Long
□8days
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あー…ホンマだるい…
眠い目を擦りながら階段を降り、そのまま玄関へ向かう。
時刻は6時52分。
起きたばっかやと飯もろくに入らんし、ましてや食べてる時間もあらへん。
月曜日の朝はいつもこんな感じやねん。
土日に夜更かしとかしてまうから月曜の朝練の時間に起きるんがめっちゃつらい。
ボーっとしながら靴を履き、玄関のドアを開けると、眩しいほどの陽が照り付けとって、これからの部活を想像するだけで嫌になる。
大きく溜息を吐き、外へ足を踏み出そうとしたその時やった。
「光ーもう行くん?なんやどっかから荷物来てんで」
ドアを開ける音に気付いたんか、リビングから顔を出した兄が俺に手のひらサイズの小さな箱を差し出した。
「…荷物…?」
その箱を覗き込めば俺宛の伝票が貼られ、『本人以外開封厳禁』と小さな字で書かれとる。
なんやこれ、と、不思議そうな顔をすれば、兄は小さな箱をしげしげと見つめながら伝票の字を追った。
「えーっと…財前光様になってんで?光が頼んだんちゃうん?」
「そんなん頼んだ覚えあらへんし、何かの間違…い…」
……あ…。
そこまで言って、俺は兄の手から箱を奪うようにして受け取る。
頭の中でパッと浮かんだもの。
まさか、とは思いながらも、今俺に届く物と言ったらそれしか思い浮かばんかった。
「光?」
「…ちゃう、通販で頼んだんやった」
ちょお焦ってしもたんが目についたんか、普段俺に届く荷物なんて興味を示さん兄は俺と箱を交互に見つめて目を細める。
「ふーん、何なんそれ」
「…別に何でもええやろ」
「…怪しいなぁ…お兄ちゃんにも言えへんような物なんか?」
ニヤニヤと笑みを浮かべる兄が今にも箱に手を伸ばしそうで、俺はすぐさま身体を反転し、開けたままのドアの向こうへ歩き出して。
「アホ、ただのピアスや」
後ろからでっかい声で「気をつけるんやでー!」とかなんとか言うてる兄に見向きもせずに、妙な焦りと共にいつもの通学路を急いだ。
角を曲がり、家が完全に見えんくなった所で、手の中にある箱をジッと見つめる。
あの夜、あの広告に書かれとったもの…
確かに注文してもうたけど…
あんな誰かの悪戯みたいなもんが、ホンマに届くなんて…ないやろ。
そう思いつつも、恐る恐る箱を開けると中には袋に入った丸いものと、小さく畳まれた紙が入っとって。
見覚えのある丸いものは、あの時広告で見た飴と同じものやった。
「…嘘やろ…」
ホンマに…?
いや、でも…確かに届いたからと言ってこのただの飴に惚れさせる効力なんてある訳ない。
こんなんで人の心が動いたら、それこそ世も末や。
…馬鹿らしい…
さっきはホンマに届いたんに焦ってもうて冷静に考えられへんかったけど、今になって何かが急激に冷めていった。
小さく笑い、隅に添えられた紙を手にする。
そこにはパソコンで印刷されたような文字が一文だけ書いてあるだけやった。
「…この飴を全て舐め終わった時、一番最初に見た人物に惚れてしまい、効果は一週間続きます…」
呆れつつ紙を乱暴に箱に戻し、ズボンのポケットに突っ込む。
「こんなん無理ありすぎやろ」
誰に言うでもなくそう呟き、前を見据える。
今から急いでも朝練には間に合いそうにあらへん。
部長に怒られるんはアレやけど…急いでも急がんでも遅刻するんは一緒…。
せやったら変に体力使わん方がええな。
そんな事を考えつつ、俺はゆっくりと足を動かした。
「財前、えらい遅刻やで」
学校に着いてテニスコートを横切った瞬間、早速部長に声をかけられたが、短い返事だけしてそのまま部室に向かう。
コートに行ったらやっぱり小言ぐらいは言われるやろな、なんて思いながらドアをゆっくりと開けた。
「…あ」
「おはよーさん」
みんなはコートにおるやろし、部室の中には誰もおらんと思っとった俺の目の前にはド派手な色の頭をした人物がこちらに目を向けて微笑んどった。
「謙也さんも遅刻っすか?」
「ちゃうわ!光と一緒にせんでやー!」
冗談っぽく怒ったように謙也さんは大きな声を出して。
よお見るとその手にはラケットとグリップテープが握られとる。
「さっきグリップ切れてもうて、巻き直してんねん」
「へー」
テープを巻く謙也さんを横目に通り過ぎながら自分のロッカーを開けた。
カバンからユニフォームを取りだした時、返そうと思っとったCDを一緒に入れてたんに気付いて中を探る。
「謙也さんこれ」
「ん、なん?」
「借りてたCD」
「おぉ!どやった?めっちゃええ曲やったやろー!」
謙也さんは俺からCDを受け取ると、笑顔で俺とCDを交互に見つめる。
借りた時、自信満々に渡されたからどんなんかと思っとったけど。
「まぁまぁっすね」
…とか言うて。
ホンマはめっちゃええ曲やったって事はなんや悔しい気がするから言うたらん。
もちろん、パソコンにまで取り込んだっちゅーのも秘密や。
「えー、光の好きそうな曲やと思ったんやけどなぁ」
謙也さんはブツブツ言いながら口を尖らせて作業に戻って。
俺も早よ着替えようと制服に手をかけようとしたその時やった。
コツン、と。
ズボンに入れたままの何かに指が触れ、今まで頭の中から消えとったものが甦る。
ふと、俺の頭にはよからぬ考えが浮かんで。
気付いた時にはぐしゃぐしゃになった箱の中から小さな飴を取り出しとった。
「謙也さん、CD貸してくれたお礼にこれあげますわ」
俺の声に再度振り向いた謙也さんは、手の中を覗き込むと不思議そうな顔をしながらも笑みを浮かべて、ゆっくりと手を伸ばす。
「飴?なんや光がお礼とか似合わへんなぁ、おおきに!」
お礼とか言われとるけど、俺はアンタをからかう為に渡したんやで?
どうせただの飴や。
謙也さんが舐め終わった後に一緒に入っとったあの陳腐な紙を見せて「謙也さん男の俺に惚れてまうん?」とかなんとか言うたら、めっちゃ慌てふためきそうや。
なんでもかんでも信じてまいそうやもん。
そういう所がこの人のええ所でもあるんやけど。
「それ、今食べたってください」
「…今?何で?」
「あー…、それ早よ食べんと悪くなってまうんで」
ポケットにしまおうとした謙也さんに制止の声をかけつつ、心の中でニヤリと笑う。
謙也さんは少し悩んどったけど、袋を破いて小さな飴を口の中に放りこんだ。
「ほんならいただきます」
飴が謙也さんの口の中に入ったんを見て、なんやドキドキと鼓動が速くなってしもた。
…別に、あの紙に書いてあった効力があるとは思ってへん…
けど…
やっぱり気になってまうんはしゃーない。
「……光?」
「俺ん事は気にせんと、口だけ動かしとってや」
「そんな近くでジッと見られとったら気になるわ!何なん!?」
謙也さんから目をそらす事なく、小さく動く口を凝視して。
謙也さんは妙な表情を浮かべたまま顔を近づける俺に声を荒げとった。
「…あれ、すぐ溶けてしもた」
急に口の中から飴がなくなった事に驚いたんやろか、謙也さんはもごもごと口を動かす。
「…全部…舐めたんやな?」
俺は改めて謙也さんの顔を見つめる。
10秒ぐらいそうしてたんやけど、謙也さんが不安そうな顔で首を傾げただけでそれ以外の変化は特に感じられへんかった。
「…やっぱりなんともあらへん…か…」
「え、なに?」
「や…別に」
まぁ、思ってた通りやったけど。
ちゅーか…何かあった方が困るわ。
自重気味に笑い、あぁそうや、と、ポケットに入れてあったあの紙を謙也さんに見せようとゴソゴソと中を探る。
手に触れた紙を取り出そうとした時、俺は謙也さんが座っとる椅子の角につまずいて思わずよろけてもうて。
「ぅ、わ…!」
「光!」
俺を支える為に伸びて来た手に掴まれて転ばんですんだけど、謙也さんに抱き締められとるように寄りかかっとるんがめっちゃ恥ずい。
「…すんません」
………
……あれ…?
起き上がろうと身体に力を入れても何故か離れる事が出来ん。
離れるんを阻止するように背中に回っとった腕の存在に気付くのに、そう時間はかからんかった。
「え、なん…」
グッと腕に力が入るんが分かったけど、俺は戸惑うだけでジッとするしか出来んくて。
しばらくそうしとると、すぐそばから小さな声が聞こえた。
「ひかる…」
耳元で囁かれた名前。
それはまるで大切なものを呼ぶようで…。
ドクン、と、胸が震える。
「……謙也さん…?」
やっと出した声は、動揺を隠せないまま震えて。
それでも謙也さんに届いたらしく、いきなりパッと身体を離され、今度は後ろによろける羽目になった。
「す、すまん、俺…何で…」
謙也さんの顔がどんどん赤くなっていって、俺から視線をそらすように顔を背ける。
謙也さんの顔は戸惑いを浮かべて、自分でも何をしたんか分かっとらんみたいやった。
長い沈黙が流れ、俺は謙也さんに触れられた部分を手でなぞる。
熱い…
謙也さんの体温が、まだ俺の腕に…背中に…
身体中に残っとる…。
「……謙也…さ…」
「すまん!先コート行ってんで!」
俺の言葉に反応するかのように立ちあがった謙也さんは逃げるようにして部室から走り去って行った。
俺はその背中をただ見つめ、机の上に置かれたままの飴の袋に視線を落として。
「まさか…な」
自分に言い聞かせるように呟いたが、さっきまで確信しとった考えがだんだんと崩れていくんを感じた。
だってあんなん…
本物の訳あらへんやん
…でも…
謙也さんの行動は明らかに変やった
………
もしかして…ホンマに…?
焦り、動揺…
何の所為か分からんけど、俺の胸はジリジリと熱くなっていく。
ポケット中から紙を取り出し、朝と同じようにその一文をゆっくりと目で追って。
『この飴を全て舐め終わった時、一番最初に見た人物に惚れてしまい、効果は一週間続きます』
その字を見つめながら、俺はしばらく呆然と立ち尽くす事しか出来んかった。
next day...