Long

□8days
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昼休みで人の行き交いが多い廊下で、俺はただ荒くなっていく呼吸を感じるだけ。
会って何を言おうか、何を聞こうか。
そんな事を考えるなんて今の俺には到底無理な話やった。

遠くに3年2組と書かれたプレートが見えて。
近づくにつれて心臓の鼓動が大きく高鳴り、足が震えた。


怖い…、怖くてしゃーない…けど

これは謙也さんに会うんが怖いんやない


真実を知るのが

怖いんや…


開いたドアから中を見回すと、数人の生徒が教室に残っとったけど俺が探してる人物の姿はそこにはなかった。
大きく息を吐きドアの前から離れようと足に力を入れた時、突然肩がポンと叩かれ、俺はビクリと身体を揺らしながら後ろを振り向いた。


「……ッ…!」

「なんや、朝練サボり魔が息切らしてどないしたん?」


すぐ後ろには嫌味っぽく笑う部長がおって。
俺はふと、もしかしたら一緒におるんやないかって周りを見回したけど、その姿は見つからんかった。


「謙也さん…は…?」


思わず出た言葉に部長は少しだけ目を細めた気がしたけど、そんなん考える間もなく普段と変わらぬ表情に戻っとった。


「委員会の当番やって、放送室行く言うとったわ」

「放送室…」

「そのハズなんやけど、まだ何の放送もかかってへんなぁ」


部長は廊下のスピーカーを見上げながら、何やっとんのやろ、とか言うて、俺に視線を戻して。


「財前」


と、よく通る声が俺の耳に入った。


「謙也に何の用があるん?」


真っ直ぐ射抜くような目で見つめられ、俺はその目から視線をそらせなくなってしもて。
心の中を読まれとるんやないかって、そんなハズあらへんのに妙な焦りを感じた。
急に腕を掴まれ、戸惑う俺を人目のつかん廊下の隅に連れて行く。
振り払おうとした時、手がパッと離されて俺は目の前に立つ人物から二、三歩後ろに下がった。


「これ以上謙也に何を言う気なんや?」


そう言った部長の強い眼光を見て、俺は確信にも似た何かを感じ取った。


この人は知ってる

謙也さんと俺んこと…



「…確かめたいだけ…です」

「謙也の気持ちを?今更やな、昨日まで嫌っちゅーほど分かっとったやろ」

「そうや…なくて…」


俺は何をどう説明してええか分からんくて、黙ったまま部長から目をそらす。
部長はそんな俺を見ながら小さく溜息を吐くと、一瞬だけ悩むような表情を浮かべてポツリと呟いた。


「ただの遊びやったならそれでええ、…それでええから…これ以上謙也を弄ぶような事せえへんで」


その一言に胸が抉られるように痛む。
ギリギリと締め付けられとるみたいで苦しい。

そんなの俺が一番よお分かってる

そんなん…ッ…


「…ッ部長に言われんでも分かっとる…!それに…今更何かを言うたところでどうにもならへん!謙也さんはもう…俺ん事どでもええって思っとる…ッ…」


叫ぶようにそう言うと、部長は目を丸くして俺を見て。
その瞳に映った俺は泣きそうな顔で部長を睨みつけとった。


「…謙也がそう言うたん?」

「ちゃう…けど!謙也さんが俺を好きになったんは…一週間前で…飴の効力はもうないんや…ッ…もう、謙也さんは…!」


俺の事なんて好きやない

続けようとした言葉は涙が邪魔して言えんかった。
ボロリと目から落ちたものを感じた途端、喉の奥から何かがこみ上げて声が詰まり、奥歯を噛み締めながら顔を伏せた。





「……財前」


しばらくして、やけに優しく響く部長の声が上から聞こえ、俺は悲しみに歪んだ表情のままそれを聞いた。


「…お前がホンマは何を思って、何を言うとんのか…俺には分からんけどな、これだけは教えたるわ」


肩に置かれた手の温かさを感じて顔を上げると、部長は真剣な表情でゆっくりと口を開く。


俺にはまるで、それがスローモーションのように感じた。





「謙也は2年の時からずっと、お前の事が好きやったんやで」





…………

……この人は何を言うてるんやろ

だって、おかしいやん

謙也さんは俺があげたあの飴で…



『でも、あの飴…』


ふと、頭の中に甦る言葉

それはさっき二人の女子が俺に言うた言葉

信じられんような…言葉…



『あの飴、惚れるとか嘘っぱちなんやで、友達何人も試した言うとったけど実際に惚れたなんて聞いたことあらへんもん』

『せやなぁ、誰かが販売しとる業者に問いただしたら、騙される方が悪いねんとか逆ギレされた言うとったし』


二人が笑いながら話すその光景をただ呆然と見る事しか出来んくて。
信じられんくてここまで来た。


なのに。



「…嘘」


好きやった?

誰が?

誰を?


「嘘や…」


俺が飴をあげた時からやろ?

なぁ、あの時からやろ?


…そうって言うて…



「財前…」

「だって俺…謙也さんに…!」


別れるって

アンタとおったら後悔するって

酷い事言うて傷つけたのに


俺が

傷つけたのに



「財前!」


いつのまにか俺は部長の声を背中で聞いとった。

涙を拭く余裕なんてどこにもなくて、いつかこうして放送室へと走ったことを思い出しながら滲む景色を見つめる。


長く感じる道程。

俺を急かすのは心臓の音と、アンタの笑顔やった。


大きな扉が目の前に現れた時、俺は何の迷いもせずに重い扉を押して。
静かな放送室の中に慌てて足を踏み込むと、椅子に座っとった人物が振り返るんが分かった。

荒い息を繰り返し、涙でぐちゃぐちゃな顔を向ければその人物は俺を見るなりサッと顔色を変える。
それが俺に対する嫌悪によるものなのか分からんくて咄嗟に声が出えへんかったけど、途端に目の前の顔が心配そうな表情になって俺は思わず床に崩れ落ちた。


「…光…?え、なに…どないしたん…?」


慌てた様子で俺に近づいてくる謙也さんの姿。
見ただけでこんなにも胸が苦しくなる。
こんなにも涙が溢れてくる。


「………な、…で…」

「…え?」


上手く声が出ない

言いたいこといっぱいあるのに

アンタに言わなアカンこと

いっぱいあるんや



「…なん…で…」


小さな声でそう言うと、俺に伸ばされた手が触れそうな位置でピタリと止まった。
謙也さんはただじっと、心配そうな顔のまま俺を見つめる。


「なんで…言うてくれへんかったんッ…!?」


ずっと前から好きやったって

俺が飴をあげる前から好きやったって…


「何であの時抱き締めたりしたんや…!」


飴をあげた後に抱き締められんかったら

俺は勘違いすることなんかなんかったのに…


「何で…ッ…」


…何で俺は…

こんな時でも責める事しか出来んのやろ…


「…光」


謙也さんは何も言わずに僅かに笑顔を見せる。
ホンマは無理に作ったのかもしれんけど、それはあまりにも自然で俺の目には再び涙が滲んだ。


「…ッ何で…何で怒らへんの?俺、謙也さんに酷い事言うたやん!理不尽な事も言うた!アンタの気持ちを踏みにじったやろ!?」


俺は放送室中に響くぐらい大きな声で叫んどって、謙也さんは少し悲しそうな表情を浮かべた。


「…ごめんな」


謙也さんは意味も分からないまま怒鳴られてるハズやのに、怒った顔も不思議そうな顔もせず、ただ小さくつぶやいた。


「何でアンタが謝るんや!全部俺が…俺がッ…!」

「光」


俺に向けられた謙也さんの目は悲しく揺らぎながらも、強い光を宿しとった。


「…俺、光に謝らんとアカン事あんねん」



……え…

俺が息を荒げたまま視線を送ると、謙也さんは僅かに視線を落とし、床に落ちとる『何か』を拾いあげる。
それはさっきまで俺が持っていた小さな箱やった。

ハッとして手を伸ばそうとした時、謙也さんの優しい声が耳に届いた。


「…3日前、屋上に来た女の子おったやろ、告白されて断って…そのまま帰ろうとしたんや…」


俺は返事をする事も、頷く事すらもせず、ただ耳に入って来る言葉を黙って聞いて。
その時の光景を記憶の中から呼び起こす。

3日前、俺は屋上のドアの前で二人の会話を聞いとった。
誰かの足音が聞こえてきて、急いでその場から逃げてしもたけど。


「…でも…」


でも…?

謙也さんは拾った箱の中から袋に入った飴を取り出して、確認するかのようにそれを見つめた。


「その子が、最後にこの飴舐めてって…一週間前に光が俺にくれたものと同じ飴をくれたんや」



……な…に…


謙也さんの言葉に驚愕して、俺はその場で固まってしもた。


「…よお分からんかったけど、その子の目の前で舐めたら、なんともない?って…、信じられん事に一週間前の光と同じ事を聞かれたんが妙に引っかかった」


ドクン、と、心臓が飛び跳ねる。
床についた手にじわりと汗が浮かぶのを感じてギュッと手を握り締めた。


「でも、あの飴は…」

「せや、ただの飴やった、この飴何なん?って聞いたら俺の気持ちが変わってへんのに気付いたその子が効果がないならもうええ言うて…全部…教えてくれたで」


俺は何を言われたのかすぐに理解する事が出来ず、ただ謙也さんを見つめる事しか出来んかった。


知ってた

謙也さんは知ってたんや


知ってたんなら…何で…


「その時分かったんや、光が何で俺と付き合うって言うたのか…、この飴のせいで俺が光を好きになったと思って責任を感じたんやないかって…」

「せやったら何で…、何で気付いた時に言うてくれんかったん…?何で俺を責めんかったんや!」

「言うたら…光は俺から離れてまうって…飴の効果がないんやったら今の関係も終わる、そう思った!俺は光の罪悪感を利用してまで光と一緒におりたかった!そんな事を考えてまうほど俺は光が好きなんや!」


謙也さんの泣きそうな顔が目に映った瞬間、俺は強い力で抱き締められとった。
何かがボトリと床に落ちる音が聞こえて、足元にはぐしゃぐしゃに握り潰された小さな箱と飴が転がるんが見えた。


「ごめんな…」


聞き逃してしまいそうなほど小さい声。
俺の身体を抱き締める腕が小刻みに震えとって。
二度と感じる事はないと思っとった謙也さんの温もりを感じて、俺の目から再び透明な雫が零れ落ちた。


「…どうして、俺が別れようって言うた時に止めてくれんかったん…?ホンマは飴のせいなんかやないって…言うてくれたら…」

「…光の気持ちが分からんかった…、気丈な態度の光を見て、やっぱり罪悪感を感じて付き合うてくれてたんやって思うしか出来んかったんや」


俺があの時涙を見せてたら

何かが変わってたんやろか

謙也さんは俺の気持ちに気付いてくれた?

振り解いた腕でもう一度抱き締めてくれた?


なぁ、今は?

今、俺を抱き締めてくれとる意味は?



「…謙也さん…俺が罪悪感だけでアンタと一緒におったって…今でもそう思っとる…?」


不安に駆られて出た言葉。
それを隠すかのように、謙也さんの背中に手を回してシャツをギュッと握り締める。
それを感じてか、謙也さんの腕の力が一層強まったんが分かった。


「…思ってへん、光がここに来た時から何が嘘で何が本当なんか…分かってしもた」


上から降る優しい声。
その声は俺を酷く安心させ、張り詰めとった何かがプツリと切れる。
肩を揺らしながら、俺は謙也さんの胸の中で声を出して泣いてしもた。
嗚咽交じりに泣く俺を、謙也さんはずっと抱き締めてくれて「光」って名前を呼んでくれた。



「謙也…さん…」

「うん?」

「俺…最初はからかうつもりで謙也さんにあの飴あげたんやって…思っとったけど…、ホンマはこの飴が本物やったらって…心の奥で思ってた、本物やったら謙也さんは…俺ん事好きになってくれるのに…って…」


気付くのが遅すぎたこの想い

まだ間に合うんやろか…

まだ…アンタに伝わるやろか…



「酷い事言うてごめんなさい…」

「…うん」

「傷つけて…ごめんなさい…ッ…」

「ひかる」


ふと、謙也さんはゆっくりと身体を離して俺の顔を覗き込む。
涙に濡れた頬を何度も何度も涙が消えるまで指でなぞり、微笑みながらそっと口を開いて。


「俺、光から聞きたい言葉があんねん、ごめんなさいなんかやないで?」

「………」

「それ言うてくれたら…全部許したる」


そう言って、優しい手が俺の髪をふわりと撫でた。




謙也さんが聞きたい言葉

謙也さんに聞いて欲しい言葉


それは

たった一つの

言いたくて言えなかった言葉




「謙也さんが…好きです」




眩しすぎるほどの笑顔が視界いっぱいに広がって…
そして、俺はまた謙也さんに抱き締められとった。


温か過ぎて、幸せ過ぎて…

じわりと浮かぶ涙を誤魔化すように、俺は普段と同じく悪態を吐いとった。


「…そもそも、飴あげたあと謙也さんが俺ん事抱き締めたりしたから本物やって勘違いしてもうたんや…」

「あの時…、光が躓いて支えた時に今まで抑えてきた気持ちが止められんくなって、光の震えた声を聞いて、抱き締めた事に動揺してもうて何でもないふうにしようとしたけど、もう…無理やったんや」

「…何やそれ…タイミング悪過ぎ…」


俺は謙也さんの腕の中で小さな笑みを漏らし、ゆっくりと静かに目を閉じた。





『それ』を見つけたのは偶然やった。



偶然?ホンマに?


謙也さんが俺を好きになったのも

俺が謙也さんを好きになったのも

…偶然?


偶然なんて一言で片づけられるようなものなんかやない


必然?運命?

そんな格好ええものでもあらへん


きっとこれは、何でもない日常のちょっとした寄り道に過ぎんのや


だってそうやろ?


アンタと一緒なら

これからもっともっといろんな事が起こるに違いないんやから


楽しい事、幸せな事ばかりやないかもしれんけど

10年後、20年後も…ずっと…

あんな事あったな、なんて笑えたらええな


もちろん隣にはアンタがおるやろ?


俺の大好きな太陽のような笑顔を浮かべて


END...

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