Long
□★それが運命ならば
6ページ/8ページ
4
どうやってここまで来たかは覚えてへん
ただ、気付いたら俺は学校を離れ、見慣れた帰路を歩いっとって…
数分前に聞いた言葉だけが頭の中で何度も何度も繰り返されていた。
『俺とアンタが付き合うんは…今日で終わりや』
こんな言葉…信じたない…
信じたないけど、確かに光はそう言った…
胸が抉られるように痛くて…
どこにもやりようのない喪失感が俺の身体を震わせる。
俺が大切にしてきたモノは全て、この手からスルリと抜け落ちてしまう…
大切やった家族も…大好きな光も…
それが俺の運命…なんやろか…
ふと、足元にポタリと、何かが落ちたんが分かった。
じわじわと染み込むそれを見て、俺はゆっくりと空を見上げる。
太陽を隠す薄黒い雲がひしめき合い、そして透明な粒を降らしていった。
…雨…
頬に当たった水滴を拭おうと指で触れると、何故か異常なまでに濡れとって、瞬きをする度に流れ落ちるモノが次々と溢れた。
自分でも分からんうちに涙を零して…
何も納得なんて出来んまま、俺は大切なモノを失って…
俺には何が残ってる…?
俺には…
そう考えても虚しさしか感じられへん…
俺の中の大半を占めていたモノが、もう抜け落ちてしもたから…
容赦なく強くなる雨が身体に当たっても、急ぐ気にはなれんくて。
濡れていく身体が冷えていき、僅かに顔を歪める。
その冷えた雨の感触は、さっき感じた光の手の冷たさに似とったから…
しばらくして、目の前に見えた玄関のドアを開ける。
誰もいない家の中は、妙に暗くて…怖いほど静かで…
こんなにも家の中は暗かったか、なんて考えたが、それはすぐに頭の中から消えていく。
そんな事を深く考えられるほどの余裕は、今の俺にはなかった。
濡れた髪や、服。
そんなものに構う事も無く、自分の部屋のドアを開けてベッドに身体をあずけた。
早く、消してしまいたい
目に焼きつく姿を…
耳に残る声を…
そっと目を閉じ、暗闇の中で意識を手放そうとしたが…
光の姿が、声が、俺の頭から消えてくれる事はなかった。
「……や…」
…ん、なに…
「…け…や…」
…誰かが…
俺の名前を呼んどる…?
「…謙也!」
頭に響いたその声にハッとなり、沈んでいた意識が一気に呼び戻される。
ベッドに横たわりながら目を開けば、眩しいほどの陽の光に目が眩み、近くに見える輪郭がぼやけた。
「どないしたんや、飯も食うてへんみたいやし…帰って来てからずっと寝とったんか?」
「え…、今…何時なん?」
いつもより重く感じる身体を起こし、スーツ姿のオトンに目を向ければ疲れたような顔をしとって。
…あぁ、昨日は当直やったんやなって、まだぼんやりしとる頭で考えた。
「朝の6時やで、もうすぐ起きる時間やろ…って、なんや、着替えもせんかったんか?」
「あー…疲れとって…そのまま寝てしもたみたいや…」
無理に笑顔作ってベッドから立ち上がると、オトンは「そおか」と言って俺の部屋を後にした。
階段を下りて行く足音が妙に頭に響く。
何故か身体がぐらぐらと揺れているように感じたが、それに構う事なく着替えのシャツに手を伸ばした。
あの後ずっと眠る事なんか出来んくて、ようやく寝たのはついさっきの事やった。
目を閉じても開いても…浮かぶのは光の事。
消そうとしても消えない…
俺の心に深く染みついてしまった、この想い。
何度思い出しても納得する事はなくて、光の口から出た言葉は夢やったんやないかって、そんな僅かな希望にすがりつきたくて…
自分の中で必死になってもがいて…
もがいて…
でも…
俺に差し伸べられる手はない…
大好きな君の手…
それはどんな感触がしただろう
その感触を忘れてしまうほど
…光は遠くに行ってしもた…
「…ほな、行ってくるわ」
居間でくつろぐオトンに声をかけ、俺は玄関のドアを開けた。
歩く足が重く感じ、前に進むのが精一杯という風に一歩ずつゆっくりと歩く。
寝れたのが1、2時間ぐらいやからちょおダルイんはしゃーないけど…
いつもは気持ちええぐらいの日差しも、今は暑い程に感じて鬱陶しい。
それに加え、目の前がふらふらと揺れて気持ち悪い。
他の部活の朝練に行く奴等に追い抜かされながら、ボーっとする頭で学校を目指したが、俺の意識はそこに行くのを拒否しとるようやった。
結局、俺が学校に着いたんはいつもより遅くなってしもて、テニスコートではもう練習が始まっとった。
急ごうにも身体が思うように動かんくて、のろのろとした動作で部室のドアを開ける。
もう誰もおらんやろな、なんて思いながら部室に入ると、目の前の派手なユニフォームが揺れたんが目に入った。
「…ッ…」
思わず立ち止まった俺は、ドクンドクンと鳴る胸の音を聞きながらジッと目の前の人物を見つめる。
俺の方を向いた光と一瞬だけ目が合うて…
昨日図書室で見た光とはどこか違って…
冷たい表情もしてへん…俺の事をちゃんと見てる…
…なのに、やっぱり前とは何かが違う…
…何か…?
いや、ホンマは分かってる…
光は俺の事を恋人として見なくなったという事を…
「いつも早いくせに、今日は遅いんやな」
「…え、あ…」
ロッカーを閉めながら、光があまりにも普通に話すから、俺は一瞬呆気に取られてしもて。
光は足元に置いてあるラケットを持つと、入口に立つ俺の元へ歩み寄る。
近づいて来る度に心臓が跳ね上がり、震えた手でカバンをギュっと握り締めた。
胸の中でざわつくモノを抑え込み、俺はそこから退く事も出来ないまま光の伏せられた目を見つめる。
光の目がいつもより赤いんは…
腫れとるんは気のせいやろか…?
そうであって欲しいという俺の願望がそう見せてるだけなんか…?
朝より更に重くなった頭で考えてみても、何もハッキリとした答えは出えへん。
何故か少し霞む視界がぼんやりと光の姿を捉えとった。
「早よせんと、朝練遅れますよ」
隣を通り過ぎようとした光が声を発し、チラ、と俺の顔を見上げて…
その瞬間、俺は光が開けようとしたドアを手で抑え、進行を妨害するように前に立ち塞がっとった。
「…ッ…光!」
大きな声を出せば、それが嫌になる程頭に響いてグラグラと揺れる。
驚いた顔をした光がぶれて見え、俺はギュっと唇を強く噛み締めた。
自分でも分からんぐらいカッとなってしもて、何をしとるかなんて考える余裕もなくて。
「ホンマに…アカンの…?」
震える声でそう発すれば喉が焼けるように熱くなる。
光は俺の言葉を聞いて、昨日の話の続きやって分かったんやろ…
視線を下に彷徨わせ、何かを考えるような仕草を見せたがそれは一瞬で…
強い眼差しで俺を見て、コクリと小さく頷いた。
「…昨日言うた通りや、分からんのやったらもう一回言うてもええで」
淡々とした口調でそんな事を言う光に言葉を失った俺は、格好悪いけど涙なんか浮かべてしもて。
喉の奥から湧き上がるモノを、俺の本心を…
止める事なんて出来んかった。
「…俺はッ…好きやなかったって言われても…嫌いやって言われても…!光が好きや!諦めたない…離れたないねん…ッ」
目の前の小さな肩を掴みながら、頭で考えるより先に口から出て行く言葉を光にぶつけとった。
…こんな事言うて、情けないのは分かってる…
でも、俺は光を失いたくない…
失いたくないんや…
声を荒げた俺を見つめた光が息を飲んだんが分かり、じんわりと汗ばんだ手が小さく震える。
光は俺と手を交互に見つめながら、ゆっくりと一回だけ瞬きをして…
それと共に口を小さく動かした。
「…謙也さん、家族と恋人…何がちゃうん?どうせ付き合うてた所で俺等は結婚なんて出来んし、未来なんかないねん…、せやったら家族でいた方がずっとずっと近いやろ」
未来なんか…ない…?
光の言葉に、肩を掴んどった手の力を弱める。
身体からスーッと力が抜けてしもたみたいやった。
俺はずっと…
お前との未来を描いてきた…
普通の恋人よりは幸せやないかもしれんけど…
俺は…
俺達は誰より幸せになれると信じとった…
そう、信じてた…
「ひかる…!俺は…ッ…」
「もうこの話はせんで、…謙也さんの事…嫌いになりたないねん…」
俺の手を簡単に振り切り、再びドアに手をかけた光を呼び止めようと、手を伸ばしたその時やった。
「ひか……」
…あれ…
なんやこれ…
途端に身体の自由が利かなくなり、俺は近くの壁にガンッと身体をぶつけて。
「…謙也さん…?」
出て行こうとした光が俺の不審な行動に足を止める。
それにホッとしたのも束の間、目の前の光の姿がぐらりと大きく歪んだ。
「謙也さんッ!!」
光の顔が間近に見えた瞬間、細い腕が俺の身体を支えるように伸びてきて。
倒れる俺の身体を受け止めきれんまま、その細い身体と一緒に地面に崩れ落ちた。
大きい衝撃音と俺の名前を呼ぶ声が耳に届き、俺は必死になって身体を持ち上げようとしたけどそれは不可能で…
大丈夫?ごめんな、と声をかけたくても口からは熱い息しか出えへんかった…
「謙也さん…ッ!!」
下から聞こえた光の声を最後に、俺の意識はだんだんと薄れていく…
光の温かい感触は自分の身体の熱さと重なって…
よお分からんかった
俺は今…どこにおるんやろ…
………
…分からへん
何も…分からへん…
重い瞼を持ち上げる事が出来んくて真っ暗な視界の中、俺は夢か現実かも分からん所をふわふわと浮いているようやった。
身体が自分の身体やないみたいに熱くて…
ガンガン鳴り響く頭が煩わしい
自分の意思に反して動かない身体。
何かを考える事ですら拒否する頭。
ただ、ぼんやりとする意識の中で一つだけ感じる妙なモノ。
動かないハズの自分の手が小さく動くんが分かる…
それは自分の意志やなくて…
…そう、誰かに触られとるような…そんな感じ…
曖昧な感覚で、ホンマにそうかは分からんけど…
手を握るその手は、俺を酷く安心させた。
これは何やろ…
…夢…?
…うん、夢やな…
だって…
だってこの感触は…
俺が求めていたモノやから…
もう戻らないと思ってた…
大切なモノやから…
「……ひか…る…」
そう呟いた時、俺の右手に触れる手がビクリと震えてポタリと何かが当たり、素早く離れていくんが分かった。
俺は動かない腕を伸ばし、必死になってその手を探したが、何も掴む事は出来なくて…
それが悲しくて…
悔しくて…
何がなんでも離したらアカンって…
今更そう思ってももう遅くて…
ぐるぐる回る頭がまた俺の意識を曖昧にする。
どのぐらいそうしてたのか分からんけど、やっと目を開ける事が出来た時、目の前に俺の顔を覗き込む人影が見えた。
霞む目を凝らして見ようとすれば、だんだんとハッキリしたモノに変わっていって。
「…謙也?」
その声を聞いて、俺は痛む喉から声を絞り出した。
「しら…いし…」
短く言葉を発する事ですら苦しいけど、視線を合わせれば白石はホッと息を吐いて安心したように笑った。
「もうホンマ驚いたわ、部室から大きい音が聞こえてきたから何かと思って行ってみたらお前は倒れとるし…財前は……」
そこまで言うて、白石はごまかすかのように言葉を濁しながら俺の額に手を当てて、「あっついなぁ」なんて言うとって。
光が何…?と、聞こうとしたが、言葉にする寸前でやめた。
さっきのやり取りを思い出すんがつらかったから…
そおか、あの時…倒れてもうたんや…
なんて考えながら俺は自分がベッドに寝かされていた事に気付く。
「あ、お前運んだ時に保健の先生が風邪やって言うとったで、何したんや?昨日部活サボって遊んでたんか?」
「…そんなん…ちゃうけど…」
そう言って、目を閉じた時、ついさっきの夢か現実かも分からん感覚が俺の頭をよぎる。
手にあった感覚はもう無くて、俺の手に触れていたモノが何やったのか…もう覚えてへんかった。
「なぁ…、さっきからここにおった…?」
「いや、今授業終わって来た所やで?さっきまで授業中やったし誰もおらんかったけど……何でや?」
「…や、何でもあらへん…」
あれは…やっぱり夢やったんか…?
さっきの感触を思いだそうとしても、今の頭じゃ上手く思い出せんくて…
自分の手を握ってみたけど、やはりその感触は甦ってこおへんかった。
でも…
少し体温の下がった右手だけが、俺に何かを伝えようとしとるようで…
ふと、自分の手に視線を落とす。
…あれ…?
何やろ…これ…
俺はそこにあったものを不思議そうに眺めるしか出来んかった。
流れた跡を残して落ちていった水滴。
さっきの何かが落ちた感触はこれやったんか…
そんな事を思い返してみても…
それが何なのか…
誰のモノなのか…
その時の俺には考える事なんて出来んかった