連載

□一夜限りの逢瀬 参
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夜もすっかり深まっていた。

暫く抱き合っていた後、果てた重く気怠い体がなかなか動かず、隊長に死覇装を着せられた。自分の方からは進んで袖に手をを通す気になれなかった所為でもあるだろう。甘い時間は過ぎるのが早い。
胸に残るのは、彼が浮かべた物憂げな表情のほうだった。

着せられながら切なく眼を揺らすと、市丸隊長は何度も髪を撫でてくれた。濡れ乱れた髪を指で掬い、梳かし整えるように。
髪が指に絡む柔らかさは温かくて、「まだ終わりじゃない」「まだ此処に居る」と主張してくれているかのようだった。
そして、重ね合った肌の熱が冷めないよう、瞼、頬、鼻先、上顎、唇と何度も口付けてくれるのだ。火照る熱はまだ冷めない。まだ市丸隊長は此処に居る。と、隊長がもたらす短くも充実した逢瀬に浸れた。その行為は、市丸隊長自身が僕の存在はまだ失っていないと、確かめるようにも思えた。



ただ、あんなに肌と肌を重ね合わせ、刻し合った肌の熱も濡れた死覇装、冷えた体では体に印された隊長の熱もすぐに奪われてゆく。



袴の裾からポタポタと滴を落としながら僕達は今、廊下を歩いている。

そう、三番隊の廊下だ。

「戻ろうか」の一言も告げられる事なく手を引かれ、僕は重い足取りに俯きながらも手を引かれるままに隊長の斜め後ろを歩いていた。

「月が綺麗や…イヅル、上見らんの?」

「………」

僕を気遣っての事か、前を歩く隊長が振り向いて話し掛けてくれた。声を届けてくれるのだ。
唯僕は、何も答えられずに居る。

隊舎の廊下がぎしぎしと軋む。
向かっているのは僕の自室だ。僕の胸もまた軋んでいた。

「…昔はこないなん興味あらへんかったんや。せやけどイヅルと見るんは好きなんやけどなぁ…。黙っとったらボクが寂しなるで…?」

「………すみません…」

勿論僕も市丸隊長と月を眺めるのは好きだ。もう出来ないかと思うと、共に成せる事は全てしておきたいと思う。だけど顔を上げるのが怖い。

少しも劣らぬ切なさ。
それを露にしている僕の姿を眼に映す隊長の眼もきっと…、悲しみに暮れている筈なのだから。それを見てしまうと、僕は無理にでも笑わないといけなくなる。

誰よりも大切な人だ。困らせたくなどない。安心させたい。
だから無理に笑顔を作るだろう。そうすれば、一層彼を困らせる事になる。

隊長は悲愴に呻く感情を押し殺し、こんなにも僕を気遣い、沈着に話し掛けてくれているというのに…、僕は彼のように大人の振る舞いは出来ない。市丸隊長を安心させる事は欠片も出来ない。彼に何もしてあげられないのだ。

歯痒さに涙が視界を滲ませる。

もう枯れていたと思っていた筈の涙。今日僕はどれだけ流すのだろうか。



「後でもっかい抱き締めたるからな」

すると、引かれている手を更にぎゅっと強く握られる。前を向いていても僕の全てを察知してくれるのだ。

「…ごめ…っ…んなさい…っ…」

まただ。また優しい。そしてまた隊長ばかりが感情を抑えて包む言葉をくれる。僕ばかりが甘えてしまっている。
そしてやっぱり僕はただ謝る事しか出来ず、手を強く握り返し、甘える事しか出来ないのだ。



だが、前を歩く隊長の霊圧は優しく揺れていた。それでいいのだと。



その優しさに胸が熱くなる。
凛々しい背中に惚れ惚れする。

しかし、胸の痛みが増しいくのもまた事実。
日付が変わるまで、半刻を切っていた。



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