東方妖遊記小説

□十三
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翌日。

北に向かっている船の中、春陽は自分の手を握る晄の手をじっと見つめる。
先程から繋がれた手は、船が揺れる度に力が込められ、今は少し痛いぐらいだった。
それでも、春陽は決してそれを振りほどこうとは思わなかった。

幼子のように何かに綴るそんな手を、震えごともう片方の手で包み込む。



『耿邑まではあとどれぐらいなんだ?』



頭上で聞こえた汪李の声に、春陽は顔を持ち上げた。



「耿邑へ行くのは私も初めてだから何とも……。
 天気はいいし、黄河も穏やかだから、順調に進んでるとは思うんだけど」



今は船の武器庫にいるため確認しづらいが、おそらく順調に耿邑へ向かっているはずである。
そう伝えた春陽に、膝の上に乗せていた晄を下から汪李は覗き込む。



『だそうだ、晄』
「ふ、二人とも……あああ、あ、ありがと……」



裘を頭からすっぽりと被った晄が、引き攣った表情で笑う。
水が怖いと聞いてはいたが、まさかここまでとは……。

昨夜、楓牙の言った通り、耿邑で開かれる馬市に、今朝方亳邑を出発した春陽たち。
亳邑を出航してからそれなりに経つが、晄のそれは一向に治まる気配がなかった。
さすがの春陽も、そんな晄の姿には困惑していたが、慣れた今は安心させるかのように微笑み返す。
対する汪李は、どこか可笑しげな表情で晄をあやしていた。



『いざとなったら我が晄を乗せて飛ぶゆえ、心配いたすな』



ポンポンと赤子にするように肩を叩く汪李。
そうして怯える晄を二人であやしていれば、船橋から累焔が様子を見に降りて来た。
彼は、汪李の膝の上で縮こまる晄の姿を見て苦笑する。



「大丈夫でございますよ。これは戦船で、とても頑丈にできております。
 嵐の海に出ても、転覆することはございませんから」
「わわわわかってる。べべ別に怖がってなんかないから……」
「左様でございますか」



ではこの手はなんだろうか……。
春陽と晄の繋がれた手を見て、微苦笑する三人だったが、あえて口には出さずにいておいた。

汗まで浮かばせている晄の額を、累焔が手巾で拭えば、
汪李は肩をポンポンと叩き、赤子をあやすような仕草を再開させる。



『我の眷属も喚んだ。万一のことがあっても、晄を守るように命じてある。安心せよ』
「うん……。小化蛇が集まって来てるね……」



船を取り囲むように、深い深い河の中で小化蛇が一緒に泳いで来ているらしい。
「いつの間に……」と瞠目する春陽だったが、それを聞いた晄の顔は幾分か落ち着いた表情を取り戻していた。
それにホッとしていれば、汪李の真剣味に帯びた声が耳に届く。



『やはりこういう場合のことを考えて、泳ぐ練習をすべきだ』
「またそういうことを言って――。汪李、俺が水を怖がるのを面白がってるでしょ」
『面白がってなどおらぬ。晄のためを言っておるのだ。
 中原に住まう以上、黄河を渡る機会はこれからもあろう。毎回このようなことでは不自由だろうと――』



そう言いつつも汪李の表情はニヤニヤとしている。
晄をからかい、完全に楽しんでいる顔だった。

そんな彼らを置いて、累焔が真剣な表情で辺りの気配を窺っていることに気が付いた。



「累焔様、」



船に乗る前から悪い予感がすると言っていた累焔。
化蛇の事件から神経質になっていた彼が、最近また神経を尖らせていることに、春陽も気が気ではない。

あれから、王都から逃亡した章玄の行方は、いまだ掴めていない。
けれど彼が成そうとすることに、必ず晄や汪李の存在は邪魔となってくるはずである。
それに、謀略を暴いた彼らに意趣返ししないとも考えられないのだ。

見上げてくる春陽に、累焔は首を振る。



「今のところ章玄の呪詛は感じられませぬ。大丈夫でございますよ」
「まだ悪い予感がしてるの?」



累焔の言葉に安堵すれば、春陽に続いて晄も裘から頭を出す。



『晄が河伯の懐にいる間は大丈夫だろう。やつとて河伯に喧嘩を売るほどの度胸はあるまい』
「わたくしもそう思いまする。唯一安全なのは、この黄河の上だと申せましょう」
「でも一番安全のこの場所が、晄は怖いだなんて、」
『主よ、救われぬなあ』



返す言葉もない晄の、裘を被り直す姿を、春陽と汪李は笑って見つめた。

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