泣いて笑ってまた明日

□再会
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「毛利」

渋谷スクランブル交差点。大勢の人が行き交う中で呼び止められたその声に歩みを止める。

「えっ!久しぶりー!辞めたって聞いて驚いてたんだよ〜」

「大学のときの友人が企業するっていうからそっちに移ったんだ」

「そうだったんだ。新しい仕事はどう?」

「自分たちで色々やらなきゃいけないのは大変だけど、やりがいはあるよ。毛利はこっちに戻ってきたのか?」

「うん!辞令が出て先週また東京に」

「そうか…。どうだ?久しぶりに飯でも」

「ご飯?ごめん、実はこの後約束があって…」

「別に今日じゃなくても…いや、回りくどかったな。今彼氏はいるのか?」

そこでやっと誘いの意図を理解する。もういい歳なのにこの鈍感さはどうにかならないものか。

だから二年前もーー…。

そう思って首を横に振る。いつまで引きずっているつもりなのか。いい加減前を向かなくては。

「いない、けど…」

次の言葉を発しようと開きかけた口はそのまま固まってしまう。ふと感じた視線。ハルは突然に周囲を見渡した。


ーーいま…


今、W彼Wがいたようなーー。


「毛利…?」

「え?あっ、ごめん!」

軽く頭を振り、浮かんだ人物を消す。だいぶ前にポアロも辞めたと聞いた。きっと潜入捜査が終わったのだ。その証拠に工藤新一は姪の元に無事帰ってきた。

「………」

そんな彼が自分の前に現れるはずがない、と少し寂しそうに笑ってから元同僚に顔を向け直した。

「ごめん。好きな人がいるから」

そう答えると元同僚は苦笑いを浮かべながら「そうか…」とだけ言った。彼と食事したのは後にも先にもあのポアロでの一回だけ。懐かしい思い出でもある筈なのに訪れる喪失感はそこにW彼Wもいたから…。

「………」

「………」

などと考え事をしていたら完全に去るタイミングを逃してしまった。妙な沈黙を作ってしまい、どうしようかと考えあぐねていると、突然大柄の男が二人の間に割って入って来たのが見え、ハルは目を丸くさせた。

「えっ!なんでここに…」

「こいつに何かようか?」

その警戒心の含んだ低い声に瞬時に勘違いされていることに気づく。

「ま、待って!重悟くん!この人私の知り合いで、今たまたま会って話を…」

慌ててそう捲し立てると彼の釣り上がった眉が徐々に下がっていくのが見えた。

「なんだ知り合いだったのか。悪いな兄ちゃん、ナンパだと思ってよ」

「あっ、いえ。口説いていたのは本当ですし」

「ほぅー…」

意味深にニヤついた顔を向けてくる彼の背中を肘で小突く。

「でも今フラれたところですので…。そこは安心してください。彼女はあなた一筋のようだ」

「………」

「………」

一瞬何を言われているのか分からず二人でポカンと口を開けてしまう。

「正直あの店員じゃなくてホッとしてる。どうぞお幸せに」

「ちがっ…!あっ!ねぇ!ちょっと!!」

呼び止めたが、爽やかな笑顔とともに颯爽と走り去ってしまった彼。二人で顔を見合わせ眉間に皺を寄せ合った。

「ったく!知り合いだってんなら放っておいて先に待ち合わせ場所に行ってりゃーよかったぜ」

「あっ!そうだ!お店!ちーちゃんが来る前に急がないと…」

「私がどうしたって?」

背後から居るはずのない人の声に二人して「ひぁっ!」なんて乙女みたいな悲鳴を上げる。恐る恐る振り返るとそこには千速が笑顔で立っていた。

「ち、ちーちゃん!?どうして…」

「ハル!久しぶりだな!」

「おまっ!なんでここに!それに時間だってまだ…!」

「ここ最近の重悟の様子が変だったからな。今日だって頑なに別々で行こうとするし…」

昨年やっと恋人同士へと関係が発展した彼ら。恋人の変化をいち早く感じ取った千速は早朝から彼の家の前で張り込み、尾行してきたという。もともと人の機微に聡い人だったがここまでとは…。

ハルには散々千速にはバレないよう耳にタコが出来るほどの小言を言っておいて、自分はちゃっかり尾行されてるなんて!

そう無言の圧で見つめてくるハルを彼はゴホン、と誤魔化すように咳払い。その手で口元を隠しながら小さく「すまん」と口が動いた。

「それにしても酷いじゃないか重悟…!こんな…私に内緒で…」

重悟の胸元を掴み、わなわなと肩を振るわせる彼女。怒っているのは明白だった。当たり前だ。こんな逢引き…じゃない!こんな裏取引みたいなこと。

「ち、千速よく聞け。これは浮気なんかじゃ…」

「私だってハルに会いたかったというのに!」

あっ、そっち?と二人で目を点にする。詰め寄られている重悟を尻目にハルは少々複雑な心境を胸に抱えながら、口を挟むべきかどうか悩んだ。

「あ、あー…千速?実はな、俺が探した飯屋より先日毛利から電話で聞いた行きつけの店のほうが旨そうだったんで、先に来て案内を頼むつもりだったんだ」

「えっ…」

「そうなのか?」

胸ぐらを掴んだまま千速がチラッとこちらを見る。ハルは固まった表情筋を無理やり動かし、ニコッと笑った後にスンッと元の顔に戻してから隣で明後日な方向を見ている男を見上げた。

「もちろんお前にも後で連絡を入れるつもりだった。けどその前に自分の目で店の雰囲気とか確認しておきたくてな。隠してて悪かった!」

顔中に汗を流しながら、ハルが怖いのかこちらを一切見ることのない彼。ハルの表情がだんだんと人様に見せられないような顔つきになったところで重悟が「この埋め合わせは必ずするから頼む…!!」と耳打ちされた。仕方がない、とハルは近辺に千速好みの店がなかったか脳内をフル稼働にして探したのだったーー。







数時間後ーー…


ピリリリ!

どこかから鳴る着信音。薄らと瞼を上げても辺りは暗く、息苦しさを感じる。体が思うように動かず、音が鳴る方へ視線だけを動かすとぼんやりとだが光が見えた。それがスマホだとわかるとすぐさま手に取り、画面に目を向ける。ひび割れてしまって見えにくかったが『蘭』と表示されているのがわかった。

「も…し、もし」

息を吸うと背中に痛みが走り、言葉が上手く出せない。

《ハルお姉ちゃん!》

「ら…ん…」

《ハルお姉ちゃん…!!良かった…!良かった!!今新一に連絡してるからね!もう少し待ってて!》

「な…にが…起こって…?」

《東都デパートで爆発が起きたって》

「ば、くはつ…?」

《だから今ハルお姉ちゃんのいる場所…》

そこで電話が切れてしまった。画面をタップしても真っ暗なままの画面。電池が切れたか、はたまた壊れてしまったか…。迎える静寂と暗闇は不安を増幅させる。何か、何か考え事をしなくては。このままだとパニックになってしまう。

Wだから今ハルお姉ちゃんのいる場所…W

電話が切れる前の蘭の言葉が過ぎる。場所…。思い出そうにも直前の記憶が飛んでしまっていて此処がどこだかわからない。蘭は東都デパートで爆発が起こったと言った。ということは自分は今そのデパートにいるわけで…。

「確か渋谷で重悟くんとちーちゃんに会って…」

思い出せる範囲から記憶を辿ってみる。そういえば前日飲み過ぎて二日酔い気味だという千速に合わせて昼食の店は杯戸町の東都デパートにある樽雅亭に決めたのだった。

三人でその店の名物、玉子粥を食べている際にトラブル…というか予想外なことが起きて、話の流れで下の階にあるジュエリーショップに三人でーー…

ジュエリーショップ…

ハッとして左手薬指に目を向ける。暗くてよく見えなかったが、右手で触れるとそこには指輪の感触が。

「良かった、ちゃんとある…」

ホッと胸を撫で下ろす。そこから記憶は一気に引き上げられていく。

Wおい!火事だ!早く逃げろ!!W

店の外で誰かがそう叫ぶ。店から出て様子を窺ってみるとデパート内は大混雑しており、警察官である千速と重悟の二人は状況を確認しようと逃げ惑う人々から事情を聞いていた。

そんな中、ふと視界に入ったのは何故か扉が開きっぱなしのエレベーター。三歳くらいの子供がその中で泣いていた。家族とはぐれたのだろうか。何となく嫌な予感がして、その子供をエレベーター内から連れ出そうと駆け寄る。手を掴んだ瞬間、爆発音と地震のような強い衝撃が突如襲いかかってきて、立っていられない程のその揺れは咄嗟に子供の頭を守るだけで精一杯。

暫くすると揺れは落ち着いたが、デパート内は一気に停電していた。すぐに停電灯が点いたが辺りは薄暗い。けたたましく鳴る非常ベルとどこからか発生した煙が充満する視界の中で、開きっぱなしだった扉が突然閉まり出したのが見えた。慌てて子供を抱え、立ち上がる。エレベーター内から出ようとした直後にガクンッと下にズレたのがわかった。

Wハルッ!!W

気づいた千速がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。誤動作なのか扉が完全に閉まっていない状態のまま下に動き始めたエレベーター。間に合わない。そう思ったら体は勝手に動いていて…。

Wハルッ!!!W

W千速危ねぇ!!W

力一杯に投げた子供を千速と重悟が受け止めてくれたのが見えた。途端襲う浮遊感。エレベーターが急降下しているのがわかった。しかし直ぐにブレーキが作動したのか、金属が擦れる凄まじい音とともにエレベーターは急停止。何も捕まるところがない体は床に強く叩きつけられ、ハルはそこで意識を失った。

「………」

そう…そうだった。背中が痛いのはその時に打ったのだろう。何階にいるかまでは定かではないが、ここはエレベーターの中だ。

停電灯は点いていたはず。それすらも消えているということは復旧時間を過ぎたのかそれとも何かのトラブルで切れてしまったか…。

しかしここまで真っ暗だと何も見えない。少年探偵団が付けてる腕時計型ライトがこんなにも羨ましく思えるなんて…。

「ライト…」

そうだ。エレベーターなら災害BOXがあるかもしれない。その中に懐中電灯も入っていたはず…と手探りで床に触れると途中何かに触れ、チリッと痛みが走る。

「痛ッ…」

破片か何かで指先を切ってしまったよう。でも同時に箱らしき物を見つけ、手探りで箱を開けると懐中電灯らしきものを発見した。

点灯させ、四方を照らすとガラスの破片が床に散らばっていた。さらに天井を照らす。照明が割れ、天井も一部剥がれていた。

非常ボタンを押しても反応がなく、どうやって脱出しようか途方にくれていると何処からかカンカンカン…という何かを叩く音が聞こえてきた。

「誰か…いるの…?」

救助が来たのだろうか。ハルは歓喜し、持っていた懐中電灯の底で壁を叩く。

「こ…ここです!!エレベーターにッ、閉じ込められてます!!!ゴホッゴホッ」

大声を出すと背中に痛みが走ったが、構わず続ける。途中壁に耳を当て、反応があるか確認してみたが、応えてくれる様子はなく、それどころか先ほどまで聞こえていた何かを叩く音まで消えていた。ハルは肩を落とし、また途方に暮れる。

そこでふと疑問に思う。犯人…って捕まったのだろうか。いや、自分も犠牲になるかもしれないのにデパート内にいるわけ…。

ガタガタと天井から物音。ハルは驚いて咄嗟に懐中電灯の灯りを消す。ゆっくりと隅に移動し、息を殺した。救助隊ならこの時点で何かしら声かけがあるはずなのにないのは…。

ゴクッと息を飲み、唯一武器になりそうな懐中電灯を握りしめる。

パキッとガラスの破片を踏む音。誰かが天井から降りてきたのがわかった。気配からして一人だろうか。ゴソゴソと何かを取り出す音。パッと相手がライトを点けた瞬間、見えたシルエット目掛けてハルは懐中電灯を振りかざした。

「ッ!!」

カタン、と落ちる懐中電灯。振り下ろす前にハルの手首は捕まれてしまった。

「やっ!た、たすけ…!」

「落ち着いて」

相手も落としたライトがカラカラと音を立て、床を滑っていく。

「落ち着いて、ハルさん」

嘘だ、幻聴だと耳を疑う。
だって、彼がこんなところに…

壁に当たり、方向を変えたライトがゆっくりと彼の顔を見せ、ハルの目に涙が溢れる。

「よかった…」

そう強く、強く抱きしめられる体。

会いたくて、会いたくてたまらなかった人。
ハルはそのまま彼の気持ちに応えるように彼の…安室透の背に手を回したのだったーーー。



2023.07.08


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