novel

嫌がらせな思い出
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夏の暑い盛りだった。

俺は空調が整った社長室にいるにもかかわらず、外の世界が告げる「夏」の気配に苛ついていた。
眩しすぎる光線が俺の目を焼き、分厚い窓ガラス越しでは決して聞こえるはずのないツクツクボウシの鳴き声が、耳の底にこびりついて離れない。
喧しい、今まで何年もずっと眠っていたくせに、なぜ起きたとたんにそんなに喚くのだ。



「……だから、お金を貯めて近々エジプトに行くことにしたんだ。──海馬、オレの話ちゃんと聞いてんのか?」

そして、更に俺を苛つかせる原因が、先程からひとりで話し続けている。
俺はきっぱりとした無視でもってそれに答える。

遊戯はあつかましくも、この社長室で最も空調の効く場所にあるソファを占領し、俺のいらいらには全く気付かない様子でくつろいでいた。
汗ひとつかいていない涼しげな顔が腹立たしいので、俺は極力そちらを見ないようにして、仕事に集中しようとしていた。



「か、い、ば! 人の話を聞けよ」

若干怒りを含んだ遊戯の声に、俺はようやくディスプレイから視線を外した。
さっきまでソファに寝そべっていた遊戯は、上半身を起こして俺を睨んでいる。

「見てわかるだろう、俺は今忙しいのだ。貴様のくだらん話など聞いている暇はないわ」

ふん、と見下ろして俺は言う。
遊戯は、ひとが親切に海馬がアメリカに行ってた間のことを話してやってるっていうのに、と呟いた。


──それがくだらんと言うのだ! 古代エジプトの王だと? 非ィ科学的にもほどがあるわ!


……しかし遊戯の態度は淡々としていて、それがどこか諦めにも似たふうだったので、俺はそれを一笑に附して片付けることに失敗した。

非ィ科学的だ、ともう一度呟いて、俺は再び猛然とキーボードを叩き、ディスプレイを睨み付けた。いらいらが、更に増した気がする。パソコンの発する熱を浴びて、うっすらと浮かんだ汗の感覚が気持ち悪い。



「……それで、こないだみんなと動物園に行ってきたんだ。ほら、思い出作りってやつで」

遊戯はまだ話すことがあるらしかった。話の方向性が変わったので、俺は少しほっとして、大人しく耳だけは傾けてやる。最後のひとことは、聞かなかったことにした。

「山の上にある小さな動物園まで、バスに乗っていったんだ」

遊戯はさっきよりもだいぶ穏やかな顔をして、楽しそうに話している。



その日もこんなふうに暑かったから、動物はみんな夏バテだったんだ。
ペンギンは小屋の中にこもりっきりで、青く塗ったプールの底に小魚がいっぱい沈んでた。
シロクマは暑さにいらいらして──今のお前みたいにな、ずーっとうろうろ歩き回ってた。
ライオンはぴくりとも動かなくて、城之内君が大声で脅かそうとして本田君と杏子に止められてた。
ソフトクリームを買って、オレと相棒は交代しながら半分ずつ食べた。

途中で通り雨が降ってきて、その時はちょうどサバンナゾーンにいたんだけど、ざあざあ降る雨に打たれて一頭だけぽつんと立ってたシマウマがすごくきれいだった。



その光景を思い出しているのか、遊戯はうっとりした表情を浮かべている。

「ホントはそれを海馬にも見せてやりたかったんだけど、残念ながら売店にはシマウマは売ってなかったんだ。だから、はいこれ」

言いながら、ソファの下に放り出してあった鞄の中をごそごそと探り、取り出した包みを俺に放り投げてきた。
反射的にキャッチしてしまったそれに描いてあったのは「童実野動物公園」──遊戯が行ったという、例の動物園のロゴであった。

「……なんだこれは」

「見れば解るだろ? お土産だよ、オミヤゲ。相棒に頼んでお小遣いから出してもらったんだぜ」

感謝しろよ、と遊戯はにやりと笑う。
その包みはふわふわと柔らかい感触だったので、そういった売店によくあるロゴやキャラクターをプリントしただけのクッキーとか、そういった類のものではないようだった。俺は恐る恐る包みを開いた。
見えてきたのは白と黒の毛皮のようなもの。覆われた包みを取り去ってみれば、

「…………なんだこれは」

俺は同じ台詞を繰り返した。
現れたのは、愛らしくもデフォルメされたパンダのぬいぐるみだった。

「シマウマ、がいなかったからペンギンにしようかと思ったんだけど──海馬は白と黒ならパンダの方が好きなんだろ?」

好き、なのではない。『パンダの方がマシ』、なだけだ!

馬鹿め。こんなもの、いったいどうしろというのだ。これなら大して旨くもないクッキーのほうがまだ良かった。こんな、後にのこるものを選びよって、
こいつは。



そこで俺は気付いてしまった。
汗がすうっと引く。



……遊戯は。
俺が捨てられないとわかっていて、こんなものを選んだのだ。お前が、自分で言う通りに古代エジプトのファラオで、そしてもうすぐ俺の前から姿を消したとしても、俺がお前をずっと忘れられないように。
お前にずっと縛られたままでいるように。


なんてタチの悪い嫌がらせだろう! きっと俺は今、泣きそうな顔をしているに違いない。遊戯が、憐れむような顔で俺を見ている。
無邪気で残酷な仕打ち。


何も言わない俺を尻目に、遊戯はするりとソファから立ち上がった。足元の鞄を拾い上げる。

「じゃあ、オレはもう帰るぜ。話すべきことは話したし」

お土産も渡せたしな、と俺の手に収まったぬいぐるみに視線を移す。
俺は、待て、と言うことができない。喉がからからに乾いて声が出ない。

「そのパンダ。ちゃんと飾ってくれよな。せっかくオレが買ってきたんだから」

遊戯はそう言うと、あっさりと去っていった。
社長室の重い扉が、ぱたん、と音をたてて閉まる。




「……ああ、ちゃんと飾ってやるさ」

遊戯の姿が見えなくなってしばらくして、ようやく俺はそう請け負うことができた。

飾ってやるとも。そうして、お前がいなくなって、俺はこのぬいぐるみを見る度に咽び泣くに違いない。お望み通り、というわけだ。

だから、これは、他の誰にも見られないところに置くしかない。
俺だけが知っている場所でお前の思い出を抱き、俺はひとりお前を想って泣く。それを知っているのは、俺と、お前だけなのだ。







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