駄文倉庫【D-1】
□涙雨は等しく二人を濡らす …柊
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ざああああ。
梅雨入りして暫く雨が降らない暑い日が続いたと思ったら、ここ一週間は一転大雨続き。トータル的にはバランスがとれていると思うが、気まぐれな空を恨めしく思う。もうちょっとなんとかならないものだろうか。
屋敷の窓から外を見やりながら、俺は眉をしかめた。
グレースケールの空の元では、景色もすべてくすんでみえる。せっかく今が見頃の紫陽花も、いくら雨が似合うとは言え、屋内から雨のフィルター越しに見ると些か物足りない。
と。
小さな植え込みスペースの一角、今が盛りと咲く青紫色の紫陽花の前。そこに誰かが佇んでいるのに、俺は今更ながら気が付いた。
ネイビーの服と黒い髪がグレーの世界に見事に調和し溶け込んでいる。この土砂降りの中そこまで見て取れるのは、相手が傘を差していないから。意図しないカモフラージュにうっかり見過ごすところだったが、あれは――
俺はため息をひとつつくと、傘を片手に屋敷を出た。
ざああああ。
傘を叩く雨は激しく、跳ね上がる雨粒は容赦なく革靴とズボンの裾を侵していく。どうして俺がこんなことを。押し寄せる不快感を無理やりねじ伏せて、俺は足早に雨中を進む。
紫陽花の花壇の前には、さっきと変わらず俯き加減で佇む人影。やはり彼女だ。傘も差さず雨も避けず、ずぶ濡れのままで。
「……何やってんですか」
ざああああ。煩すぎる雨音に俺の声はかき消されたか、彼女は返事をすることもなく、こちらを振り向こうともしない。
もう一度、同じ科白をかけようとして──俺は彼女が別段何かをしている訳ではないと言うことに気が付いた。ただ──
「……何泣いてるんですか」
「泣いてません」
今度は即答だった。
だが否の答えが俺の眉間に皺を寄せる。
確かに俺は彼女の顔を窺ってないし、この雨なら喩え泣いていても分かりはしないだろう。木を隠すには森の中、涙を隠すには雨の中。これだけの豪雨なら泣き声を漏らしてもまず聞こえない。
しかし雨は、小刻みに震える肩を隠してくれる程、優しくはないのだ。
「泣くんなら別に部屋でもいいでしょう」
「だから泣いてないです」
俺を見ようともしない彼女の答えが、俺の眉間に皺を一本増やす。彼女はどこまでも強情だ。
ざああああ。
俺はそれ以上何も言わず、ただ彼女に傘を差し伸べた。
途端に髪も顔も服も俺の全てを雨が濡らす。代わりに傘下に入り濡れなくなった筈の彼女の頬は、時間が経っても尚、熱い滴によって止め処なく濡れていた。
長い、長い間、俺達はそのまま佇んでいた。
ざああああ、あああ。
俺にも彼女にも等しく降り注いでいた雨は、やがて傘を大音量で叩いていたのが嘘のように止んでしまった。雲の隙間から覗く太陽の反対側には鮮やかな虹。
それとほぼ同じくして彼女の肩の震えも収まった。俯いていた顔を上げ、此方を振り向く。涙に濡れた顔を隠そうともせず。
それを見て、俺は三度、口を開いた。
「……やっぱり、泣いてたんじゃないですか」
「泣いてません! 傘に穴が空いてたんです!」
言うに事欠いてのその理由に、俺は思わず吹き出した。
ああそうだ。彼女はそう言う女性だ。
泣いていた理由は分からないし、別に知らなくてもいい。ただ、
「ならそういうことにしておいて差し上げますから。
屋敷に戻って、熱いコーヒーを淹れましょうね。うんと濃いのを、ブラックで」
「……アメリカンにして、ミルクと砂糖をいっぱい入れて下さい」
敢えて軽い口調で軽い遣り取りを交わす。それが彼女の今の望みだと、分かっていたから。
俺に出来ることは、これくらいだから。
だが──
願わくば、泣きながら泣くことを認めない強がりな彼女が、出来る限り泣かなくてもいいように。
俺は、雨上がりの虹に祈らずにはいられなかった。
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