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□君の唇
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「栄口、こっち向け。」
「んー?どーした?」
「だからこっち向けって。」
突然阿部に命令されても栄口はマイペースでこっちを向かない。
それに焦れた阿部は栄口を無視して行動を起こした。
本当はこっちを向いてもらいたかったが、まあ仕方ない。阿部の切り替えは早かった。
机を挟んで右斜め前で課題のプリントに勤しんでる栄口の顔に手を伸ばす。
「え?なに?」
「お前の唇けっこー荒れてんな。」
指先の腹で唇を辿ると栄口はきょとんとしながら顔をあげる。阿部は栄口がこっちを向いたことに満足する。
知らず笑んでいたようで栄口が怪訝そうな表情になった。
「唇荒れてる。」
「ああ、そうかも。」
唇を撫ぜる指先はそのままに栄口は阿部の好きにさせてくれるようで特に動かない。
「くすぐったいよ。」
柔らかくて少しカサついているその唇の弾力を確かめるようにぷにっと押しつぶすと栄口はくすぐったかったらしく顔を逸らす。
そのせいで指先が頬へと移る。
そこも触り心地が良かったが当初の目的は果たしたので阿部は手を下ろす。
阿部の部屋で阿部のすぐそばに座っている栄口の唇が少し荒れているのが気になって、つい確認したくなった。
「阿部って割とこうやってちょっかい出すよねー。」
そうすると栄口が思ってもないことを言う。ちょっかいって、阿部にそんな記憶はなかった。
「いつちょっかいだしたよ。」
「いつもじゃん。」
「はァ!?」
無意識かよって笑いながら逆に栄口が阿部の唇に手を伸ばす。
「阿部だって荒れてんじゃん。」
触れる指先が愛おしくてその手を掴み取る。
ぎゅっと握るとぴくっと栄口の肩が揺れる。
交わる視線が、ふたりの間に流れる空気が変わる。
阿部はこの瞬間が好きだった。普段とは違う甘酸っぱいとしか表現しようのないこの空気。
身を乗り出して顔を近づけると栄口は恥ずかしそうに少し目線を落として俯く。
そしてゆっくり目を閉じる。その様を見ながら阿部も目を閉じ唇を触れ合わせる。

ああ、そういえば。
前にこんな風に栄口に触れることができなかった頃。
栄口の唇に偶然触れたことを思い出した。
あの頃は、朝の瞑想で握った手のひらの感触やなにかがとても大切で一喜一憂していた。
今は目の前に触れることを許してくれる栄口がいる。

触れるだけの口づけを角度を変えてもう一度と思い少し顔を離すと栄口の瞼が開き、小さく笑む栄口と目が合う。


荒れた唇同士を触れ合わせ、君と笑う。

なんて幸せ。
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