小説

□君がため、惜しからざりし命さへ
2ページ/3ページ



視界を埋め尽くす薄く染まった花房と、桜色が舞う花弁を執務室から眺める一方で、そんな冬の日の情景が瞼の裏を流れては消えた。
反芻しては流し、温めては醒め、脳裏に宿らせた所でいつも何処に至るわけでも無い。心地良い春の日、弥生月の中頃を迎えても尚。

「もうすぐイヅルの誕生日やなぁ…」

あれから数日経ち包帯が取れた頃、彼から羽織を受け取った。
いつしか一番居心地が良いと思ってた居場所。イヅルが頑張ってくれたのやろう。帰る場所を連れて来てくれた。
惑う気持ちは言い表せない程あったけど、渡されたから手に取った。…と、また彼の一存に流される事にし何も考えない風にして受け取った。
自ら棄てた席位に容易く戻り就くなんぞ…憚られる。欲しかった場所やとも言えない。

彼もまた、中には辛辣な言葉も刺されて来たやろうに、そうまでして抱えて来たものやろうに、隊に戻って下さい――とは頼まんかった。無理強いはしたくなかったのやろう。


意識が戻ったあの日の事は特に、何かに囚われたように鮮明に蘇る事が多かった。
駆けつけた乱菊にどつかれたのを覚えてる。
「こら痛い、やめぇや痛いやろ!ボクまだ病人やぞ」
どうやらボクは一時、本当に消えた人物になっていたらしい。
一縷の望み――必ず助かると告げれるだけの保証は無く、他言せんかったのやと。治療場所確保の為、四番の隊長さんとそれに親い同隊士の一部の者を除いては。
内密に、諦めがつかずただみっともなくひとりで粘った、と彼は苦笑気味に言うてたが。
「うるさいわね!アンタはっ…アンタは…っ」
そして、酷く重く感じる体をあいつは散々揺らした。
イヅルに助けを求めると、痛みを訴えた箇所を労り撫でてくれた。
飴と鞭か。悪くない。情の一切を殺して歪な世界を走り、歪に育ってしまった自分が本当に気を許せるのは、後にも先にも恐らくこの二人だけやろう。

だが次の瞬間二人から共通して聞こえたのは、嗚咽を漏らす声やったから心底困り果てた。
乱菊は、吐き散らしたのち泣いた。イヅルも――あの子はいつもあれか、ボクの前ではからっきしあかん。意識を取り戻させるまでは…と、また随分と我慢でもしてたのか。

覚えた戸惑いは拭えない。何故こんなボクに涙を流してくれるのか。そんな綺麗なものが、一滴も出ないやつなのに。


それからは、惑い揺れるばかりで、残る背徳感に悪循環。
再会して早々泣かせてしまい、よく見れば彼は少し痩せたようにも見える。一度置いて行かれた悲愴と喪失感は計り知れず相当なものやったと物語っている。
だから帰って来た今度こそは――と思うのに、思うように愛してやれない。
大切にしたいと思う程、やっぱり泣かせてばかりやと。

酷い所有欲で彼を縛るのも悪い気にもなる。甘えるのも申し訳なくなった。
イヅルとは自然と惹かれ合う想いで以前のような触れ合いもしたけど、抱く時も流れ任せるだけの小狡い自分。
何せ、隻腕となり刀を握る腕が変われば、慣れるまで日々たゆまぬ鍛錬に勤しむ事となり惚れた腫れたと現を抜かす余裕も与えられん。というのは言い訳か。
友人やろうが気に入らんと一蹴していた赤頭達が寄り付くのも、もう何も言えない。自分の居らん間イヅルを支えてくれたのは彼等やから、悔しいが感謝してるのも確かで邪険に出来ない。

いつもの関係に戻っているのに芯から愛情を交わせないまま、そうしてるうち、イヅルは現世へと派遣されてしまった。
ひと月半前の事。
なんやあのジジイ…と上からの命を疎ましく思った所で、三番隊は暫く長席が空位やったのやからそれも仕方ない。機能した途端埋めるように隊は目まぐるしくなった。
――穴埋めぐらい自分でする
そう思えど一隊の長、『隊長』というだけで自舎から簡単には離れられない責務を食らい、走らされるのは下の者ばかり。
自ずと副官であるイヅルに委任されてしまう運びになる。彼ばかりに課せる結果となり歯痒いのは、自分が受ける罰のような気もした。

あれが帰って来たらボクの腕だけに仕舞い込みたい。なのにこれは何なのか。
扱いが分かりそうにも無い。
何を言うてもボクはお前を泣かすんやろう。こんなに欲しくても、幸福をくれてやる事が出来んと思えば一方的な隔たりに呑まれる。

――イヅル。何と遠くなってしまった事か。

席を立ち暦を見て、明日イヅルが帰って来ると馳せる反面、溜息がひとつ落ちた。

これではまるで、片想いを…してるようや、と。

 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ