斬バラ!小説

□聞こえないよ、まだなにも
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「早う、早うこっちや!」



事態に気付いたらしい町人の声と共に、数人の砂利を踏む足音が近付いてくるのがわかった。
それまで以蔵に怪訝な表情を向けていた男は、途端、顔を蒼褪めさせる。



「くそっ、なんなんや」



そう吐き捨てられたのと同時に。
解き放たれた腕を、椿は胸元へと引き寄せた。
その間にも、男は近付いて来る足音からまるで逃げるかのように、椿や以蔵には脇目も振らず、
慌てて立ち去って行く。

一体なんだったのか。
ポツンと取り残された椿が唖然としていると、今度は腕を優しく引かれた。



「以蔵、」
「こっちだ」



促がされるままに。
椿は以蔵と共に、近付いて来る足音からまるで離れるかのように気付けば足は駆け出していた。






肆 聞こえないよ、まだなにも






「佐之! 平助! 仕切り直しだ、仕切り直し!」
「お前……もう酔いが回ってんじゃねえか」
「土方さんに怒られても知りませんからね」



呆れ半分の原田と藤堂の二人に、永倉は陽気な声を上げる。



「俺は明日非番だ」
「私と原田さんは通常どおりのお勤めなんですけど」



はは……、とから笑いするも、大人しく永倉の隣で酒を飲むことにした藤堂。

そんな二人を眺めていた原田は、ふいに、持っている杯に酒が注がれたことに微笑を浮かばせた。



「すまねえな」



そこには、銚子を持ったお梗が綺麗に整えられた眉尻を下げ座っていた。



「ウチの方こそ、えらいすんまへんどした。こらうちの奢りどす」



そう謝罪するお梗に、傍にいた芸妓たちが永倉と藤堂の杯にも酌をし出す。

彼女が謝るのは訳があった。
実は原田たちは、このほんの少し前にもこの場所で酒を飲み交わしていたのだ、が。
店である揉め事が起きたのが切っ掛けだった。
その時は店の男衆が収拾をつけたのだが、また少ししたあとに、店で暴れた客が
今度は外で騒ぎを起こしているという知らせに、原田たちはその現場に出向くはめになったのだ。
どうやら、新撰組の原田たちが酒を飲んでいることがどこかから流れていたらしい。

お梗に頼まれなければわざわざ出向かなかっただろうと思う原田。
原田たちのもとに知らせを持って来た人物がこの店の常連客だったからか、
外の騒ぎにお梗の知り合いの子が巻き込まれていると、客が彼女に知らせたのだ。



「にしても心配だな。その椿って子が」



原田たちが駆け付けてみれば、すでに渦中の男は尻尾を巻いて逃げて行くのが見えた。
それと同時に、椿だと思われる少女が京の闇夜に消えていく姿も。



「ほんまにあの子は……」



言いながら溜息を吐き出すお梗。

椿という少女について聞けば、芸妓でも舞妓でもないのだという。
それなのに、お梗ともあろう者が気に掛けている存在とは……。
原田は気になって仕方がなかった。



「まあ、年頃の娘だ。遊びにも出たい年頃なんだろう。今度その子にでも会わせてくれや」



気さくな原田の言葉に、お梗は緩く微笑んでみせた。

しかし、原田は一つだけ気になることがあった。
椿が去って行ってしまったその向こう。
原田は疑念を抱かずにはいられなかった。
闇夜に紛れていた人物に。
あれは一体何者だったのか……。

考えてみてもわからない思いを、原田は酒と共に胃へ一気に流し込んだ。

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