幻水夢
□桜の木の下には死体が埋まってる
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今年の桜は散るのが早かった。
豪雨によって全部落ちてしまったからだ。
儚さを惜しむまもなく散ったそれは、今や何度も踏みつけられ、見るも無惨な姿になっていた。
私はそれをまるで念を押すかのように強く踏んで歩いた。
「何やってんの?置いていくよ。」
聞こえた声に顔をあげるも、声の主は見当たらない。
その事実に、泣きそうになる。
私は下を向くと、また落ちた花びらに、「お前はもうあの木には戻れないんだよ。」と告げる作業に戻った。
ルックとバイバイして、どのくらい時間がたったんだろう。
あれも確か、桜の季節だったはず。
彼の隣で笑っているのは私だったはずなのに。
どんなに後悔したって、もうあの頃には戻れない。
もう二度と、樹の上には戻れない、この桜と同じ。
同族嫌悪の眼差しを、泥にまみれた花弁に向けると、私はその場から立ち去るために歩き出した。
「気はすんだ?」
聞こえた声に振り返ると、シーナがいつのまにか立っていた。
「…」
私はシーナをしばらく見つめたあと、何も言わずに踵を返した。
「もういい加減に忘れちまえよ!」
後ろからシーナの声が聞こえた。
それでも私は、シカトして進む。
「俺にしときなよー。幸せになれるぜー?」
ふざけたようなシーナの声も気に食わない。
私は、やっぱり振り返らないで歩いた。
「なぁ、待てって」
笑いを含んだようなシーナの声が、すぐ後ろで聞こえたかと思うと、私はシーナに腕を引っ張られ、そのまま後ろから抱き締められていた。
「あいつはもう居ないんだよ。お前を捨てて、あの子を選んだんだ」
すぐ耳元で、シーナの低い声がはっきりと聞こえた。
途端、突風が吹いた。
突風は、懸命にしがみついていた僅かな桜をまいあげて、私の視界を塞いだ。
「もう、お前はあの頃には戻れない」
またたくさんの花弁が、地に落ちて汚れた。
「あいつの隣は、お前じゃないんだよ」
動けなくなってしまったわたしに、シーナはただ優しげな声色で、残酷な言葉を次々と私に吹き込んでくる。
私の目には、もう木に残った桜は見えなかった。
ただ下に、泥にまみれた桜があるだけ。
「……死にたい…」
ぼんやり呟くと、シーナが幸福そうに笑った気配がした。
「桜の木下に埋めてやるよ」
私の血液を吸って色付くのか。
それなら、その桜の花弁が風に乗ってルックの元へと届けばいい。
そんな光景を夢想しながら、私はシーナの残酷な言葉をただただ聞いていた。
おわり