Long

□★それが運命ならば
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「…36度2分」


電子音が鳴った体温計に表示されとる数字を見て小さくつぶやき、俺は3日振りの制服に手をかけた。
最初の日は40度近い熱とか出てもうて大変やったけど、オトンに診てもろて薬も飲んどったし、大人しくしとれば自然と治る訳で。
まだ激しい運動は止められとるけど、俺は普段と同じ時間に起きとった。
もちろん、朝練に行く為。

制服に袖を通し、ベッドの上に置かれた携帯電話に手を伸ばすと、ディスプレイに映った『新着メールあり』の文字を追う。
メールを開けばそこには白石の名前が表示されとって『今日学校来るん?』と一言書かれていた。
俺はそれに返信し、そのついで…とでもいうふうに受信フォルダを開く。

学校を休んどる間、何通も来たメール。
それはクラスメイトやテニス部の仲間からのものやったけど…
何度見返してみても、頭の中におる人物からのメールはそこにはあらへんかった。

来ないと分かってるメールを待っても…悲しくなるだけやのに…


力の籠る手で携帯電話を閉じてズボンのポケットにしまい、変わりに床に置いてあるカバンを握り締める。
規則的な足音を響かせて階下に降りれば居間のソファに座るオトンが顔を覗かせた。


「謙也、もう平気なん?熱は?」

「熱も下がったし平気やって、医者の息子が何日も風邪にやられとる訳にもいかんやろー」


笑いながら居間に足を運び、テーブルに乗っとる朝食を口にする。
何気なくテレビに目を向けると、今日の天気予報と共にどこかの観光名所が映し出され、俺はふとある一点をジッと見つめた。

その観光名所がどうとか、そういうんやなくて。
そこに映った恋人と思われる二人の、繋がる部分…。

繋がれた、手。

それが妙に目に焼き付いて、俺はいつのまにか握り締めとった自分の手を見つめていた。


前に保健室で感じたあの感触

あの時の記憶は曖昧で、ホンマにそんなもんを感じたのかもよお分からん。
…夢、やったのかもしれん。

けど…、思い出せば思い出すほど、あれは誰かのものやったんやないかって、そう思ってまう。

誰の…?
あれは誰の感触やった?

そう問えば、自分でも呆れるぐらいの答えが頭をよぎる…。

あんなにはっきりと否定されても尚、俺は…


「謙也?」

「…え、なん?」

「どないしたん、自分の手なんか見つめて」

「や…別になんもあらへんけど…」


呼ばれた声に顔を上げれば、オトンが不思議そうな顔をして俺の顔と手を交互に見つめる。
俺は不自然に持ち上げたままの手を降ろし、新聞を畳むオトンに向けてぎこちなく微笑んだ。


「そろそろ行ってくるわ」

「おう、気いつけや」


オトンの返事を聞き、俺は心の中に残る不思議な感覚を振りきって、太陽が照りつける外へと足を踏み出した。












見慣れた門をくぐり、通学する生徒の合間を走りながらテニス部の部室へと急ぐ。
テニスコートにはまだ誰の姿も見えんかったけど、部室には電気が点いとって僅かに窓も開いとった。
まぁ、こんな時間におる奴は一人しかおらんけど。


「はよー」


俺がドアを開ければ既にユニフォーム姿の白石が椅子に座っとって、俺の顔を見るなり意外な奴が入って来たとでもいうふうに首を傾げた。


「なんや、もう部活やってええんか?」

「ホンマは止められとるけど、こない休んどったら身体動かんくなってまうし」


白石の前を通り過ぎ、自分のロッカーの前でカバンからユニフォームを取り出す。
柔らかい布の感触に触れた瞬間、横から手が伸びて来て俺の腕を掴んでいた。


「アカン、またぶり返したらどうすんねん、今日は見学しとき」

「…え、もう大丈夫やって、熱もないし」

「倒れるぐらいの風邪やったんやで?甘く見たらアカンやろ、とにかく今日はテニスさせへんからな」


鋭い眼光で睨まれ、俺は大きく溜息を吐きながらユニフォームを掴んどった手を離した。
こない簡単に諦めるのも、俺が何を言うても白石の意見は覆る事がないと、今までの経験で分かっとるから。


「見学も立派な部活動やで」


白石は笑みを浮かべながら元の位置に戻り、俺も白石の前の椅子に腰を下ろした。

みんなが来るまであと10分ぐらいやろか…
頬杖をつきながら部室の時計を眺めとっても、一定のリズムを刻むだけで、特に何の面白みもあらへん。

静かな部室。
ここにおるとこの前の事を思い出してまう。
俺の情けない言葉に、きっぱりと言い放った光の言葉…

ずっとずっと考えとった。
学校を休んどる間、光からのメールが来ない携帯を握り締めながら…ずっと。


俺達はホンマに終わってしもたんか

光が言うた事は全て真実なんか…って

俺と付き合うてたんは恋愛感情やないって言うたけど、俺にはそれが信じられへんかった。
…いや、信じたくないって言うた方が正しいかもしれん。
図書室で言うた事、部室で言うた事…。
突然言われた言葉にあの時はショックで戸惑うばかりやったけど、改めて考えると…あれが光の真意とは、どうしても思えへんねん。


自惚れとるとか思われても構わへん。

…光は…嘘を吐いとる。


どこまでが嘘でどこまでが本当かは分からへん、光の気持ちはもう俺にはないかもしれへん。
でも…俺達が付き合うてた時間は、きっと光にとってもかけがえのないものやったって、そう信じたいんや。


「謙也」

「…うん?」


急に名前を呼ばれ、頭の中で考えとった事を消し、声の方に顔を向ければ白石が軽く笑みを浮かべて俺を見とった。


「なんやボーっとして…らしくないで?何考えとるん?」

「…えっ、別に何も…」


その言葉にギクリと肩を揺らした俺は、少しだけ真剣味を帯びた表情から視線をそらしたが、白石は一呼吸間を置いて小さく息を吸って。


「財前の事…やろ?」


最初からお見通しやと言うように、その言葉を発した。

白石は俺と光の関係を知っとる数少ない理解者やった。
男同士で付き合うてるなんてあまり公けには言えんけど、白石はすぐに分かってもうたらしく、光と付き合うた次の日には「おめでとう」とか言われたんを今でも覚えとる。
せやからたまに相談とかしとったんやけど、最近の事は白石には言うてへんかった。
自分自身、上手く整理出来んかったっていうんもあるけど…
言葉にしたら、光との事を認めたみたいで嫌やったんや。

でも、俺はもう心のどこかで諦めに似た気持ちがあるんを感じとった。

俺が何を言うても、光は自分の言葉を覆すような事はしない、…そう思う。


「俺な、光と…別れてん」


小さくポツリと呟いた俺に、白石は大した驚きも見せずにスッと目を細める。
俺の視界の中で、白石の綺麗な指が机に置かれたノートを閉じた。


「…そおか、お前がふったんか?」

「ちゃう…、俺がふられたんや…」

「……え…?」


白石の指を見つめとった俺は、小さく漏れた驚きの声に視線を上げた。
何に驚いたのかは分からへんかったけど、白石の口から漏れた言葉が俺の耳に届く。


「…せやったら何であの時…」

「……あの時…?」


俺の問いかけに白石はハッとした表情を浮かべ、すぐに何でもないというふうに笑顔を作る。
俺はその事が妙に引っかかって、白石は何かを知ってるんやないかって…直感的にそう思った。


「…なんか知ってるん?」

「……いや…」

「…白石…」


俺はその時どんな顔をしてたんやろ…

白石は滅多に見せんような何かを迷う表情で俺を見つめ、しばらくしてから張り詰めとったものを吐き出すように深く息を吐いた。


「俺な、嘘吐いたんや」

「…嘘?」

「お前が倒れた日、授業終わって保健室に行ったやろ?…俺が行った時、誰がおったと思う?」


白石は俺の目を見つめ、机の上にあった俺の手に手を伸ばし、包み込むようにそっと重ねる。
それは、あの時の夢か現実かも分からんような曖昧な記憶を呼び起こすには充分過ぎた。


「…お前が感じたんは、俺の手なんかやないやろ?」


白石はゆっくりと手を離し、俺に笑いかけながら近くに置いてあったラケットを掴んだ。


「理由があってここまでしか言えへんけど、お前やって分かっとるんやないんか…?」


椅子から立ち上がった白石に、言葉を発しようと口を開いた、その時。
部室のドアがガチャリと音を立てて開き、俺の声はそれに掻き消されて白石には届かへんかった。


「お、謙也や!もう風邪よおなったん?」

「なんやここで倒れたらしいやん、そんなしんどい熱出てたんか?」


部員が次々に顔を出し、俺の姿を見つけるなり声をかけられて。
平気や…とか、治ったで…とか、返しとるうちに、いつのまにか白石の姿は部室から消えとった。
俺の中で何かがモヤモヤと広がっていくんが分かったけど、白石に聞いてもあれ以上何も言わん気がした。


白石はあの時確かに、誰もおらんかったって言うた。
でも、それは嘘…?
白石は誰かに会うたん?

どうして嘘を吐く必要があったんや

理由があってここまでしか言えへん…なんて、白石はその人物に何かを言われた…?


何を?誰が?何の為に?


そう自分に投げかけて、俺は必死になって答えを探した。

何度も何度も、浮かぶ顔は一人だけ。

でも…
そんなハズ…ないんや…


部員達の話し声でうるさくなった部室。
でも俺の耳にはそんなものは入ってこおへん。
頭の中がぐるぐる回って、考えれば考えるほどこんがらがってしまいそうになる。
俺は白石の言葉を反芻しながら、触れられた手をしばらく見つめとった。










どのぐらい時間が経ったんやろか。


「謙也やん!やっと復活したんか!」

「……え、あ…!」


上から声をかけられ、俺はパッと顔を上げる。
いつのまにか着替えとった部員も少なくなり、部室には数えるほどの人数しかおらんくて、なんや怒ったような顔のユウジがユニフォームに着替えながら俺の前に立っとった。


「お前が風邪なんかひくから俺と小春がペア離されたり大変やったんやで!」

「え、そうなん…?でも俺まだテニスすんの止められとるから見学なんやけど…」

「はぁぁ!!?嘘やろ、まだあのクソ生意気な奴に小春取られるんか!迷惑や!!」


ユウジが部室に響き渡るほどの大声でそう叫んだ時。
視界の隅に映ったその人物に、俺の心臓が大きく跳ねた。


「…別に小春先輩はユウジ先輩のものやないやないですか、朝からうっさいっすわ」


前を横切りながら悪態をつき、その人物は一瞬だけ俺に視線を送る。
それだけで、俺は固まってしもたかのように動けんかった。

ドクン、ドクン、と。
どんどん速さを増す鼓動が手にまで伝わって、それを紛らわす為に手を握り締める。


「なんやと!!俺と小春はなぁ、死んでも離れられん絆…いや愛情で結ばれとんねん!」

「はいはい、あ、さっきコートで小春先輩が呼んどりましたけど…」


その言葉にユウジは急いで部室を飛び出していき、数人の部員が残る中、溜息を吐きながらロッカーに近づいて行く光をそっと目で追った。

面倒くさそうにのろのろと着替える光。
その細い手が動く度に、俺はそこから目が離せんくなって…

考えても考えても…
行きつく先は同じ答え

もし、もしも…
俺の考えが正しいのなら

光は…


「謙也さん」


急に呼ばれた声に、ビクリと、俺の身体が大きく揺れる。
慌てて視線を上げれば、光の黒い瞳が俺をジッと見つめ、妙に胸の中がざわついた。


「もう学校来て大丈夫なん?」

「お、おん、もう何ともないで…って言いたい所なんやけど…まだテニスしたらアカンって言われてんねん」

「へぇ、そうなん…」


不自然に微笑みながら自分の中の動揺を必死に隠す。

俺の中で明滅する曖昧な記憶。
いくら考えても、そんなハズないって否定する自分がおって…
そんなん確かめてどうするんやって思いもあるけど…俺は。


「なぁ、光…」


自分でも気付かんうちに、最後に出て行った部員の後を追ってドアを開けようとした光を呼び止めとった。
光は周りを見回しながら少し躊躇うようにして立ち止まり、椅子から立ち上がる俺を黙って見つめた。

手の中で汗がじっとりと染みる。
今を逃したらもう聞けへん気がして、俺は高鳴る胸の鼓動を抑えつけながら深く息を吸った。


「…あの…な、俺が倒れて保健室に運ばれた時…」


そう言葉を発した直後、一瞬にして光の顔色が変わった。

光は次に何を言われるんか分かっとるかのように、緊張した面持ちで俺を見つめる。

それ以上言わんで…

そんな光の声が聞こえてきそうで、聞いたらアカンのやないかって思ってまう、けど。
考えるより先に、俺はずっと頭の中にあった言葉を発していた。


「…あの時…俺の手を握っててくれたんは…!」


縋る思いで放った言葉。
それが光に届いたその時やった。


ピリリリリリ…


突然響いた電話の着信音。
その音に、何かを言おうとした光は息を飲み、開きかけた口をグッと閉じる。
俺は自分のポケットに入った携帯の着信を無視して光を見つめとったけど、光は俺から視線をそらして床を見つめるだけやった。


「…ひかる…」

「………」


何も言わない光がこの話に触れるんを拒んでいるようで、そんな姿を見てしもたら、これ以上話を続ける事が出来んかった。

妙な空気が流れる中、俺は携帯電話を取りだしディスプレイに映った名前を見て通話ボタンを押す。


「…もしもし、オトン?」


俺はオトンの声を聞きながら、目の前から立ち去ろうとする光を呼び止めたりはせんかった。

もう、話は終わり。

光の背中がそう語っとったから…。


『急にすまんな、さっき言うの忘れてしもたんやけど……』


………

…え…?


オトンの言葉を最後まで聞いた俺は、思わず聞き返してしてしもた。


「…え、なん…、光と…?」


「頼んだで」という言葉を最後に通話が切れ、俺は疑問を抱えながら耳から携帯電話を離した。
俺の言葉を背中で聞いとった光はピタリと足を止め、開けたドアの前で不安気に揺らぐ視線を向ける。


俺はこの時、漠然と…やったけど


何かが動き出す

そんな感じがしてならなかった





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