とれじゃーぼっくす

□ ・志乃様より・
 『悩殺パントマイム』東条院蓮
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それは気持ち良く晴れた日曜日の昼下がり。





「蓮、紫さんの家庭教師の方はどうだ?上手くいっているか?」

目の前に淹れられたばかりの美しい水色のダージリンティーをゆっくり飲みながら修一先輩がそう訊いた。
この寒さに要さんの淹れる熱い紅茶はまた絶品だ。

「勿論ですよ、先輩。順調過ぎですから。」

俺は事実を有りのままに述べ、ニッコリと笑ってみせる。
可愛い妹を心配する兄の気持ちもわかるからな。

安心させるべく、そう言ったのだが、何故か修一先輩は片眉を上げ、テーブルの左端から右端へ一気に視線を移したかと思えば、ティーカップをソーサーに置き、手を握り締める。そわそわして落ち着かないようだった。

「…いや、それが心配なんだが…。」
「…心配?」
「あ、いや。こちらの話だ、気にするな…、うん。いやでも、もしやとは思うが……。お前、紫さんに変なことをしていない…だろう、な?」
「変なこと、ですか?」

いきなり声を潜める修一先輩が目の前にずいっと身を乗り出し、俺の背後では俺たちの会話を聞いていただろう要さんが、トレイをカタンと足元へ滑らせた。

前からも後ろからも疑わしき者を見るような目で見られる。
俺は何故安心させるべく言った言葉にこうも逆の反応が返ってくるのかが、不思議で仕方がなかった。





「…何を心配だと言うのだ。自ら俺を家庭教師に推薦しておきながら。」

俺は天井へとぐっと腕を伸ばした。つい、ここへ来ると型を崩してしまう。
まあ理由はわかっている。
俺にとって西園寺家の屋敷内で一番落ち着く場所だから、だ。
もうこの部屋の香りにもとうに馴染んでしまった。だが、この部屋の主はまだお帰りではないようだ。





程よく陽の差す大きな窓に、優しい花の香り。
そこにここが安心する場だと言うのなら……。

俺は徐々に瞼が重く降りて来るのを感じた。
上瞼を頑張って引き上げてみるも、重力というものはあるようだ。逆らえない。

…昨日は少し遅かった、からな…。
…いや、でも。アイツが帰って来たら…、起きていて…やらねば…残念がる…だろ…。

なあ、紫…?







「…っ、きゃあっ!」

突然の叫び声で俺は目を覚ました。尋常ではない声に俺は素早く体を起こす。
目の前にはバッグを足元にドサリと落とし、扉に背を凭れ、立ち尽くす紫の姿があった。
顔は引きつり、肩は小さく揺れていた。

「ど、どうした紫!?変質者でも出たのか!?」

廊下に飛び出してはみるものの、誰の気配もなかった。それとも何か、蜘蛛か何か虫でも出たのだろうか。この屋敷に限ってそれはないと思うが…。

紫の部屋に戻ると紫はまだ立ち尽くしたままだった。
何にそんなに尋常に驚いたのか解らないが、そこまで震えるほどの恐怖だったのだな。
…だが。

「もう、大丈夫だ。」





震える肩にそっと両手を添えると俺はその体を腕の中に閉じ込めた。
どんなに怖い思いをしたのだろう、俺の胸を押す手に力が込められる。

だけど、もう大丈夫だ。
震えが止まるまでこうしていてやるから。





「…て…さい。」
「もう大丈夫だから。」
「離し…てくだ…さ…。」
「照れることはない。落ち着くまでこうしていればいい。」

紫が俺の腕の中で身を捩るように必死に藻掻く。

大丈夫だ…。
そこまでパニック状態になるまで可哀想に。

俺はさらに紫を抱く腕に力を込めるのだった。

あ、安心するこの部屋の香りが紫からもする。
この香りはもうとうに俺に染み付いて、離せやしないのだ…。
俺は静かに彼女の髪に顔を埋めるのだった。







悩殺パントマイム

(私が叫んだのは貴方が私のベッドに潜り込んでいたからですけどっ!)
(勝手に解釈しないでとっとと離してっ!)





title:アップリケ伯爵




  

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