泣いて笑ってまた明日

□泣いて笑ってまた明日
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「じ…じつは…」

それは千速と重悟の三人で樽雅亭にて食事をしている時だった。

Wで?私に何を隠してるんだ?W

千速の言葉に食後の杏仁豆腐を食べていたハルと重悟はゴフッと咽せた。

確かに渋谷での自分たちは明らかに様子がおかしかったにも関わらず、あの場で納得した千速には少々疑問があった。まさか呑み込んだ上だったとは。
事情聴取さながらの鋭い目つきを向けてくる千速に彼はとうとう観念して、口を開いた。

彼女の婚約指輪を買いに来たのだと。

実は昼飯を東都デパートにしたのは玉子粥以外にも理由があった。
話は数日前に遡るが、そろそろプロポーズを考えていた重悟は一人でジュエリーショップとやらに行ってはみたものの元々の性格が邪魔をして何も見れずにすぐ出てきてしまったという。
たまたま千速と東京で美味い飯を食べに行く約束をしていた彼は、ふとハルのことを思い出し、東京に『居た堪れず』『こそばゆくならない』店はないかと相談を受け、ハルは頭を抱えた。

試しに人生の先輩である英理や有希子に相談したところ、おすすめの店をいくつか教えてもらえたので千速との待ち合わせ前にその紹介された店を案内する予定だった。しかし千速がまさかの重悟を尾行してくるという想定外のことが起きたため、紹介する店の内、一店舗は東都デパートであることを思い出して行き先を一つに絞らせてもらった。

それを聞いた千速は安心したように笑った後、少し拗ねた顔で重悟とハルに詰め寄った。

Wならこのまま三人で下の階にある宝石店とやらに行こうW

そう、事の発端は彼女のこの突拍子もない発言からだった。自分は邪魔になるからと必死で断ったが、それですぐに引いてくれる彼女ではないことはこの二年間付き合ってよく知っている。

「それで仕方なく友人と一緒にそのお店に行ってきたんだけど、二人が指輪を選んでる最中に…その…私も暇だったから、たまたま目に入った指輪をですね…気づいた店員さんが気を遣ってくれて…」

「………」

何故だか無言で見つめてくる彼が怖い。自然と口調は早くなる。

「さ、最初は右手の薬指の大きさを測ってもらって、ちゃんと入ったんだよ?で、でも、店員さんがちょっとその場を離れた時に、魔が刺したというか…」

今思えば火事やら爆弾やらで店側がパニックになっている時だったのかもしれないが、そんなこと予想もしていなかった自分は、幸せそうに指輪を選んでいる二人が目に入ってしまったわけで。

「左右で指の大きさって違うんだね…。試しに左手薬指に嵌めてみたら、見事抜けなくなってしまって…」

そうこうしているうちに騒ぎが起こり、指輪を外すことが出来ないままここまで来てしまった。

「お店のものだし、ちゃんと返さなきゃと思ったんだけど…」

少し触れただけで分かる。だいぶリング部分にキズがついてしまっている。

「デザインも気に入ったし、買い取ろうかと」

一体いくらなんだと内心冷や汗を掻きながらハルは誤魔化すように笑った。

彼には出会った時から恥ずかしいところばかり見られている気がする。呆れられただろうかと叱られた子供のようにチラリと目だけで見上げると目尻を下げて、優しく笑う彼がそこにいた。

「…っ…」

なんで、そんな表情…。今日の彼はなんだかーー…

「指輪、見せて」

「え?あっ、うん…」

おず…と躊躇いながら左手の甲を差し出すと繋いでる手とは逆の手でハルの手を掴む。指輪が見やすい位置まで上げると、スッと親指の腹でその指輪を優しく撫でた。

「よく似合ってる」

「あ、ありがとう…?」

やばい。非常事態だということを忘れてしまうほどに心臓がバクバクとうるさい。

「僕がこの指輪を買い取るよ」

「……えっ?」

「本当はサプライズで君にプレゼントしたかったけど」

「なっ、なん…えっ?」

パチパチと何度も目を瞬かせ、首を横に倒す。いま彼は買い取ると言った…?サプライズ?プレゼント?誰に?

「い、いやいやいや!何言ってるの!?」

「気に入ったんだろう?」

「そうだけど!そういう事じゃなくて!」

「リングについたキズは削ってもらえば問題ないけど、気になるなら他のでも…」

「そういうことでもなくて!」

「まさか…あの時の電話、覚えてない?」

「で、んわ…?」

「まぁ、あの時だいぶ酔ってたみたいだから覚えてないのも仕方ないけど」

ま、まさかそれって二年前に居酒屋でかけた…!?

「…っと、この話は後にしよう」

顔を赤くしたり青くしたりと忙しなくしていると、いつの間にかとあるフロアについていた。

割れた窓ガラス。その付近にどこか見覚えのあるバイクが横たわっていた。

「このバイクって…」

「ハルさん、メット被って」

「えっ、あ、はい」

W解体工事中の隣のビルからバイクを使ってW

先程の彼の言葉が過ぎる。それって、そのビルからバイクで飛んで入ってきたってこと?窓ガラスを突き破って?

「怪我は!?」

「怪我?大したことないから大丈夫」

本当に!?と触れようとした手はカチャリと嵌められた手錠により動きを止める。

「え?」

「念のため…ね?」

この場に相応しくない安室透スマイルに思わず固まる。そしてもう片方の手錠を自分の手に掛けると彼は起こしたバイクに跨り、ハルにも乗るよう促した。

「ね、ねぇ…まさか」

ヒクッと口の端が動き、ハルの頬に汗が伝う。

「ねぇ!まさか!まさかなの!?」

「ハルさん、ほら急いで」

くいくいっと手錠を引っ張られ、ハルは迷う心を捨てるように左右に首を思い切り振る。意を決して彼の後ろに跨り、手錠で繋がれていない方の手を彼の腰に回した。

「君だけは命にかえても守るから」

耳に入ってきた言葉にハルの胸は痛いくらいに軋んだ。

「そんな言葉、欲しくない。あなたがいない世界なんて…」

哀しそうに笑った横顔がこちらを向いた。よく見たら彼の顔は傷だらけだ。当たり前だ。隣のビルからバイクで飛んで来るなんて。下手したら命を落としてた。そんな危険を冒してまで助けに来てくれた彼の姿に胸が苦しいほどに締め付けられる。

ハルは一度固く結んだ唇を緩め、吸い込まれそうなほど真っ直ぐな青灰色の瞳を向けてくる彼に違う言葉を口にした。

「どうして?って…聞いてもいい?」

今にも泣き出しそうなハルの表情に、彼は小さく笑った。

「好きだから」

空気を震わすほどのエンジン音とともに轟く言の葉。

「君のことが好きなんだ。この地球上の誰よりも」

目を見開いたと同時にバイクは走り出す。聞いたことのあるセリフ。その言葉は昔、兄が英理に向けたーー…












ハァ!ハァ!と荒れる息だけが建物内に響き渡る。飛び散ったガラスの破片。床を滑るように吹っ飛んでいったバイク。放り投げ出された体。二人は横たわった状態のまま、互いに命を確かめ合うように強く強く抱きしめ合った。

「あ…むろ、くん…けが…は?」

荒れる息を混ぜながら声を絞り出すと、彼がハルのメットを外す。狭く、苦しいと感じていた呼吸が楽になり、大きく息を吸った。

「あり、がと。あの…」

「大丈夫、大丈夫だから。それより…」

本当かな…?と抱きしめ合っている体勢のまま、背中やら腕やらに軽く触れて確かめてみる。
出血もないし、痛みで顔を歪める仕草もない。隠してる傷はなさそうだと安心した息を漏らすも束の間、演技だったら…と不安そうに彼を見上げる。そこには困ったように眉を落として笑っている彼がいた。

「それより君は?」

しまった。やりすぎた…と急に面映ゆくなり顔を俯かせる。

「わたしも、大丈夫。安室くんが守ってくれたから」

ふと視界の隅に映り込んだバイク。ハルが視線を動かすと気づいた彼が口を開いた。

「萩原研二のお姉さんからお借りしたんだ」

千速ではなく敢えて弟の名を出したことに驚いて彼を見る。目が合った彼は表情を緩めたあと、ゆっくりと頷いた。

「…っ…」

ハルの目に涙が溜まる。
二年前、過去や運命がわかると言ったハルの言葉を受け入れてくれたのだと理解した。

ハルはもう一度千速のバイクに目を向ける。ミラーは折れ、後輪は変な凹み方をしており、床にはヘッドライトの破片や、割れた外装パーツが散乱していた。彼女の性格だ。構わないなんて言うのかもしれないけれど、あのバイクは千速の愛車で…。とてもとても大切にしていたもので…。それでもきっとハルを助けるために貸してくれたのだと思うと胸が熱くなった。

「ハルさん」

「な、に…?」

溢れてくる涙を拭っていた手が突然ジャラッと音を立てて持ち上がった。彼と手錠で繋がれていたことを忘れていたハルは一瞬惚けた顔をする。

「どうし…わっ!」

次にはグイッと引っ張られ、彼の顔が近づいたと思った時には唇が重なっていた。

「んっ…」

優しく触れる唇に追いついていなかった感情はゆっくりと胸の底に落ちていく。

「好き…」

キスの合間に溢れた想いを口にすると彼の手がハルの頭の後ろに回り「もう一回」と言った。

「好き…好き…大好き」

何度も、何度も今まで言いたくても言えなかった言葉を口にする。僕も、と返ってくる返事が嬉しくてたまらない。

「ハルさん、名前呼んで」

涙で目の前がぐちゃぐちゃだ。瞬きをして、零れた涙を彼の指先が掬う。

「零…くん…」

「うん」

ハル、愛してる。

耳元で囁かれた言葉。酸素が足りなくて、肺が痛いくらいに苦しい。けど、それでも構わなかった。それぐらい幸せだった。

泣いても笑っても彼と迎えることの出来る明日に喜びを感じていると、「やっと心から笑った君が見れた」と降谷も嬉しそうに目尻を下げたのだった。



2023.08.01.


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