小さくなった安室くん

□IF七日目
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夜が明け、空が白んできた頃、ナノカを起こさないようベッドから静かに足を下ろす。

瞬間こちら側に寝返りを打った彼女に慌てて動きを止める。すやすやと聞こえる寝息に安堵の息を漏らす。クスリと小さく笑い、気持ち良さげに眠るその顔を最後に、安室は寝室を後にするーーー…





「これぐらいあればしばらくは大丈夫だろ…」

安室は冷蔵庫を閉め、ほとんど消えかかってしまっている己の体を見る。

昨晩彼女に強く抱きしめられたこの体は終ぞ元の体に戻ることはなかった。出来ることなら抱きしめたかった、と安室は自嘲気味に笑う。



来た時と同じにぶかぶかなスーツを着る。銃が落ちないようベルトにきちんと引っ掛け、その時を待った。

日が昇る。

安室は数日間過ごした部屋を見渡す。
とても楽しい七日間であった。

最後にナノカが寝ている寝室のドアを見つめる。閉まったままのそれを目に焼き付けるかのごとくジッと見つめた。

カーテンの隙間から太陽がきらりと光る。透けた体を照らし、射す光が安室の体をすり抜けていく。

あぁ…体が、消えていく。

透けた手の平を見つめる。指先から徐々に消えてなくなっていく。

これでいい。これでいいんだ。
彼女が起きてしまう前に消えるのが一番だ。

それなのにーー…

頭を垂れ、透けた片手で己の額を覆う。その口元は嘲笑うように上がっていたが次にはギリッと奥歯を強く噛み締めた。


最後に、君の顔が見たいなんてーー…


「ナノカ…」


バンッ!!


安室は覆ってきた手を下ろす。え?と気付いた時には彼女の温もりに包まれていた。


「ほんっとに!ありえない!!」


怒った口調の彼女。瞠目していた目とともに眉が寂しげに下がっていく。

「勝手にっ…行こうと、するなんて!」

「ナノカ…さん」

「お別れの挨拶もさせてくれないの?」

「すみません…でした」

違う。もっと、言うべき言葉があるだろ。時間がない。早くしろ。

「あ、のナノカさん…」

ぽたっ、と安室の頬に滴が落ちる。自分のではないそれに安室は無理矢理体を離した。

「あぁー……もうっ…泣かないっ、つもり…だったん、だけどなぁ」

うぅ〜…と止まらない涙を抑えるように両手で顔を覆う彼女。溢れ出ている涙に安室はきゅっ、と唇を固く結ぶ。

「きみのせいだ…」

黙って行こうとするから…と弱々しい声が安室の耳に入ってくる。

「笑顔でっ…見送る、つもり…だっ、た…のに」

「…っ…」

言葉を発することが出来なかった。安室透らしく笑って「ありがとう」と言いたかった。けれど口を開いてしまえば感情に任せた別の言葉が出てきてしまいそうだった。

ぐっ、と抑えるように唇を噛み締める。泣いている愛しい女性を慰めも出来ない最低な男だと、安室は辛そうに眉を寄せる。

視界が白く、狭まってきていた。

「透くん」

鼻声の彼女が自分を呼ぶ。手の平と甲を使って彼女は涙を乱暴に拭った。

暖かい手が安室の頬を両手で包み込む。
涙で濡れた手が安室の頬を濡らした。

ちゅっ

不意打ちで柔らかいものが額に当たる。パチリ、と安室は瞬かせた。

「いい男になってね!」

照れ臭そうに笑う彼女。

「透くんが、元の世界に戻ってもどうか…どう、か…幸せなっ、ことが…待って、いますように」

あぁなんて…なんてズルい女だ。
ここで、そんなこと…言うなよ。

「…っ…」

安室はぎゅっ、と手を握り締めた。

「僕のっ!本当の名前は、降谷零って言います!」

白く消えかかっている彼女の表情はポカンと惚けていたけれど、次にはくしゃり、と破顔させた。

「バカ!もっと、早く言ってよ」

あははっ、と咎めずに笑う彼女。一粒の涙が頬を伝う。


好きだ


「…っ…」


好きだ


あぁ、消えてしまう。笑った口元を最後に視界は白一色になってしまった。


「好きだ!」


耐えきれず、叫ぶようにして放った言葉は彼女に届いてしまっただろうか。



そのまま、意識を失ったーー…






ワンッ!ワンッ!ワンッ!

遠くでハロの声が聴こえる。
だんだんと鮮明に耳に入ってくるようになり降谷はパチリ、と目を見開いた。ぼやける視界に見えたのはハロが自分の体に前足を乗せ、心配そうにこちらを見ていた。少し震えの残る手で撫でてやると千切れんばかりに振っている尻尾が手に当たる。元気そうなハロの様子に安堵する。

帰って、きたのか。

体を起こし部屋を見渡す。ゆっくりと立ち上がり、念のため変化がないか部屋を隅々まで確認する。誰かが侵入した形跡もなく、そこは一週間前となんら変わりはなかった。安全性の確認が取れたところで、スマホを充電器に差し込む。明るくなる画面。日付は元に戻っていた。

はぁ、と片手で顔を拭うように頬に触れる。濡れているそれに彼女の涙だとわかった。

「…っ…」

彼女と繋がりのあるものは一切持ってこなかったというのに…。唯一持ってきたのが涙とは…皮肉なものだ。

突然ブー!とスマホが震える。
風見からだった。

「風見か?」

《はい。先程別れたばかりなのにすみません》

その言葉でより確証を得る。こちらの世界では全く刻が進んでいなかったということを。

「構うな。どうした」

《実は別件で追っていた組織が動きを見せまして…》

「わかった。後ほど合流する」

《あの、降谷さん》

「なんだ」

《お声が…》

「声?」

《あっ、いえ。声色がいつもと違う気がしまして。出過ぎたことを…》

「いや…」

《え?》

「合ってるかもしれないな」

《それはどういう…》

「少しばかり休暇を貰ってたんだ。その反動だな」

《えっ?休暇って…先程まで同行してましたよね…?》

因みに昨日もお会いしていますよね?という部下に降谷は笑う。

「本当だな。可笑しなことを言っている」

彼女の唇が触れた部分を手で触れる。
まったく、あそこでああいうことするなよな、と降谷は優しく目尻を下げる。

《あの、降谷さん体調が優れないようでしたら…》

「馬鹿を言うな。大丈夫だ。十分後にはつく。それまで待機だ」

何やらまだ何か言っていた風見だが最後まで聞かずに通話を切る。降谷はネクタイを締め直し、玄関に向かう。

「ハロ、行ってくる」

小さく笑ったあと顔を引き締め、降谷は扉を開けた。






W好きだ!W

ナノカは彼が置いていった服を抱きしめながらボロボロと泣き崩れていた。

「もー…ばかぁ…」

余計寂しくなるじゃんかぁ…と洩らす声が一人虚しく部屋に響く。

散々泣いて、でもお腹は空いて。よろよろと立ち上がり冷蔵庫を開ける。

見たナノカは崩れるように座り込む。

「こんなに、一人じゃ食べきれないよぉ…」

タッパーだらけの冷蔵庫。彼の愛情が詰まったご飯がそこにはあった。

それぞれのタッパーに貼られているメモにナノカは口元を手で覆う。

「…っ…」

W体に気をつけてW

Wちゃんと毎日栄養のあるものをW

Wお酒も程々にW


ナノカさん、と自分を呼ぶ彼の声が聞こえてくるようだった。

W僕が居なくなってもちゃんと自炊してくださいねW

うん…うんっ、ちゃんと…ちゃんとする。

ナノカは涙を拭き、次には困ったように小さく笑う。たった一週間。けれど夢のような幸せな時間。彼と過ごした日々に思いを馳せながら、そのタッパーの一つを手に取ったのだったーー…








数ヶ月後ーー…

すっかりハマってしまった釣りにナノカは一人川に来ていた。
時々ぼんやりと竿の先を見つめながら彼のことを想う。


零君、元気にしていますか?
私は相変わらず味付けは下手だけど、ちゃんと自炊するようになったよ。君のせいでセロリをよく食べるようになった。

一度も本当の名前を呼ぶことが出来ないままお別れしてしまったけれど、もしいつかまた何処かで会えるとしたら、その時は君を思いっきり抱きしめてその名を呼びたいな。

座敷童子…なんて驚いた日が懐かしい。幽霊じゃなくてちゃんとした人間だったけれど、それでも君は私に幸せを運んできてくれた。

君と過ごしたあの日々は一生忘れない。

「またね、零くん」

季節が変わろうとしている風に乗せナノカは小さく微笑んだのだったーー…











仕事を終えた降谷は鍵を回そうとしていた手を止める。ハロが中で吠えている。自分を出迎える声ではなく明らかに威嚇する吠え方だった。腰にある拳銃に手を伸ばし、音を立てないよう慎重に鍵を回す。

「わっ、わっ!ご、ごめんね。すぐ出てくから!そんな怒らないで」

聞き覚えのある女性の声に降谷は目を見開く。急いでドアを開ける。ナース服をきた女性がそこには立っていた。

「や、家主の方ですか⁉あの!決して泥棒とかではなくてですね⁉気付いたらここに居て…」

「ふっ…」

零した笑い。零は嬉しそうに目尻を下げたのだったーー…。





end
2020.9.8

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