泣いて笑ってまた明日

□サプライズ
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休日の朝。テレビをつけたあと、まだ少し残る眠気を覚ますためにそのまま洗面所へと向かう。
シャコシャコと歯を磨く音に混ざって聞こえてくる知った声。ちらりと洗面所から顔を出せば、テレビ画面に鈴木園子の叔父、鈴木次郎吉が報道陣に囲まれていた。
どうやら秘宝展に展示される『王妃の前髪(クイーンズ・バング)』を今夜いただきに参上すると怪盗キッドから予告があったらしい。ロバノフ王朝の王妃に受け継がれた、世界最大級のガーネットが埋め込まれたティアラなんだとか。

【令和の魔術師(ウィザード)今夜現る⁉︎】とテロップが貼られているテレビ画面をぼんやりと眺める。不意に小さな男の子と指切りを交わす光景が脳裏を掠めた。

「結局サインをもらうことは叶わなかったなぁ…」

なんて…。兄の件があってからキッドを見に行くこともやめてしまったくせに今更何を言っているんだと自嘲気味に笑う。だいたいあの時した約束だって本人はもう覚えていないだろうに…。

「約束か…」

Wハルちゃん!約束ね!次会うときは私ーー…W

「次、会うときは…」

ピコン、と鳴る電子音で我に返る。いつの間にか歯を磨く手が止まっており、再開させながらスマホを手にする。
来ていたメッセージに困ったように眉を下げながらスッスッと指を動かし、送信をタップする。
そのまま出てきた昔の記憶に蓋をするように画面を下向きにしてテーブルの上に置いたーー…。




ハァ、と小さくため息を吐きながら、蘭は折りたたみ式の携帯をパタリと閉じる。

「ハル姉ダメだって?」

「うん…。やっぱり忙しいって。折角和葉ちゃんと一緒に買ったこのお守り、ハルお姉ちゃんに渡そうと思ったのに…」

「あら、なんのお守り?」

コナン、蘭、園子たちと同様、秘宝展に安室と訪れていた梓が2人の間からひょこりと顔を出す。

「縁結びのお守りです。杯戸神社の…」

「もしかして15日でしか買えないっていうお守り?」

「そうです!そうです!知ってるんですか?」

「ポアロのお客さんが話してるの聞いて。でもどうして縁結び?」

「えと、それは…」

梓の問いに蘭は言葉に詰まってしまう。持っているお守りに視線を落とし、黙っていると梓が不思議そうに尋ねる。

「………蘭ちゃん?」

「あっ…えっと…ハルお姉ちゃんにいい人が現れますようにって」

笑顔の中に混じる、寂しそうに下がる眉に気づいて、園子は透かさず話題を変えにいった。

「そういえば安室さん、ハル姉のこと怒らせたんだって?」

すぐ後ろにいた安室は隣にいる小さな少年にチラッと視線を送る。明後日な方向を見ている彼にやれやれと胸の内で肩を上げる。「えぇ、まぁ…」と曖昧な返しをすれば園子は鞄の中をガサゴソと何やら探し出した。

「ならさ、さっきのトランプカード一枚あげる…って、あちゃー…」

先程、変装したキッドがコナンを挑発しに現れた際のことを思い出す。サイン用で持ってきたトランプカードは全て鳩に変えられ、飛んでいってしまったんだった…と額に手を添えた。

「キッド様のサインでもあれば、ハル姉の機嫌なんて簡単に良くなると思ったのに…」

「キッドのサイン…ですか?」

「本人は認めてないけどあれは絶対キッド様のファンよ!」

「えっ、ハルさんってそうなの?」

ブログのハンドルネームを『月下の給仕人』にするぐらい隠れ大大大ファンである梓がすぐさま食いつく。

「前はよく私たちと一緒に来てたんですよ。色紙まで持って…」

「知らなかった〜」

「よくよく考えてみるとさ!蘭のお父さんが事件に巻き込まれてからじゃない?ハル姉がパタっと事件の依頼や、キッド様関連に来なくなっちゃったの…」

「言われてみれば…」

「ハル姉がここ最近、顔を出さないのってそれに関係してたり」

「まっさか〜」

あながち間違っていない推理クイーン園子の鋭い考察がなされている中、その横で何やらスマホを確認していたコナンがクンッと安室の袖を引っ張る。

「安室さん、今ね…」

こそっと耳打ちされた内容に、全く君は容赦ないなと安室は困ったように眉を落としたーー…。






「はーかせ!」

病室に顔を出した人物に、ベッドで横になっていた阿笠は驚いた顔をする。

「おや、ハルくんか?蘭くんからは忙しいから来れそうにないと聞いておったが…」

「たまたま時間空いたからさ!それより怪我の具合どう?」

「このとおり、ピンピンしとるわい」

「よかった。蘭からメールもらったときはびっくりしたよ」

横浜で事件に巻き込まれ、阿笠が犯人に撃たれたと聞いた時は肝が冷えた。誰かが怪我をするとわかっていた時でさえ、不安で仕方がなかったというのに、なにも分からない今となってはその報告は恐怖でしかなかった。

「近々引っ越すとコナン君から聞いたんじゃが…」

「うん、そうなの。来週にはもう米花町を離れる予定」

「寂しくなるのぉ」

「二年くらいで戻って来るよ。それよりも何剥く?持ってきたのは、りんごと梨とバナナと…」

「そうじゃ、ハルくん。来てくれた早々で悪いんじゃが、一つ頼まれごとをしてくれんかの」

「え?頼まれごと?」

「哀くんにこの本を返してほしいんじゃ」

紙袋に入った数冊の本。入院中、暇だろうからと彼女が持ってきてくれたんだそうだ。

「このシリーズ、哀くんも読みたがっておったから…早く渡してやりたくての」

ハルは躊躇する。蘭のメールから今日コナンたちがキッドのところに行っているのは知っている。さすがに主人公とキッドが揃うならメインはそっちであろうと思い見舞いに来たわけだが…

「哀くんがあの広い家で、一人寂しく待っていると思うと気が気でなくてのぉ。様子見も兼ねてお願い出来んか」

その言葉でハルの気持ちは固まる。
届けるくらいなら…大丈夫、だよね?と恐る恐るその差し出された紙袋を受け取ったーー…。





《開いてるから入って》

「あっ…まって!哀ちゃ…」

玄関先で話して大丈夫そうであれば本を渡して帰るつもりであったのに、無慈悲にもインターホンは一方的に切られてしまう。

W開いてるから入ってW

いくら中身が18歳とはいえ、今この家には小学生の女の子が一人で住んでいる状態なわけで。後で鍵はちゃんと閉めるよう言っておかなくては。

「哀ちゃん、入るよー。お邪魔しま…」

パンッパパンッ!と軽い発砲音のような音に頓狂な声を上げる。すると子供たちと沖矢昴が手にクラッカーを持って出てきた。

「え、ど、え…?」

未だ状況が理解できず立ち尽くしていると子供たちが走り寄って来る。

「ハルお姉さん、驚いてる!」

「へへっ!サプライズ大成功だな!」

「慌てて準備したから、飾り付けとか間に合わなかったんですけど…」

「本当はポアロを貸し切って盛大にやるつもりだったんだけどね」

「その分、昴の兄ちゃんがケーキとか美味そうなもんいっぱい買ってきてくれたからよ!」

手を引かれながら息継ぎの暇なく説明され、全ての会話に返事が追いつかないままテーブルの席へと座らされる。

「はい!この帽子被ってください!」

「かぶ…?え?光彦く…」

「飲み物どうぞ!」

「あ、ありがとう…あゆみちゃ…」

「ってことで!今からハルお姉さんのお別れ会をしたいと思います!」

「ハルお姉さんが早く帰ってきてくれることを祈って…」

かんぱーい!!と子供たちのテンションに圧倒され、目が点のまま流されるように乾杯してしまう。

「えと…みんな、どうして…」

「博士にハルお姉さんが見舞いに来たら連絡してもらえるよう伝えてたんです!」

「博士が?」

「昴の兄ちゃん!カレーまだか?」

「もうそろそろ出来ますよ」

「歩美手伝う!」

「僕も手伝います!」

「俺も俺も!」

「あっ…」

まだ話は終わってないというのに、ぽつんと一人取り残されてしまう。乾杯の形のまま固まっているとクスクスと笑いながら灰原がキッチンから出てきた。

「驚いた?」

「哀ちゃん…!そりゃーもう驚いたよ。あっ、この本…博士から」

「本…?」

首を傾げながら紙袋を受け取る灰原に、ようやく本はここに来させるための嘘であったことがわかる。

「さっき、ちらっと光彦くんが言ってたけど…博士が連絡を?」

「えぇ」

「今日病院に行ったのはたまたまなのに、よく皆集まれたね」

「江戸川君が博士の見舞いに行くなら今日だろうって朝早くに連絡もらって」

なぜ、彼には今日行くとわかったのだろうか。それに…

「私がお見舞いに行くかどうかもわからないはずなのに…」

「行くわよ、あなたなら」

そう断言した彼女にハルは面食らう。

「私がわかるんだもの。彼だってそう思ったんじゃない?」

「哀ちゃん…」

うるっときた目元を隠すように顔を少し伏せると被せられた三角型のパーティー帽が前にズレる。
被り直すため頭から外して二度見。
そこにはHappy Birthdayの文字が…

「ぷっ…」

「………」

顔を背け、肩を震わせている彼女を無言で見つめる。

「文句なら彼に」

チラッと視線を送った先にいるのはキッチンで作業している沖矢昴。

「本当は明日ゆっくり子供たちと買い出しする予定だったから…。急遽車を所持してる彼に詳細は伝えずメモだけ渡して買ってきてもらったのよ」

「なるほど」

ハルは再度Happy Birthdayの文字に目を向け、被り直す。このような忙しない状況にしてしまったのも全ては自分のせい。そんな中、皆用意してくれたのだ。

「ありがとう、色々気を遣ってくれて。びっくりしたけどすごく嬉しい」

「新作のフサエブランドの帽子でいいわ」

思った以上の高いおねだりにハルは来月のカードの支払額を頭で計算する。「冗談よ」と後から言われたが、目は笑っていなかった。

「あっ、博士が心配してたよ。一人で寂しいんじゃないかって」

「大丈夫よ。部屋も広く使えて快適だし」

平気そうな顔をしているが、この子は強がるところがあるからなぁ…とハルは困ったように笑う。

「夜、怖い時は何時でもいいから電話してきてくれて構わないからね」

「考えとく」

その返答にハルは安心したように笑う。するとちょうど「カレー出来たよー!」と子供たちの声。運ばれてくる料理が見え、ハルも立ち上がった。

「ハルお姉さん!この後ケーキもあるからね!」

「わー!楽しみ!」

「なぁ、早く食おうぜ!」

「昴さんも早く早く!」

「はいはい」

いただきまーす!!と元気よく重なる声。賑やかな食卓。子供らの嬉しそうな顔。胸の奥がじんわりと痺れるような感覚に、ハルは少し泣きそうになる。

もう少し、みんなのそばにいたかったなぁ…と胸の内でぽつり、呟いたーー。




2022.09.14.


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