駄文倉庫【D-1】
□薔薇の香りに誘われて …瞬
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外に出ると、濃密な薔薇の香りがした。
違う。僕はかぶりを振った。
それは……薔薇園の百花にも勝る大輪の花の香り。
どの薔薇よりも美しく、どの薔薇よりも目を引き、そしてどの薔薇よりも香り高い。
そんな花が、今、薔薇園に在る。
そんな確信を胸に満開のカクテルのアーチをくぐると、僕はやはり満開のピエール・ドゥ・ロンサールのパーゴラに向かった。そこに目的の花があると思ったから。
そして案の定、パーゴラの下のベンチにそれを見つけた。
……色とりどりの薔薇に囲まれて眠るお姉ちゃんを。
三年の月日は僕を成長させた。
背も伸びた。足も手も大きくなった。勉強も頑張ったし、パリに行って絵のスキルもぐっとアップした。それなりの評価も得られるようになった。
だけど。
三年の月日はお姉ちゃんをも成長させた。
背はさすがに変わらないけど、体つきはずっと女性らしくなった。ぺたんこのローファーからヒールのある靴へ。だから身長差ほど目線は違わない。前よりずっと伸びた髪。制服の代わりは薄化粧。そして仄かに香る香水。
大人ぶってる子どもの僕。
大人になったお姉ちゃん。
近づいたと思った距離は実は変わってなくて。
それどころかずっと遠ざかった気がしている。
まず歳の差が永遠に埋まらないと言うのに――
(……でも、寝顔は全然変わってないんだよね)
僕はクスクス笑った。
ベンチに凭れるようにして、お姉ちゃんは眠っていた。寝顔はあどけなくて、歳よりも尚幼く見える。三年前と変わらないところを見つける度に、僕はひどく安心する。
酔ってしまいそうな位薔薇の香りが凄い。
だけど僕を酔わせられる花は、この世に一つだけしかない。
「お姉ちゃん。起きて」
相当眠りが深いのだろう。お姉ちゃんは微動だにしない。伏せられた睫毛はマスカラなんて要らない位長くて。
ふわり。ものすごく良い香りがする。香水の匂いとお姉ちゃんの匂いが混ざり合って。僕を捕らえて離さない。
「……お姉ちゃんの、所為だからね」
僕はお姉ちゃんの華奢な手首を掴むと、白薔薇よりも尚白い首筋に僕の唇をあてがった。
ふわり。また香りが強くなった。
唇を離すと、白いキャンバスに映える赤い華。
その出来映えに満足した僕は、対面のベンチに座るとスケッチブックを開いた。
さらさら、さら。
静かな薔薇園で聞こえる音は、微かな鉛筆の走る音と、それよりも幽かな、お姉ちゃんの寝息だけ……。