泣いて笑ってまた明日

□兄妹⑵
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昔のハルはどちらかというと内気な性格で、英理とは親しかったが同学年の友達はあまりいないようだった。

自分とは正反対のハルの性格を大人たちはよく比べたもので、何かとやんちゃがすぎる自分は教師はもちろん、親も手を焼くほど。加えて悪目立ちするのかよくいろんな輩から目をつけられていたのだが、その皺寄せが妹のハルに行ってしまっていると知ったのはだいぶ後だった。

ハルが小学校入ってすぐの頃だろうか。学校帰りにたまたま同い年ぐらいの男の子に絡まれているハルを見かけた。その時は割って入ってとっちめてやったが、妹は喜ぶどころかその表情は暗く、悲しい顔をしていた。

訳を訊いても口を閉ざしているハル。後日代わりにその男児をとっ捕まえて詳しい話を聞いたところ、その子には兄がおり、先日自分と喧嘩した相手であったことがわかった。兄が負けたことを口実にちょっかいを出していたようだが、底意を探るとどうやら妹に気があるようだった。
もうしないことを約束させ、一件落着のように思えたがハルに笑顔が戻ることはなく、それどころか目元を赤くさせて帰宅することもしばしば。

心配で学校まで様子を見に行くと、この間の子とは別の子に意地悪されていた。どうやらハルにとってそれは日常茶飯事だったようで、悪ガキちびっ子どもを見つけては悪友の伴場と追い払ってきた。自分のその行為がさらに彼らを刺激しているとも知らずに…。

そんなある日のこと。

Wお兄ちゃんなんて大っ嫌い!もう一人がいい!!兄妹なんて…お兄ちゃんなんていらない!!W

そういって土砂降りの雨の中、家を出て行ってしまった。

W相手は毎回お前をダシにして意地悪してくるんだろ?当然ハルちゃんからしたら向こうに好意があろうがなかろうが兄のせいでこうなっていると思うだろうよW

そりゃあ嫌いにもなるさ、と伴場のその言葉にハッとする。英理にさんざん鈍い鈍いと言われてきたが、伴場に言われて初めてハルの気持ちに気づいたのだから世話がない。

町中あちこち探し回って、ようやく近所の公園でハルを見つける。トンネル遊具の中でぐったりした状態で倒れており、熱もひどく、急いで病院に連れていく。しかし症状が回復しても意識だけが戻らず、いくら検査をしても医者は原因不明とぬかした。

家族が心配する中、一ヶ月余りの時を経てハルはようやく目を覚ます。だが皆が喜ぶ中で妹は妙なことを口にした。

「お父さんとお母さんは?」

両親の顔色が変わる。ハルは目の前にいるにも関わらず自分の親はどこにいるのか尋ねたのだ。

「何言ってんだハル。目の前にいるじゃねぇか」

首を傾げる妹に小五郎の背筋にゾッと何か嫌なものが這う。金の絡まないときに限ってこういう勘はすぐ当たるんだ。

小さな目が、真っ直ぐに小五郎を見る。

「どなたですか?」

おいおい、これはいったいなんの冗談だ…。

「お前の兄の小五郎だろうが」

妹はこんな時にこんなくだらないウソをつくような人間ではない。

「毛利さん、もうすぐ先生が…」

病室に入ってきた看護師に青い顔をした両親が詰め寄るようにして看護師と一緒に病室から出ていく。

「お兄さんの苗字…もうりっていうの?」

「あ?」

この凍った空気に似つかわしくない呑気な質問に、お前も毛利だろうがと言ってしまいそうになる言葉を飲み込む。首を縦にして頷けば確認するように「もうりこごろう?」と再度訊いてきた。

「それがなんだって…」

「ふふっ」

笑ったハル。いつぶりか聞くその声に小五郎は呆気に取られる。久々にみた笑顔なのに、とても複雑で、どのような表情をすればいいかわからず口は半開きに開いたままだ。

「あの毛利小五郎と同じ名前だ」

くすくすと小さな手を口に当てて可笑しそうに笑う姿に、妹はついにおかしくなってしまったのかと心配になる。
自身の心を落ち着かせるため、近くにあったパイプ椅子を引き寄せる。そこに腰を下ろし、ハルとの目線が少しでも近づくように背を丸めた。

ジッとハルの顔を見つめる。そんな小五郎を妹は真っ直ぐに見つめ返す。純真無垢なその瞳に膝元に置いてある拳が震えた。

昔からババ抜きは強かった。
中身に当たりが入っているかどうかの勘は外れたことがなくて。
でも…だからってそれをハルに感じるなんておかしな話で。

「お前…毛利ハルじゃ、ねえのか?」

声が震える。記憶喪失にしてはどこかおかしいと鈍い自分でもよくわかった。

「毛利?ハルの苗字は違うよ。えっとね…」

そう口にしたのは全くの知らない苗字だったーー…。



「……よっと…」

背中ですやすやと寝ているハルを抱え直す。

全く呑気なもんだと悪態吐きながらも、そういえば昔も今もいじけると行くのはあの公園だったなとふと思い返す。

意識が戻ってからのハルはその後、精密検査を受けだが異常はなく、一種の記憶障害だと診断された。両親に自分達は親であり、兄がいることを伝えられ顔を顰めていたがしばらくして納得したのか、諦めたのかはわからないが彼女は毛利家の娘として暮らし始めた。

以前の妹とは違い、ハルは活発で明るく、同学年の男児に意地悪をされても仕返しするような子で、Wやっぱり兄妹ねWと言われる頻度が増えていった。
彼女は時折意味不明なことを口走っては何かを発見して急にテンションが上がったり、かと思えば寂しそうに空を見上げることもあって…。

「お兄ちゃん…」

か細い声に頭は一気に現実世界へと引き戻される。

「あ?お前起きて…」

「…ごめんね」

寝ぼけているのだろうか。それは先程さんざん聞いた謝罪だった。

「あの時…」

あの時ってどの時だよ。というツッコミは諦めた。背にかかる重みから恐らく彼女はまだ夢の中。生憎寝言に答えてやるほど小五郎様は暇じゃ…

「ひとりがいいって…おにいちゃんなんかいらないって、言って…ごめんなさい」

思わず歩みを止める。小五郎は驚いて見開いたその目を後ろに向けた。彼女の目は閉じていて、でもその眉は悲しそうに寄せられていて…

「ごめん…なさい」

「…んなの…まったく気にしてねぇよ」

何故だろう。懐かしい感じがする。直感でW妹Wだと思った。

「俺の方こそ…悪かったな」

妹が変わってしまったのは、居なくなってしまったのは、自分のせいなのだから。

「…帰って…くるのか?」

「………」

微かに頭が左右に動いたのがわかる。寂しげに笑いながら「そうか」とだけ答えた。

「わたしね…好きな、人ができたの…」

だから戻れない。そう、妹は告げる。
てっきり自分を恨んでいるからだと思っていた。
だからその言葉は予想外で。

昔の弱々しい言い方ではなくハッキリと口にした妹に自然と笑みが溢れる。

「お前が幸せならそれでいい」

妹が嬉しそうに笑ったのがわかった。
もう一度「お兄ちゃん」と呼ばれた。

「なんだ」

「…ありがとう」

その言葉とともに気配は変わる。寂しい思いもあったが、すやすやと聞こえてくる寝息にどこかホッとしている自分に気づく。長く過ごしてきた今のハルも自分にとってかけがえのない妹だからだ。

「あーまったくよ…煙草が吸いてぇ」

迎える朝日とともにこの胸に残った哀情は全て煙にして出してしまおう。

小五郎はもう一人の妹を背負い、眠れぬ夜の街を静かに歩いたのだったーー。





2023.1.27


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