Long
□8days
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今日は俺が朝練を休む番やった。
いつもなら家を出とる時間やけど、俺は未だベッドの上で横になっとって。
身体は睡眠を欲してるハズやのにずっと寝れずに朝を迎えた。
昨日の謙也さんの言葉が何度も頭の中に響き、その度にじわじわと罪悪感が心を蝕む。
好き
好き…
そんな感情
偽りやのに…
痛む胸を抑えつけながら目を閉じようとした時、枕元に置いてあった携帯電話のアラームが鳴った。
さすがに学校までは休めんから、重い頭と身体を起こしてなんとか立ち上がる。
ここ最近ほとんど睡眠をとっていないせいか、目の前がぐらぐら揺れている感覚に陥って。
こんなんやったら朝練に行った所で使いもんにならへんな、とか思いつつハンガーに掛かった制服に手を伸ばし、緩慢な動作で着替えていった。
ふと、何かを思い出したようにズボンのポケットに手を入れて、中で丸められたものを取り出す。
ぐしゃぐしゃになった紙をゆっくりと手で伸ばすと、そこに書いてるある文字はハッキリと俺の前に現れた。
『この飴を全て舐め終わった時、一番最初に見た人物に惚れてしまい、効果は一週間続きます』
何度読んでも書いてある文字は変わる事はない。
ポケットから出しては読んで、その度にぐしゃりと丸める。
昨日からそれを繰り返してボロボロになった紙をそっと机の上に置いた。
謙也さんに借りたCDと一緒に。
昨日の放送室での出来事。
あの後、黙ったままの俺に謙也さんはつらそうな表情をしながら「ごめん」とつぶやいて。
掴んどった俺の肩から手を離して、何も言わずに横を通り過ぎ放送室を出て行ってしもた。
謙也さんに声をかけることも、追いかけることも出来ず、俺はCDを握り締めてしばらくそこに突っ立っとった。
俺はどうすれば良かったんや…
効果が切れるまで一週間。
それまでただ何も言わずジッと待ってればええの…?
……答えはNO。
謙也さんは突然現れた訳の分からない自分の気持ちを認めたというのに、俺はあんなにも悲しい顔をさせてしもた…。
俺が逃げてええ訳がない。
かと言って、アンタの気持ちには応えられへん、なんて、そんな事も言えへん。
自分が無理矢理植え付けた気持ちやのに、何も悪くない謙也さんを傷つける…。
せやったら俺は…
俺が言うべき事は…
もう一度CDと紙に視線を向け、俺は静かなこの部屋を後にした。
学校に行っても授業中はずっと同じ事を考えて、前で話す先生の声なんてまるで耳に入って来おへんかった。
今、謙也さんはどんな気持ちでおるんやろ…
どうして俺ん事好きになってしもたんやろって、悩んだりしてるんやろな…
告白した事…後悔してるやろか…
「起立、礼」
…あ。
急に聞こえた号令に俺は立ち上がる事も出来ず、ふと時計に目を向けた。
いつのまにか午後の授業が終わったことに気付き、俺はガヤガヤと騒がしくなった教室の中で小さく息を吐く。
しばらく座ったままボーっとしとったけど、授業が終われば行くべき所は決まっとって、重い腰を持ち上げてカバンを手にした。
…ちゃんと言わなアカン。
例え一週間で終わる感情だとしても、謙也さんは自分の中のそれを信じとる。
…一週間で…終わる感情…
チクリと何かが痛んだ気がしたが、それが何なのか深く考えもせずに部室へと向かう。
考え過ぎたせいか、寝不足のせいか…
…たぶんどっちもやと思うけど頭がガンガンと響いて鬱陶しい。
既に賑やかなコートに目を向けるとボールを打つ音が聞こえ、そこで自分が遅刻しとる事に気付いて。
「財前」
そそくさと部室に入ろうとした俺を部長の不敵な笑みが出迎えた。
「自分どんだけ遅刻したら気が済むんや」
「はぁ、すんません」
「朝練来おへんかった理由は?」
「……寝坊です」
大きな溜息の後に「早よ着替えて来い」と急かされ、俺は誰もおらん部室に足を踏み入れる。
グラウンド走らされたりするんやろか、とか思っとったけどなんやちゃうみたい。
ロッカーにカバンを置いてユニフォームを取り出しとると、そういえば今日はダブルス練習の日やったなと思い出す。
…そおか。
俺がおらんと試合出来んヤツがおるんや。
それが誰かと考えれば自然と答えは出る。
もうすぐ全国大会。
それに合わせてダブルスも調整しとるし、最近は全国で当たるかもしれん青学戦に合わせた練習をしとる。
せやから、俺のパートナーは…
バタンとロッカーを閉め、自分の隣のロッカーを見つめる。
少し開いた隙間からきちんと畳まれた制服が見え、その人が部活に来とる事を証明しとった。
アンタはどんな気持ちで俺ん事を待ってるんやろか…
俺に来て欲しない?
何も聞かなかったような顔をして欲しい?
いつもみたいな態度で「謙也さん」って呼んで欲しい?
……どれもちゃうやろ…?
分かってる、どうしたらええのか。
不思議と嫌な気持ちはせんねん。
それは俺が罪悪感を感じとるから…
逃げる訳にはいかんから…
そんな事を思っとったけど、何故かどれも違う気がした。
「財前、あっちのコートに入りや」
部室から出た瞬間、部長に一番遠くのコートを指され、そちらに目をやると何人かの姿が見えて…。
遠くからでも分かってまう。
目立つ髪の色とか…なんていうんやろ、雰囲気?
どんな顔をしとるかまでは分からんけど、その人の姿を見たら急に近づくんが怖くなって。
しばらくその場で立っとると、横におった部長が訝しげに俺の顔を覗き込んだ。
「どないしたん?」
「や、別に…」
「なんや…顔色悪ないか?具合でも悪いん…?」
「…そんなんやないです、ちょお寝不足なだけで」
部長が何かを言おうと口を開きかけたが、俺はそれを聞かずにコートへと歩き出しとった。
だんだん近づいていく度にドクンドクンと鼓動が大きくなる。
僅かに声も聞こえ、表情も見える位置まで来ると、無意識のうちに唇を噛みしめとった。
笑いながら話す謙也さんと、ネットを挟んでそれを聞くユウジ先輩と小春先輩。
俺が隣に行ったら…あの笑顔は無くなってまうんやろか…
「あ、光ちゃんやっと来たわー」
「遅いわ!財前のくせに何時間待たせんねん!」
俺を最初に見つけた小春先輩が声をあげると、隣におったユウジ先輩もあまり喜ばしくない顔でこっちを向く。
「…何時間て、そない待ってへんやないですか」
いつものように言い返したけど、内心冷静ではいられない自分がおる。
怖くて横が見れへん…。
「まぁええ、今からお前をギッタギタに負かしたるわ!もう生意気な口利けへんで!」
「ユウくん怖ーい!」
「待ってや小春ぅぅー!」
二人は反対側のコートのサービスラインまで走っていってもうて、俺も下がらなアカンのやけど…。
…怖い。
でも、ずっとここにおる訳にもいかんくて。
ゆっくりと顔を動かし、そこにいるであろう人物に視線を向けた。
ドクン
ドクン…
「光、今日も遅刻やん、白石めっちゃ怒っとったやろー」
「………」
「あ、サーブこっちからやで!頑張ろな!」
そこにはいつもと同じ笑顔があった。
昨日見せた表情なんて微塵も感じさせない謙也さんは、ボールを持ってサービスラインに下がって。
俺は呆気に取られたまま謙也さんの後ろ姿を目で追った。
…笑っとる…
何で?どうして?
……
「…無かった事に…しようとしてるんやな…」
小さくつぶやいた言葉は、謙也さんが打ったボールの音に掻き消された。
返って来たボールが俺の横を通り過ぎ、すぐさま後ろからボールが返ってくる。
「光!クロス来んで!」
その声に俺は反射的に走り出し、ラケットを構える。
「……ッ…!」
打球がいつもより重い。
ちゃんと捉えたつもりやのに、ラケットを持つ手がぶれる。
なんとか返ったボールはコースも甘く、簡単に拾われ、またすぐに返って来て。
方向転換しようとして軸足に力を入れた瞬間、自分でも分からんうちに膝がガクリと震えた。
…なに…?
身体が言う事聞かへん…
「…光?」
俺が取り逃したボールを打った謙也さんの声が聞こえ、そっちに顔を向けようとしたが、今の俺にはそんな事すら出来んくなっとった。
あぁ…
目の前が揺れる
自分がちゃんと立ててるかも分からへん
「光!!」
ぼやける視界の中で、謙也さんが近づいて来るんが分かったけどそれはスローモーションのようやった。
倒れそうな俺を支える腕が、一昨日の部室での感触を彷彿させる。
「財前!どないしたんや!」
遠くの方から部長の声も聞こえたけど、やっぱり顔を動かす事は出来んかった。
「具合悪いんやろか、急に倒れそうになってもうて…!」
「やっぱり具合悪かったんやな、何で言わへんのや…、とにかく保健室に連れてった方がええな」
「せやったら俺がおぶってくわ、白石はここにおって」
「せやな、頼むわ」
そんな会話が聞こえた後、俺は強い力で引っ張られ、気付けば大きな背中に身体を預けとった。
…温かい…
何でこんなに安心するんやろ…
さっきまで謙也さんに会うんが怖くてしゃーなかったのに…。
歩くリズムと一緒に、謙也さんの髪がふわふわと顔に当たる。
意識が遠のいて行くような感覚がしたけど、それは謙也さんの声によって遮られた。
「…光…具合大丈夫?」
遠慮がちに発せられた言葉。
俺はなんとか喉から声を出して謙也さんの耳元で小さく囁やいて。
「平気です…、ちょお寝不足なだけやから…」
ふと、謙也さんの歩みが止まり、俺の足を掴む腕に力が入った。
「…ごめん、俺があんな事言うたせいやんな…、無かった事にしようとしたけど…結局光がこんなんなるまで悩ませてもうた…」
悲しみを帯びた謙也さんの声。
ここからやと表情は見えんけど、見なくてもアンタが何を思っとるんか分かる。
きっと自分を責めてるんやろ…?
……全て俺のせいやのに…
俺があんなものをあげんかったら、こんなに悲しい思いをさせる事はなかったんや…
真実を言うても、それは今の謙也さんの気持ちを否定して、アンタを傷つける。
このまま無かった事にしていつも通りに接しても、俺の知らない所で謙也さんは自分を責める。
飴の効果が切れた後、俺を好きやという感情が無くなってこの間違いに気付いたアンタに何を言われてもええ。
それでも…
俺には今のアンタが望む事を叶えるぐらいしか出来んのや…
「…謙也さん」
俺は…間違えてへんよな…?
「…俺と付き合うて下さい」
これが
俺の出した答え
next day...