text

□君の唇
1ページ/2ページ


「お前顔にゴミついてんぞ。」
「え?」
頬のあたりについてた糸くずだろうか、取ろうと声をかけ手を伸ばしたら栄口が振り返り偶然阿部の指先が唇を掠めた。
「あ、わりぃ」
咄嗟のことで誤魔化すこともできずに慌てて腕を引っ込める。
触れてしまった指先が熱くなる。思わず目線が泳ぎ挙動不審になる。
「ん?なに?」
「いや、顔にゴミついてる。」
「あぁほんと?」
唇横を手のひらで擦る栄口は阿部の不自然な行動を気にもしていない。
「そこじゃねーよ。もっと上。」
「ここ?」
「おー取れた取れた。」
「栄口、ここ聞きたいんだけど。」
栄口の反対側の隣から花井がプリントを指しながら声をかけてきて、栄口の意識が阿部から花井へと移った。
阿部はそれを惜しく思いながらも未だ動揺しているのがバレなくてホッとした。
そして隣で交される会話を聞くともなしに聞いている。

こうやって野球部で試験勉強を続けながらも阿部の意識は栄口ひとりに集中してしまう。
さっきのも隣で一緒に古典を勉強してる栄口の横顔を見てて頬についている小さな糸くずに気づいたくらいで。
他の奴なら気づきもしないことが栄口の話となると視力、聴力も触覚も普段以上の能力を発揮する。
今だってまだ栄口の唇に触れた感触に阿部の意識は囚われたままだ。

ダメだ、全然集中できねー。

気分転換にトイレでも行ってこようかと阿部が席を立つ。
「阿部?」
花井と話していた栄口がどうしたのかと目線で問いかけてくる。
気にかけてくれてるのがうれしいとか思っちまうのがまたいけない。
「トイレ。」
端的に言うと納得したのか、栄口はいってら〜と笑って送り出してくれる。


試験勉強中なのに騒々しい野球部の集団から離れると阿部は大きく深呼吸をする。
栄口の唇は荒れていたのか少しカサついていたようだった。
不意打ちで触れた唇の感触がまだ指先に残っているんじゃないかと。阿部はその指先を自らの唇へと触れさせた。
まるでそれは栄口の唇に口づけているかのように。
「……ばっかみてェ」
知らず自嘲気味に呟いてしまう。
こんな、栄口に知られたら気持ち悪がられるようなことをしてしまう自分が阿部は嫌だった。
それでも栄口を追う視線も意識も逸らすことができないでいた。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ