ごちゃまぜ2

□僕は君の背中しか見たことがないよ。
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買ったばかりで新品のノート。

始めのページだけは、すこぶる綺麗な字で埋めつくしたくなるのはなぜだろう。

そうじゃない?って同意を求めたら、イチノの字は全部綺麗だよと彼女は笑った。



「このノートも、そのうち暗号みたいな数式で埋まるんだね」

「考えただけでも憂鬱…」

「イチノでも、憂鬱とかあるんだ」



なにげにひどいね。オレはそう言って、真新しいノートの表紙に真っ黒の油性ペンを滑らせた。

一之倉聡。うん、やっぱりイチノは字綺麗だよ。彼女はまた笑う。

半ば大袈裟にオレの書いた字を褒め、よしよしと子供をあやすように頭を撫でた。

オレとしてはあまりいい気がしないのに、彼女の優しい香りとシンナーの匂いが思考を鈍らせる。

教室はぼんやりするほど暖かくて、ともすれば頭を撫でる穏やかな手つきに誘われ眠ってしまいそうだ。

そろそろ休み時間も終わり、まさに憂鬱な数学が始まろうとしているわけで。

名前を書いたばかりのノートと向き合いながら、彼女越しの黒板を見つめることになる。



「イチノは授業中になにしてるの?」

「なにって…授業受けてるけど」

「居眠りしたり、ケータイいじったりとか」

「たまにするけど、基本的には」



しない。深津の目が怖いから。なんてことは言わなかったけれど、察しのいい彼女は納得したようにオレの斜め後ろの方角を見た。

ちょっとだけ開いた唇とか、その無防備な顔にドキドキする。

ふっ、と笑われたときは内心焦ったけど、深津くんなにか考え中みたいと彼女が言ったから、たぶん新しい接尾語のことだよと誤魔化した。



「接尾語?」

「ベシとか、ピョンとか」

「ああ…アレって」



接尾語?

深津いわくね。


彼女がまた笑ったとき、朗らかな空気を遮ってチャイムが鳴った。

鈍重な響きがやる気を削いで、軽く鼻から溜息が漏れる。

それは彼女も同じみたいで、やだなぁ数学…と呟くとオレに背中を向けて机の中から教科書を取り出した。



「イチノ、あたし今日当たるかも」

「前に使ってたノート貸そうか」

「ホント?いいの?」

「いいよ、参考になるか分かんないけど」

「ありがとう」



背中を丸めて机をあさる。

引っ張り出したノートは角がぶさぶさで、オレの字が綺麗だと言ってくれた彼女を幻滅させるんじゃないかと少し後悔した。

汚れてるけど。そう言って渡せば、彼女は使い込んでてイチノらしいと言ってくれた。

どこまでも優しいんだな。

思わず感心してしまい、じっと見つめていたことに気付くと恥ずかしくなって。

来なければいいと思っていた先生が入って来たときは、少なからず有り難いと感じてしまった。



「今は居眠りしないでね、分かんないトコ聞くから」

「ん、大丈夫」

「お手数かけます」

「いえいえ」



あははと笑う顔。オレだけに向けられているのに、後ろに座ってる奴ら(例えば深津とか)も盗み見てはいないだろうかと不安になる。

起立、礼、着席。

座るとき一瞬だけ後ろを向いて、またひとつ微笑みをくれた。

肩から滑り落ちる柔らかい毛先と、髪の隙間から覗く白いうなじ。

なんかオレ、変態くさいなァ。

込み上げる苦笑いを我慢した。




僕は君の背中しか見たことがないよ


まだ言えないけど、いつかきっと届けてみせる。


end


世界にひとりさま提出


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