの様子を窺うように目だけで見上げてくる彼女。どうやら安室の言った言葉をずっと気にしていたらしい。

「まだ少し感じますね」

そうですか、と彼女は残念そうに肩を落とす。気にしている彼女には申し訳ないが、仕事に関係がなければここまで執拗にはしないだろう。

「もしかしたら…歳の近い男性と接する機会がここ数年なかったからかもしれません」

「そうなんですか?」

「はい…仲良くなった男性もいたんですが、気づいたら疎遠になっていることが多くて…だから安室さんと話す時、少し緊張しているのは確かです」

「では緊張を解く方法の一つとして話し方から変えてみる、というのはいかがでしょう?」

安室のその提案は意外だったようで彼女は大きく瞬きをした。

「話し方…ですか?」

「前に初めてお会いした時は安室君、と一度呼んでくれたじゃないですか」

「そ、うですけど…」

「嫌ですか?」

「い、嫌ではないです!」

「では決まりですね」

有無を言わさずににっこりと微笑む。距離が縮まれば情報も得やすくなる。半ば強引に話を進めてしまったが、押しに弱い彼女は必ず了承する筈。

すると彼女はグラスに残っているワインを手に持ち、それを一気に飲み干したあと、意を決したように「な、なら!」と酒で赤くなった頬をずいっと近づける。

「あ、安室くんも敬語はなしにしてね」

まだぎこちなさが残る話し方でハルはそう安室に提案する。考える素振りをしたあと、ゆっくりと肯いた。

「わかりました。…あっ」

なかなか難しいな、と照れた表情を彼女に向ける。

胸の内で安室は不思議に思っていた。彼女は今だって安室に気を許してはいない。それは例え酒が入ったとしても。それなのに彼女はW兄をよろしくお願いしますWと言ったり、風邪を引いては困るからとマフラーを巻く。


互いに笑い合う中、全く不思議な人だな、と安室は困った笑顔を向けたのだったーー…



2021.6.5


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