Long
□★この恋=危険域
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「適当に座っててや」
俺を部屋に通した謙也さんはそう言って階下に降りて行く。
後ろでドアがバタンと閉まると、俺はやっと張り詰めていた息を吐き、辺りを見回した。
あぁ…
なんやめっちゃ懐かしい
家具の位置も、カーテンの色も、謙也さんの匂いも…
前に来てた時と何も変わってへん…
俺はそっと部屋の端に置かれたベッドに近づき、その表面を手でなぞった。
触れたシーツの感触は忘れる事の出来ない、何とも言えん感触で…
謙也さんに抱かれていた時の事を鮮明に思い出させる…
ベッドの上で囁かれる言葉
俺を見つめる欲に濡れた眼差し
俺に触れる謙也さんの大きい手と長い指
そんなんが一気に甦ってきて、俺は小さく身体を震わせた。
身体もちゃんと覚えてる…
あの快感や喜び、幸せな気持ちとか…
それを思い出すだけで心の中にある欲求が強くなってしもて。
「……謙也さん…」
こんなに近くにおるのに、今は遠くに感じる。
上手く説明出来んけど…そんな感じ。
高鳴る胸を抑えながら、もう一度シーツに触れた時やった。
トントントン、と規則的なリズムで階段を上がる音が聞こえ、パッとそこから離れた。
ドアが開く前に素早く床に腰を下ろした俺は、何故か不自然な正座のまま謙也さんを迎える事になってしもて、ドアから顔を出した謙也さんはジュースを持ちながら首を傾げる。
「何で正座なんかしとんの?」
「…いや、別に…」
上手い言い訳も思いつかんくて、俺はそのままの姿勢で視線を外す。
テーブルにコップを置いた謙也さんはすぐに座る事はなくて、少しの間を置いて俺の向かい側に座った。
…謙也さんのいつもの場所は、俺のすぐ隣やったハズやのに…
自分の部屋やったら、避けんでくれるんやないかとか少し期待しとったんやけど…
その期待も裏切られてしもた…
テーブルを挟んで正面に座った謙也さんはコップを手に、テレビのスイッチを入れた。
ガヤガヤと騒がしくなる音も俺の耳には一切入らんくて、窓から差し込む夕日がテレビに反射して映像もよく見えんかった。
謙也さんはテレビに視線を向けたまま動かんし…
テーブルの上で握られたコップの中の液体だけがユラユラと揺れているだけ…
…こんなんやったら…
謙也さんちに来た意味ないやん…
どうして…こっち向いてくれへんの?
何で隣に座って声をかけてくれへんの?
思いきって手を伸ばせば謙也さんの手に触れる事が出来る…
少しでも触れたら、謙也さんはちゃんと俺に顔を向けてくれるんやろか…
俺は膝の上で震えとった手を持ち上げ、テーブルの上の謙也さんの手に近づけた。
ゆっくり、ゆっくり…
音を立てんように慎重に。
ちょん、と人差し指が触れる。
「…ッ…!!」
その一瞬の感触に、謙也さんは驚いた顔をして急いで手を引っ込めて。
ぐら、とコップが大きく揺れ、俺は胸が締め付けられる思いでそれを見つめる事しか出来んかった。
「…あー…その…、な、なんか眩しない?…あ、カーテン開いとるからやな!」
謙也さんはその場から立ち上がり、座っとる俺の横を通り過ぎる。
この場を誤魔化す為にかけられた言葉。
俺はそれに返事をせずに唇を噛み締める。
ホンマにつらくて、悲しくて…
アンタに触れられないんやったら
もうどうする事も出来へんやん…
俺は静かに立ちあがると、ベッド側の窓のカーテンを閉める謙也さんに身体を向けた。
「…何で…ッ…」
発した声は震えて、掠れて、自分の声やないみたい…
「え…?」
謙也さんがゆっくりと振り返る。
俺の顔を見て息を飲んだ謙也さんの顔は滲んでよく見えんかった。
瞬きをするたびにポタリポタリと目から何かが零れていって…
床に小さな水たまりを作っていく。
「…何で俺に触れてくれへんの?」
ずっと聞けなかった言葉が喉の奥から出る。
謙也さんは俺に近づき、頬に流れる涙を拭おうとして手を伸ばしたが、それはまた触れるか触れないかの所でピタリと止まった。
躊躇うような謙也さんの表情を…もう見てられんくて…
視線を反らし、自分の足元と零れた涙をジッと見つめた。
「もう…俺ん事嫌いになってしもたん…?」
「…ひかる…!」
「あいつらに犯され続けた身体なんて、もう触りたくないんやろ…?」
「光!ちゃうねん、そうやなくて…!」
下を向いたままの俺の視界に謙也さんの足が入る。
息遣いが聞こえる程、近くにおるんが分かったけど、俺は顔を上げられない…
また手を伸ばして…
振りほどかれたら…
そう思うと、その場から一歩も動けず、指の先すらも動かせんかった。
長い長い沈黙。
謙也さんがどんな表情で俺を見てるんかとか、何を思ってるんかとか…
考えても考えても答えなんて出て来なくて…
ただジッとそこで次に言われる言葉を待つだけやった。
例えそれが…
肯定でも否定でも…
…俺には待つ事しか出来ない
「…ごめん…な…」
謙也さんの口から出て来たんは、謝罪の言葉。
どう捉えてええのか分からんくて俺はギュッと拳を握った。
「ずっと…我慢してたんや…、光を見るたびに、触れたいって…抱きしめたいって…そう思っとった…」
………
……え…?
その言葉に、俺は顔を上げ視線を合わす。
謙也さんの顔はめっちゃつらそうに歪んでて、今にも泣いてしまいそうな…そんな顔。
それでも俺から視線を外さずに、謙也さんはゆっくりと息を吸った。
「……光に触れたら、止まらんくなるから…」
俺を見る謙也さんの目は欲望が見え隠れするみたいに揺れて…
それを必死に抑えるようにゆっくりと瞬きをした。
ドクンドクンと、胸が高鳴る…
何が?
とか…
そんな分かりきった事は聞かん…
謙也さんは俺に触れたいと…
確かにそう言った
せやったら何で?
何で我慢する必要があったん…?
俺がそう聞こうと口を開きかけた時、謙也さんの口から答えが飛び出した。
「…俺が想像出来んくらい、光はつらくて怖い思いしてきたんやろ…、それやのに俺は…光ん事、めちゃくちゃにしたいとか…そういう事考えてまうねん…」
最低やろ?
って言いながら、謙也さんは苦笑する。
無理に作った笑顔が余計に謙也さんの思いを物語っとった。
最低なんて…
そんなん…
思う訳ないのに…
「謙也さん…」
「嫌やって、怖いって言われても…一回触れたら途中で止める事なんて出来そうにないし……酷い事…してまうかもしれんから…」
俺は咄嗟に謙也さんの手に自分の手を伸ばした。
振り払われようとも、今度は絶対離さへんって…そう決めた。
触れる瞬間、謙也さんの肩がビクリと震えたが、もう避けられる事はなかった。
懐かしい感触
大好きな感触
自分より温かい手を掴み、指を絡める。
「アンタはあいつらとは全然ちゃうやん、俺の…一番好きな人…やろ?」
「……光…」
「謙也さんが俺を愛してくれるんを…嫌なんて…怖いなんて思ったりせえへん…、…せやから…」
俺は少しだけ背伸びをし、謙也さんの唇に自分のそれを押し当てる。
柔らかい感触が俺の全身を震わせ、もう何も考えられなくなった。
「好きって…言うて…、触って…?」
唇を離して、そう言葉を紡ぐ。
次の瞬間
腕を引かれ…
頬を撫でられ…
握ったままの手を更に握られ…
強い力で抱き締められ…
俺は大好きな大好きな温もりの中でそっと目を閉じた。